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 #08






「はッ…はぁッ…はぁ…!」


背後から感じる禍々しい気配を感じながら夜道をただ走っていた。がむしゃらに、前だけを見据えて。
普段の運動不足がたたって今にも膝から崩れ落ちそうだけど、それを叱咤して動かし続ける。

なぜなら、ここで止まるわけにはいかない理由がある。





***



「鳩間さん…」


お菊ちゃんの髪を結っている時、唐突に我妻くんが玄関の方を向いた。なんだか切羽詰まった声にただならぬ気配を感じて、思わず腕を掴む。


「我妻くん…?どうかしたの…?」

「……来るよ」

「えッ…」

「あいつが、来る…まだ気配は遠いけど、俺は耳がいいから、あいつがどこら辺にいるのかがわかるんだ」


我妻くんは嘘を言っているような顔じゃなかった。たらり、冷や汗が流れる。この部屋にいる限りお菊ちゃんが守ってくれるから大丈夫ではあるけれど、正直怖いのには変わりない。毎回毎回投函口から覗かれちゃたまったもんじゃないし、何より精神的に辛い。
身の毛もよだつ気配を感じながら生活しないといけないとか…苦痛でしかないよね。


「だッ…大丈夫…!」


不意に我妻くんが私の手を握った。めっちゃ震えてるしびっくりするくらい手汗も冷や汗もすごいけど、目だけは真っ直ぐと私を見ていた。


「俺が…何とかする…」

「別にむりしなくていいんだよ…?家にいる限りとりあえずは大丈夫だと思うし、外にさえ出なければ…」

「そうなると鳩間さん、ずっと外に出られなくなる…!」

「、…」

「正直めちゃくちゃ怖いよマジで死んじゃうんじゃないかって思うくらい超怖いけど…!でもそれは鳩間さんも同じだし…!なんなら鳩間さんは俺みたいにああいう奴追い払うすべなんて持ってないわけで…!けど、俺は…!」

「我妻くん…」

「じいちゃんに無理矢理修行させられたってのもあるけど!俺と同じ思いを誰かにしてほしくなくて祓い屋修行頑張ったんだ!だから!俺が鳩間さんの事守るからッ!!」


震えて、涙まで零して、自分だって死ぬほど怖いくせに、なのにそんな事言うなんて。

あぁ、ずるい、そんなのずるすぎる…


「…我妻くん」


ぎゅッ、と我妻くんの手を両手で握り返した。


「!」

「私、我妻くんの事信じる。いや、信じさせて。だから…お願い、助けてください」

「鳩間さん…」





***



いくつもの曲がり角を曲がった。


『鳩間さん、俺に考えがあるんだ』


我妻くんに言われた通りの道筋をただひたすら走った。


『俺、炭治郎みたいに策とか上手く練れないけど、それでも勝てるだけの勝算はあるつもり…。ただ、これは鳩間さんにも協力してもらわないといけないんだ』


承諾したのは私。やると決心したのも私。


次の角を曲がった時、道の真ん中に我妻くんが立っているのが見えた。


「我妻くん!!」


声を張り上げた。我妻くんは私の後ろにいるものを見て一瞬顔を引き攣らせたけど、すぐにかぶりを振って印を結んだ手を構えた。


「鳩間さん、飛び込んで!」

「ッ、」


半分転げるように我妻くんの前に描かれた大きな陣みたいなものの中に飛び込むと、続くようにあいつも中に入って来た。同時に、けたたましい身を引き裂くような絶叫。それを聞きながら私は這うように陣から出た。


「高天原に神留まり坐す
皇が親神漏岐神漏美の命以て
八百万神等を
神集へに集へ給ひ」

「ギャアアアアアアアア…!!イタ、い…!イタイイタイいたイイたイイたい…!!!」


我妻くんがゆっくりと印を結びながら長い言葉を紡ぐと、あいつは途端に苦しみだした。これは…お経じゃない…祝詞…?


「荒振神等をば神問はしに問はし給ひ
神掃へに掃へ給ひて
語問ひし磐根樹根立草の片葉をも
語止めて」

「ギャッ…ア"ア"ア"ア"あ"あ"ア"ア"ア"……!杜羽…杜羽ああ…!」


なおも苦しげに呻くそれ。なぜか私の名前を呼び続け、そして変化は唐突に訪れた。


「!」


ぼんやりとした輪郭しかなかったそれがはっきりとしてきた。手足があらぬ方向にひん曲がり、落ち窪んだ目はそのままだけど、見覚えのある姿へと変貌する。

絶句。


「な、んで…」


我妻くんが唱える祝詞も、やかましいほどのあいつの悲鳴も全部が一瞬で遠のいた。まるで私が…私とそれだけが切り離されたよう。


「お母さん…!!」


何年も前に事故で死んだはずの母だった。私のお母さんがあの禍々しい空気や腐臭、圧迫感、何より私を悪霊となって付け回していたという事実が信じられなかった。

ショックだった。ショック過ぎて、けど、それでもでも母には違いなくて。思わず一本足が出た。


『一つ、約束をして。何があっても、何を見ても、絶対に情を見せないで。悪霊は目敏くそれを見つけて、瞬く間に引き込んでしまうから。俺が言葉を紡いでいる間は鳩間さんを止めることができない。君が、自分の意思で打ち勝つしかないんだ』


我妻くんの言葉が脳裏をよぎる。伸ばしかけた手、開いた口、今にも駆け出しそうな体。それらを振り切るように、私は全部を引っ込めた。


「杜羽…!!杜羽あああー…!!」


ボロボロで、所々皮膚から骨が突き出た血まみれの手を伸ばしてくる。けど、私はそれを握れない。握り返せない。


「あなたはもう死んでる…もうこの世にはいない…!私のお母さんはこんなことしない!!」


お母さん“だったもの”が何度も私な名前を呼ぶ。何度も、何度も、何度も。


「今日の夕日の降の
大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を
諸々聞食せと宣る」


ーぱんッ


最後に我妻くんが鋭く手を鳴らす。そうすると悪霊はさらさらと灰のように散っていって、やがて空気に解けるように消えてしまった。


「……終わった、の…?」


先程までの絶叫が嘘のように静寂に包まれる。地面に尻をついたまま呆然としてちると、ふと膝に何かがちょこんと乗ったのに気付いた。


「ちゅん!」

「君は…我妻くんとこの雀…?」

「ちゅんちゅん」


かわいらしく囀る雀に少しだけ心に余裕ができたような気がした。ぎこちなく雀に笑ってみせると、雀は小さな羽を精一杯羽ばたかせて今度は我妻くんの目の前に飛んで行った。


「ちゅんちゅん!」


…が、我妻くんは反応がない。


「あ、我妻、くん…?」

「ちゅんちゅちゅーん!」


ーげしッ


「えッ…!?」


わ、私は夢でも見たのだろうか…!今雀が我妻くんのこと蹴っ飛ばしたような…!
存外凶暴な雀だと戦慄いていると、我妻くんの体がぐらり、傾いた。


「わッ…!!ちょ、嘘嘘…!!」


抜けた腰をどうにか引き摺って間一髪、我妻くんを抱き留める。


「我妻くんしっかり!!あがつ…」

「すこー…すここぉー…」

「ま…くん…?」


なんか…鼻ちょうちん膨らんでませんか。
え、嘘、なんで寝てんのこの人!!


「鳩間さん!」


唐突に背後から名前を呼ばれた。さっきの今だから全身がビクゥッ!!と揺れたが、声の主が竈門くんだとわかりほっと胸をなでおろした。


「大丈夫だった?ごめんな、本当は俺たちも手助けしてあげられたらよかったんだが、こればかりは善逸じゃないと俺たちは邪魔になるんだ」

「ううん、全然大丈夫…と言うより、どうしてこかに?」

「善逸に言われてたんだ。ここに来てくれって」

「あッ、そうだ我妻くん…!ねぇ竈門くん!我妻くんが急に寝ちゃって…!大丈夫なの!?」


そう言うと竈門くんは少し困ったように「あはは」と笑いながら爆弾を落とした。


「善逸は一回の祓いにすごい集中力を使うんだ。それこそ誰が声掛けても気付かないくらい。だからその反動で終わると倒れるように眠るんだ。で、俺はその回収役」

「そ、そうなの…?」

「心配しなくとも、一定の時間を寝こけたらすぐに目が覚めるよ」


竈門くんの言葉に心底ほっとした。よかった…私のせいで我妻くんに何かあったらどうしようって思った。

さっきまでの緊張感はどこへやら、ぐーすかと人の腕の中で寝こける我妻くんを見下ろし、そっと笑う。
我妻くん、情けないって思ってごめんね。


「めちゃくちゃかっこよかったよ…!」





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作中の祝詞は大祓詞を参照しています。
話の構造上一部抜粋&省略みたいな形になっていますが、実際はもっと長いです。めちゃくちゃ長いです。








first ◇ end

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