PDL | ナノ
唇から伝染する
( 豹変した年下の彼のセリフ続編)
生まれてこのかた男の子に好きだなんて言われた経験、ただの一度も無かった。
そりゃあ、絶世の美女とか手練手管に秀でた小悪魔ちゃんとか、そんな生き物で生まれていたのなら別だろうけど。
両親ともに平凡な容姿だし、私は頑張って化粧すればそこそこ可愛いと言ってもらえる程度には産んでもらえたのだから、親には感謝すべきだと思う。
それでも、好きな人に好きになってもらえないなら何の意味もない。
こんなことなら元の目の形を生かした化粧の仕方とか面長に見せない髪型とかを学ぶんじゃなくて、クラスが離れた元クラスメイトに話し掛けに行ける社交性を身につけるべきだった。
うじうじと、めそめそと、考えても仕方がないことばかりを考える。
でも、そんな私に彼は言ってくれたのだ。
「俺、ずっとミョウジさんのことが好きでした」
こんな私のことを好きだと言ってくれたのだ。
それは私にとって青天の霹靂で。 今までまともに話したことも数えるほどなのにどうして?とか、失恋した可哀想な女に情けでもかけてくれたのかなとか、可愛くないことをたくさん考えた。
けど、瞳はどこまでも真剣で。
きっと彼が告白してくれた理由はひとつ。
「だから、誰にも愛されないなんて言わないでください」
ずっと好きだった人に、寄せた想いを迷惑だと吐き捨てられた。それだけでもう何もかもが嫌になって、消えてしまいたいとすら思った私に、そっと寄り添って、こんな私のことを想う人間もいるのだと教えてくれたのだ。
ただ、
「ずっと好きです」
そんな一言に応えるには、私はまだ失恋のショックから立ち直れていなくて。
明確にイエスともノーとも告げぬまま、それでも優しい指先と温かなミルクティー。それから気持ちが嬉しかったことだけを伝えて、早一月が経とうとしていた。
心の傷はかさぶたくらいにはなっただろうか。 もう、長年思い続けた彼が恋人と一緒にいる姿を見ても胸は痛まなくなってきていた。
よかった。 と心から思うのは、報われないのに想い続けることが惨めでならないからではなくて。 好きな人に拒否されたからといって、想い続けた日々を悲しいだけの重い荷物にしなくて済んだから、だ。
彼の幸せが私の幸せなんて思えるほど高尚な愛には至っていない。
けれど、今日も幸せそうで何よりと思える程度には、この想いを消化できていて。 そしてその影には、私に人生初の告白をしてくれた後輩の男の子の存在が大きいことは、自覚している。
そして、そんな彼の存在が自分の中で少しずつ膨らんでゆくこともまた、自覚せずにはいられないのだ。
*
「……おはようございます、ミョウジさん」
毎朝、朝練を終えた青八木くんに部室前で出会って、挨拶をされる。それは告白される前から少しも変わらない日常だ。
表情が乏しいと言ったらなんだか失礼だけれど、意味もなく愛想を振りまくタイプでもない彼は今日も淡々と挨拶を口にするので、つい一ヶ月前に言ってくれた告白は何かの間違いなのではないかと疑わしいほど。
以前からの態度となんら変わる様子もなく、少しもブレることなく、いい後輩の男の子のままである。
「!お、おはよう青八木くん!」
だから、私のほうがおかしいのかもしれない。あれから、青八木くんに話し掛けられると動揺してびくりと背を揺らしてしまう。
茶色の直毛から覗く片目に自身が映るのが妙に恥ずかしく感じて、目を逸らす。
バカみたいなのだ。 彼の目に映る自身の姿を気にして、実は以前より朝ヘアアレンジに時間をかけている自分がいるだなんて。
「……シャワー、浴びてきます」
「う、うん!いってらっしゃい……」
どっちが片想いの身なのかわからないな、とか薄く思いはする。
好きでもない男の子に告白された。 そんな言い方をしたら青八木くんに失礼だと思うし、そんな風に思ったことは一度もない。
けれど、あの日の出来事は事実としてそれだけの事だったのだろう。
実際私にとって、思い続けた人にフラれたことの方が大変な出来事だった筈だ。
なのに。
好きだと言ってくれた青八木くんの真摯は、ゆっくりと時間をかけて確実に私に染み込んでいったし、冷たい地の底から引き上げてもくれていた。
だって最近、考えてしまうのだ。
いつまで彼はこんな感じなのだろうか? 想い人がフリーで、しかも失恋直後となればチャンスである。
もっと押してきたっていいのに。 なんて、小賢しいことばかりを。
確かに私達は未だただの先輩と後輩の仲に他ならなくて、あの日好きだと言ってはくれたものの付き合って欲しいなんて一言も言われていなくとも。
冷たく突き放した私を静かに慰めて、あんなに優しい指先で涙を拭っておいて。 想うだけで幸せですなんてちゃんちゃらおかしな話である。
好きなら好きな人との日々を願うのが人という生き物だと思うし、思春期の男の子ならそれなりにしたいこととかあるんじゃないのか。 彼女欲しいとか普通に思う筈、だよね?
青八木くんを好きだと思えるほど、私は彼のことを知らないから。
もっと私を手に入れるために頑張って欲しいなんて願う。 諦めが悪いというのならきちんと手に入れてみせてよ、だなんて思う。
愚かしく汚い自分の本心から目を背け続けることももうままならない。
このひと月、夜寝る前に考えてしまうのは額に音もなく降った優しいキスのことで。
その唇から伝わる、温かくも苦しいほど滾る熱は、私の心と身体をじわじわと侵していったのだと思う。
彼のことを知らないから、知りたいと思う。
いのち短し恋せよ乙女なんて思わないけれど、また恋をする勇気が欲しい。
だから、踏み切れない一歩を踏み切る為に。
私はその日、マネージャーとしての仕事を終えて尚残って、自主練を終えた青八木くんが部室へ戻ってくるのを待つことにした。
でも、いざ話をしようと思ってもなかなか二人きりにはならなくて。
皆が集まれば盛り上がってゆく室内に、焦る気持ちは高まってゆく。 ああ、こんなことなら朝二人きりで顔を見合わせた時にでも、話があると告げてしまえばよかった。
一緒に帰ろうなんて誘うのはちょっと恥ずかしくもあるけれど、ずっとこんな気持ちでいるよりはいい。 ああもう、明日にしようかな。明日の朝挨拶をされた時にでも誘えば、断られはしないだろう。
なんて弱気になって部屋の隅で俯いた頃、金城くんが両手を打って、皆に早く帰るように促す声がした。
その声を受けてぞろぞろと連れ立ってゆく皆の姿に顔を上げる。と、
「…………」
茶色の直毛に片目を隠した彼が、じっとこちらを覗いていた。
驚いて目を見開くとすぐに逸らされそうになる視線に、何故だか焦燥感を覚えて。
「あの……青八木くん!」
呼び止めたのは無意識だった。
「!」
片目しか窺い知れない彼の瞳が、もう一度私を映す。その様子に不思議なほど心満たされながら、
「ちょっといい……かな?」
眉を下げて首を傾げてみせる。
困った顔なんてズルいとは思う。けれど、断られた時のことなど考えたくもないから。 この際多少の反則は許して欲しいと思った。
「……はい」
静かにそう言って向き直る彼に、ほっと胸を撫で下ろす。
「青八木ー!俺先帰ってるなー!また明日!」
そう言って帰っていく手嶋くんは事情を知っているのだろうか。 無口な青八木くんといえど、仲のいいチームメイトには或いは自身の恋情を明かしているかもしれない。
そう考えたら気まずさに胃がキリと痛む。
「あ、ああ……また明日。手嶋」
そう答えた声はなんとなくぎこちなくて。 何故だか胸まで痛かった。
もしかしたら、私は好いてくれた青八木くんに嫌がられることが怖いのかもしれない。
一度は世界に嫌われてしまった私を、好きだと言ってくれた唯一のひとだから。
*
街灯も疎らな夜道を、二人分の足音とかすかな自転車のホイール音。 片手で愛車を押す彼は先ほどから何を考えているのだろう。
その瞳は静かに、ただ遠くを見つめていた。
話がある。そう言うと、間髪入れずに送りますと返事があって。 私も断る理由なんてないので大人しくお願いすることにした。
青八木くんはとても静かで、本当に、いつも一緒にいる手嶋くんがよく喋ることも相まってより一層静かに感じて。
でも、私はそんな彼の余計なことなど口に出さないところが嫌いじゃなかったし、意外にも澄んだ綺麗な声をしているところが、なんだかこんな言い方は変だけれど、神聖な動物かなんかみたいで。 その言葉の一つ一つを大切に出来る気がした。
不意に立ち止まると、隣を歩いていた青八木くんもそっと足を止めた。
「……ミョウジさん」
そんな風に呼ばれるのだって嫌いじゃない。 ぼそりと呟くように呼ぶ声は、切なくなるほど優しくて。
胸がきゅうんとなる。
「うん」
名前で呼んでよ、なんてキャラにもないことを口走りそうになりながら、そっと返事をする。
「……話、って……なんですか」
私はきっと、ずるい女だと思う。 話があると言ったのは自分のくせに、何も言わずに立ち止まったのも自分のくせに。
彼のほうから、こうやって問わなくてはいられないように仕向けるだなんて。
「あのね、青八木くん。一か月も経っちゃったんだけど」
でも、きっかけはどうあれこうして向き合おうとして勇気を振り絞っているのは自分自身で。
「あの、こんな私を……好きって言ってくれて、本当に嬉しかった」
言いながら恥ずかしさと感慨がこみ上げてきて、声は泣いてるみたいに震え出すし、どんどん顔が熱くなってくる。
辺りが暗くて助かった。 とてもじゃないけど、人様に見せられないような顔をしているような気がする。
「私は、告白なんてしてもらえるような素敵な女の子じゃないんだけどっそれでも、嬉しかった」
正直、青八木くんがどうして私なんかを好きになってくれたのか、今でもわからないままだ。
わかるのは、彼が私を好きになってくれたから、私は今こうやって笑えるのだということ。
自分でも自分が好きだなんて思えたことはないけれど、そんな自身を好きになってくれる人がいる。
そんな事実は、
「……本当にありがとう」
ありがちな表現だけれど、救いだったのだ。
「……いえ」
私の言ったお礼に、青八木くんは視線を逸らす。 照れているのかもしれない。 なんて微笑みながら、ドキドキと高鳴る鼓動の音に思考を全部呑み込まれながら。
「そ、それで、あのっなんか私、青八木くんに付き合ってとか言われたわけじゃないんだけどさ?やっぱりこんな言ってもらいっぱなしってのは気持ち悪くてっ!もしよければ、返事」
それでも無様に足掻くように必死に紡いだ言葉は、
「大丈夫です」
思いもよらない一言に遮られた。
「……え、」
そこで初めて、私は気がついた。 彼が視線を逸らしたのは、照れていたとか恥ずかしかったとか、そんなふわふわした理由ではなかったんだってこと。
「返事が欲しくて言ったんじゃないんです。ただ、ミョウジさんを想う奴もいるって……知ってほしかっただけで」
「う、うん……」
そう言って悲しい顔をする青八木くんに、さっきまで浮き足立って頬に集まっていた熱がどこかへ吹いて消えてゆく。
なんだろう、この話の流れ。なんて眉を寄せた私は、気がつくのが遅すぎた。
「こんなことで悩ませて、すみません」
青八木くんが、私がしたいと言った話をどんなものだと想定していたのか。
今思えば、彼は今日一緒に帰る間、ずっと何かを考え込んでいたのだ。
「え、あ……いやっ」 「でも、こんな私とか言わないで下さい」
そうじゃないと声を上げる前に、
「ミョウジさんは素敵なひとです」
彼がかすかに笑いながらそんなことを言うから。
「!」
心臓が鷲掴みにされたように、その笑顔から目が逸らせなかった。
「……それだけはわかってください」
消え入りそうに細い、祈るような声。 そんな切実な声で願うのが、よりによって私が自身を卑下しないことだなんて。
「あ、ありがと……っ」
途端、泣き出しそうになってしまう。
図らずも、この目の前の優しい少年が、どれほど私を大切に想ってくれているのかを知って。
鼻がつんと痛んで、息を詰めた。
「…………はい」
真正面から彼の言葉を受け止め揺れ動く私に、依然寂しそうな顔の青八木くんは、それでも少しだけ満足げに目尻を緩めて小さく呟く。
「じゃあ……行きましょ」
夜闇に消え入りそうな微笑み。 苦しくなるほど一途な想い。 呼吸を忘れるほど美しい、静かな横顔。
次の瞬間、
「っ、て!違うよっ!」
私は叫ぶように彼の肩を掴んでいた。
「!」
びくりと揺れる肩は、予想に反してしっかりとしていて。 年下の、可愛い後輩の男の子って認識を易々と塗り替えるようだ。
「青八木くんっ私のこと好きなんでしょう!?」
「は、はい」
驚きに見開かれた双眸に自身が映る。 それを何より、望んでいた。
悲しい顔なんてもう見たくない。 そんなことを思うほどには、このひと月で、そして先ほど交わした僅かな会話の間でさえ、私の中で彼は大きく育っていってしまっているのだ。
「それだけわかってってなに!?好きならちゃんと返事聞いてよっ!あの日っ私……言ったじゃん!次は優しい恋がしたいって!」
本当はもっときちんと、お礼を伝えて、私も君を好きになりたいよと伝えたかった。 だからお付き合いしましょうって、言いたかった。
なのに、実際蓋を開けたらこんなことしか言えなくて。
「!」
青八木くんが戸惑うのも無理はないと思う。
「そんなの青八木くんとに決まってるじゃん!私っあの日から……っずっと!」
あの日からずっと、私にとって青八木くんは大切な恩人だ。
けど、それだけの存在だったら私は今日彼の視線から外れることを恐れた筈がないし、それだけの存在だったらこんな風に気持ちが高ぶって、涙なんか溢れてきそうになるわけがないんだ。
人生最低の日を彼が魔法みたいな指先で優しい記憶に変えてくれた。 たったそれだけのことだなんて吐き捨てられないから、私は――。
「ミョウジさん」
私が肩を掴んだ手の甲の上から、そっと伸びてきた青八木くんの手のひらが包み込むように握って、恐る恐る確かめるように力を込めてくる。
「っ、青八木くん……っ」
温かなそのぬくもりに胸が熱くなるのに、どうしてこんなにドキドキして、苦しくなってゆくのだろう。
「好きです」
真っ直ぐな視線。 瞳の中で揺れ動く激情。
「俺を好きになってください」
静かな声が切実に思いを告げて、
「……っ!」
私の心臓を打ちのめしてゆく。
「俺と付き合ってください」
真剣な声色は聞いたこともないほどしっかりとしていて。 ぼんやりと、ああ、この人はきっと、普段は窺い知れない奥底に芯の強さを持ち合わせた男の子なんだと思った。
「うん……っ彼女にしてください」
そんなところも、きっと大好きになっていく予感がするなんて、おかしいだろうか。
「っ!はい……大事にします」
感情の起伏の読みにくい彼の見開いた瞳の奥で揺れる歓びの色に、胸は締め付けられるのに。
「うん、ありがとう」
私まで嬉しくなって、微笑めば彼は微かに涙を滲ませる。
単純に嬉しさが二倍になってしまったような、二人で天まで昇ってゆくようなふわふわした心地で。
お付き合いするってだけでこんな優しくて愛おしい気持ちになるのに、今後どんどん膨れ上がる想いを抱えきれるだろうか。
そんな危惧すら脳裏をよぎった。
「っ、夢……みたいだ」
涙に潤む瞳でそう言われると、心臓がキュッとなって。
「じゃあ、確かめてみる?」
一歩を踏み出せば、まぶたの裏は淡い花の色をしていた。
「……っ!」
長い前髪から辛うじて見える額に、そっと唇で触れてみる。
「へへ、前おでこにキスされたから、お返し!現実味あった?」
「…………」
すると、青八木くんがピクッと反応してから動かなくなってしまうではないか。 機械かなんかならフリーズしたみたいに瞬き一つしない彼に、不安になって。
踏み出した一歩を巻き戻すように、
「あ、れ……青八木くん?って、わあ!」
そっと距離を取ろうとした。
瞬間、私の手を包み込むように掴んでいた青八木くんが、その手を思い切り引いて。
その身にダイブする羽目になる。
彼の身体に立てかけるように置かれていた自転車が、その反動で道に転がる音がした。
でも、あまりの驚きでそんなことに言及することも出来ない。
耳元には青八木くんの壊れそうな心臓の音と苦しげに吐き出された吐息。
「…………ナマエさん……」
優しい声が私を呼んで、
「っ!」
そこでようやく、自分が道の真ん中で抱き締められていると気が付いた。
「俺もキスしたい、です」
囁きは甘やかで、脳みそを溶かしてしまいそうだった。
「……うん。して、はじめくん」
小さく微笑みながらこくんと頷いた私は、その二秒後に知ることになるのだ。
可愛い後輩の彼は、優しいだけの男の子じゃあ無いってこと。
それから、そんな彼をもっとずっと好きになってゆくのだということも。
恐ろしいほど、狂おしいほど。
知るのである。
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