#23
どういうわけか、あの日を境に私の目は今まで写していた人ならざるものを見ることがなくなった。
喜ばしいことなんだと思う。だって、今までいい事なんて何一つなかったし、怖くて、ちょっかいかけられて、ただ自分が危ない目に合うだけだったから。
だけど、そのおかげできっと知り合わなかったであろう人たちと知り合えて、出会えたことを考えると少し複雑な感じ。
布団をたたみ、手早く用意をすませて予めトースターにセットしていた食パンを齧る。因みに余談だけど、私の家にバターなんて高価なものはない。素材の味を楽しむべし。
「あ、もうこんな時間」
そうこうしているうちに、家を出なければいけない時間になった。もう必要ではないけど、なんとなくいつもの癖で持ち歩いてしまう竈門印の塩が入ったお守りと、善逸くんのおじいちゃんが作ってくれた数珠を手に取る。
そうして、ついこの前まではお菊ちゃんがいた場所には真新しいアングレカムの花が飾られていて、私はその前に立った。
「いってきます、美羽」
かつかつ、とコンクリートを私のローファーが軽快に鳴らす。気温は良好。お天気もすごぶるいい。こういう日に限って洗濯物を干してくればよかったとさっそく後悔したけれど、まぁいいや。明日干そう。
ほんのちょっぴりだけ早い朝のこの時間はまだ人通りが少ない。深く息を吸い込めば程よく冷えた空気が肺を満たす。
「おはよう、杜羽」
なんとなく深呼吸を繰り返していると、唐突に背後から肩を叩かれた。びっくりして振り返れば、炭治郎くんが申し訳なさそうに眉を垂らしていて逆にこっちが申し訳なくなった。
「ご、ごめん…!いきなりでびっくりして…おはよう」
「俺こそごめん。前に杜羽が歩いてるのが見えたから、つい…」
そのままの流れで二人並んで通学路を歩く。少し歩けば勢いよく走ってくる足音が聞こえて、近付いて来たと思ったら炭治郎が私の腕を引いた。
「あんぱん寄越せ、子分!」
「親分、おはよう」
「伊之助おはよう」
「権八郎!俺にあんぱんくれ!」
「そのまえにおはようだ」
「う…お、おはよ…う…」
「よく言えたな!えらいぞ」
そう褒めながら親分にあんぱんを差し出す炭治郎くんに思わず苦笑い。親分は少し伊之助を甘やかしすぎだと思う。
新たに親分をメンバーに加え、歩き出す。さっきより少し人通りが多くなった気がした。
他愛もない話をしたり、聞いたり、時々親分が人のお昼ご飯を強奪しようとするからどうにか死守して、気付けば学校の校門前まで来ていた。
バインダーを片手に、眠気まなこを擦りながら門の前に佇む彼、善逸くんに私たちは大きく手を降れば、それに気付いてくれたらしい善逸くんもぶんぶんと手を振ってくれた。
…その直後すぐに冨岡先生にしばかれてたけど。
「もうやだ!何!?なんなの!?なんで俺風紀委員なの!?めっちゃどつかれるし、逆に生徒怖いし…!やだ…!」
「頑張れ頑張れ!善逸くんならできるよ!」
「杜羽ちゃああん…」
よよよ、と崩れる善逸くんに声援を送っていると彼の背後からゆらり、と冨岡先生が目を光らせ、それに気付いた善逸くんがまた白目を剥いた。
それが面白くて、面白くて、けらけら笑いながら空を見上げた。
「杜羽ちゃん、どうかした?」
善逸くんが不思議そうに私の顔を覗き込む。あぁ、私はとても周りに恵まれたなって、すごく思った。ヘタレで、泣き虫で、怖がりで、だけど絶対に私を…私“たち”を見捨てずに最後まで向き合ってくれた彼がかっこよくて。本当に…
「ありがとう、善逸くん」
「え、何々急に?やだもー杜羽ちゃんってば照れるじゃん!」
「私、君のそういうところ好きだよ」
「へ、え、ちょ、ほんと、どうしたの…そんなさぁ…正面きって言われたらさぁ…!」
ウィッヒッヒ。と謎の笑い声を漏らす善逸くんが少しばかり気持ち悪い。何その笑い方。怖いんだけど。
「杜羽ー!」振り返るといつの間にか親分と炭治郎くんが少し離れたところまで歩いて行ってたらしく、早く来いと言いたげに手を振っていた。「今行くー!」未だ涙をしとどにこぼす善逸くんにまた後でね、と一言残し足を踏み出した。
「!!」
瞬間、ぶわり、と私と背中を押すように風が吹きすさんだ。周りにちらほらいる生徒たちは突然の突風に悲鳴を上げるけど、私はなんだか美羽に「忘れないでね」と言われているようで小さく笑った。
「忘れないよ」
名前のなかった私の大切な妹の心が、どうかこれから、何のしがらみもなく羽撃ける羽でありますようにと切に祈った。
(完)
first ◇ end
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