PDL | ナノ
Happy holidays





部室内。
12月も後半になると、暖房をつけていても部室内は肌寒くて。

制服の上からジャージを羽織るなんていう意味のわからない格好をしたまま、同じ部内の見慣れた面々と円を描くように座って顔を見合わせる。

「歌が止んだ時に持ってたプレゼントが自分のなー?」

部活終わりにクリスマスパーティーという名のどんちゃん騒ぎ。
その最後にプレゼント交換なんてありがちなイベントが計画されていた。

1500円以内でマネージャーと選手、つまりは男女どちらでも使えるプレゼントであること。という条件は一週間前に公表され、私は同じマネージャーの幹と共に頭を抱えながらもなんとかプレゼントを選んだ。

「もし自分のやつと被っちまったら誰かと交換するか潔く自分からのプレゼントを受け取ってくれ」

そう、部長である手嶋さんが言って、彼の携帯から定番のクリスマスソングが流れる。

その間右隣の人からプレゼントを受け取り、左隣の人間に自身の持っていたプレゼントを渡す。などという、バカみたいな絵面の流れ作業。
その果てに音楽が止まった瞬間、私の手元には自身が用意した紙袋が乗っていた。

あちゃー。なんて脳内で苦笑いながら、開始前に手嶋さんが言った一言を思い出して、

「あ、すみません私、」

声を上げる。

と、

「ナマエ」

丁度正面の辺りにいた手嶋さんが私を呼んで、

「俺も自分のだから交換しようぜ」

手元の紙袋を掲げて片目を瞑った。

そんな気障な仕草も妙に似合ってしまうのが、我らが部長手嶋純太という人で。

「へ!あ、はい!じゃあ……」

その見事なウインクに見惚れそうになりつつ、手元のプレゼントを差し出せば、

「はい、ナマエ。……メリークリスマス!」

満面の笑みで袋を手渡される。

「あ、ありがとう……ございます」

そんな笑顔に、私がどれだけ苦しくていたたまれない気持ちになってしまうのかなんて、彼は知る由もないのだろう。

一瞬、事故みたいに触れて離れてゆく手嶋さんの指の感触に、脳が揺れた。


「よーし!他の奴らは大丈夫そうだなー?じゃあ各自帰ったら開けろよー!」

そんな息苦しさを必死に抑え込んで、情けなく眉尻を下げそうになりながら意識して平静を装っている。と、

「いやいや!せっかくやし一人ずつ順番に開けていきましょうよー?」

その場を締めようとした手嶋さんの言葉に、鳴子が食い下がる。

なんて生意気な後輩、と思うけれど、

「え、いやいや、家に帰ってからのがプレゼント感あっていい」
「純太!プレゼント交換は皆の前で開けるところまでがプレゼント交換だ!」

まさかの青八木さんまでもが鳴子の意見に同意して。

「あ、あー……青八木ぃ……」

部長の情けない声が響く。

なぜ、彼がそんな声を上げるのか。
その理由になんとなく予想が付いてしまった私は、

「さあ!開けるぞ!まずは俺からだ!」

珍しく張り切る青八木さんに苦笑いながら、胸の高鳴りを無視出来ずに息を吐く。





男女兼用で1500円以内という条件を設けていたお陰で、悩んだのは私達だけではないらしい。
思案した果て、ネタに走る輩が非常に多くて、隣に座った幹が引き当てたプレゼントは、んまい棒1500円分という恐ろしいものだった。

「次はーっと、ナマエのやつやな!」

ひとしきり皆で笑い合って、その笑い声の波を裂くように、鳴子が言う。

なんであんたが仕切ってんの?って言いたいところだけれど、いつもならこういう場を取り仕切る彼は、さっきから気乗りしてない様子で。

「ああ、うん。えーっと、これは……」

なんだか私までシュンとしながら紙袋から取り出すのは、ピンク色のラッピングを施された箱。

無地の茶色の、本当になんてことない袋から出てくるには、やけに可愛らしいラッピングが施されていた。

「リップとハンドクリーム?」

その中央に結ばれている大きなリボンを解いて、宝箱みたいに綺麗な箱を開ける。と、中から現れたのは白を基調に愛らしい色合いでデザインされた女子の必需品。

「はあ?なんやそれ!いかにも女子っぽいチョイスやなー!」

「確かに、ピンクだな」

「ラッピングも可愛いですねー!」

それに対して、鳴子、今泉、小野田くんがそれぞれ何かしら言うのを聞きながら、

「…………」

私は何を言うことも出来なかった。

これが例えば、幹が選んだプレゼントとかだったのなら、可愛い!ありがとう!とお礼を言って、微笑み合うだけで済む話かもしれない。

けれど、

「あれ、でもこれって手嶋さんのチョイスっすよね?」

「あ、あー……まぁなー……」

このプレゼントを選んだのは、たった今も鳴子に指摘されて気まずそうにしている彼なのだ。

「なんでこないな可愛らしいもん選んどるんすか!?男子の選ぶプレゼントちゃいますよ!」

と、鳴子は続けてツッコミ。

「手嶋さん……自分が受け取るんじゃないんですからもう少し皆が使えるもの選びましょうよ……」

そう言う今泉は呆れた顔をしている。

「ま、まあ!結果的に使ってくれそうなやつの手に渡ったんだからいいだろ」

それをうまく窘めて言う手嶋さんをちらりと盗み見れば、困ったように下がった眉が、胸が締め付けられた。

「ほんま、ナマエが貰たからええけど」

そんな風に眉を顰める鳴子に、

「は、はは……」

乾いた笑いが漏れる。


皆でプレゼントを回している間、手嶋さんがふざけてプレゼントの順番を変えて渡したりしているのを、その時こそ楽しそうにしてるな、なんて呑気に思っていたわけだけれど。

彼が用意した曲に合わせてプレゼントを回したのだから、彼だけはその曲の止まる瞬間を知っているのだ。

手嶋さんは頭の回る人だ。
だから、自分が思うプレゼントを渡したい人間に渡すくらいのこと、やろうと思えばいくらでも出来てしまうのだとは思う。


きっとこのプレゼントは、初めから私に渡す為に用意してくれていたものだった。





全員分のプレゼントを開け、ひとしきり盛り上がったプレゼント交換を終え、散々楽しんだ後に。

学校の敷地までお兄さんが迎えに来ていた幹が、一緒に乗ってく?なんて声をかけてくれた。

のだけれど、

「ナマエ、ごめん!ちょっと頼みたい仕事あるんだけどあとちょっとだけ残れたりしねぇ?」

背後から掛けられるのは、いつだって私の胸を鷲掴んで離さない、唯一絶対の声。

「……っ!は、はい!大丈夫です!」

ビクッと大袈裟に背が震えるけれど、振り返るのと返事をするのは同時で。
私に選択肢なんかなかった。

彼の頼みを私が断るわけがなかった。
なんなら、この人のオーダーを叶える為に私は存在しているのではないかと思う瞬間すらあるほどに、敬愛し、尊敬し、陶酔している自覚があるほどだ。

「仕事なら私も残りましょうか?」

そう幹が言うのも当然のことで、マネージャーは私と彼女の二人。
もしもマネージャー業務があるのなら幹も一緒にやるのが筋というものなのだけれど、

「ああ、大丈夫。そんな時間かかるようなことでも無いし、ナマエ事務作業早いし、ちょっと付き合ってもらえば十分だ」

そう言う手嶋さんに迷いは無くて。
初めから私だけを呼び止めるつもりだったことなんか明らかだった。

その上、

「わかりました。……あ、でも、こんな時間だしナマエ、帰り」
「俺が責任持って家まで送り届けるから心配しないでくれ」

自分が帰ったら私が帰り道一人になると思ったらしい幹が心配して何事か言おうとするけれど、それを遮って片目を瞑った彼は得意げに言う。

送り届けるなんて一言に、

「え、そんなっだ、大丈夫です!私家近いので!」

咄嗟に声を上げる。けれど、

「だったら俺が送って行っても特に面倒にもならないから大丈夫だろ」

「え、あ……」

ニヤリと笑う彼に言われてしまえば、二の句も告げない。
この人に口で敵うわけがないのだ。

きっと私はそんなことわかっていて、それでも迷惑をかける自分が嫌で声を上げたにすぎなかった。

そんな自分の浅はかさに気がついて顰めた眉に、

「ナマエ、たまにはお願いしちゃえば?手嶋さんもこう言ってくれてるし」

幹はそんな風に言う。

幹は知っているのだ。
私が、もうずっと前から手嶋さんを好きだということを。

だから、彼の負担になりたくないと願う私を知りながら、こんな機会めったにないのだから甘えてしまえと微笑む。

「あー……う、うん」

そんな微笑みの意味に苦しくなりながら、

「じゃあ、手嶋さんよろしくお願いしますね!」

「おう!任せとけー」

念を押すように一言付け足して去って行く、幹の後ろ姿を見送る。と、

「…………」

「…………」

走る沈黙は重くて、戸を閉めても隙間から漏れてくる冷たい風のよりもよっぽど心を寒くさせる。
なのにドキドキと煩い心臓は、空気ってものを少しも理解していないのだろう。

「……そんな、俺と二人きりになりたくなかった?」

ぽつり、その沈黙を破ったのは手嶋さんの呟きで、

「え、」

その話の突飛さに意味がわからなくて目を瞬かせる。

すると、

「だとしたら……ごめんな」

困ったように下がる眉。
悲しげに俯く彼に胸が痛んで。

「〜〜っそんなわけないですっ!」

叫ぶように言ってその手を掴めば、

「……!」

驚いて顔を上げた手嶋さんと正面から視線がかち合う。

「た、ただっ手嶋さんの前でどんな顔したらいいのかわからないっていうか、緊張するというかっ」

と、それだけで情けないくらい高鳴る鼓動は、どうしようもなくこの人を好きだと言うようで。
感情の高ぶりに呼応するように声が震えて、しまいには涙が出そうになるのだから、救いようがない。

「……なんで?今までに二人きりのシーンなんかいくらでもあっただろ」

そう言う声は硬くて、どこか冷たく。

「そ、れは……そう、ですけどっ」

私が彼を好きだっていうこと、本当は二人きりで話をする度にどれほど幸せな気持ちになっているのかとか、その深い色の瞳に見つめられるだけで自分が少女漫画のヒロインにでもなったような錯覚を覚える不思議すら。

もっと上手く伝えなきゃ。

緊張してしまうのは、大好きな手嶋さんとお付き合いしてるなんていう事実に、脳が痺れてしまいそうになるくらい、私があなたを好きだからだということを。

そう思えば思うほど、口を出るのは苦々しい言い訳のようで。

唇を噛み締める――その時だった。

「…………これじゃあさ、付き合う前の方が距離近いんじゃないか」

手嶋さんの放った言葉は、私を内側から引き裂くようで、

「……え?」

バカみたいに漏れた声は他人のもののようにすら感じる。

滑稽なんて言葉で言い表すには足りないだろう。

「もし、ナマエがこうやって二人でいるのとかキツいんだったらさ、今まで通り先輩後輩の仲に戻るのもあり……なのかもな」

「え……手嶋さ……?なに、言って……?」

だって、彼の言う言葉の意味が、わからないのだ。

唯一悲しいくらいわかるのは、この人の瞳が、声が、呼吸までもが好き。などという、日に日に手がつけられなくなってゆく自身の恋心なのだ。

「付き合うの、やめる?」

「……っ!」

言いながらかすかに頬を緩めた手嶋さんは、何を考えているのか。そんなことはわからない。

「別に今までの関係だって、悪くなかったし。ナマエが、同じ部内で付き合うの気まずいなら、それでも」

けれど、

「……やです」

「え?」

「嫌ですっ!別れません!」

自分の気持ちだけは、よくわかる。

「私、面倒臭いですか?みんなにバレたら冷やかされそうで嫌とか、我儘言ったから」

逆を言えば自分の気持ちしかわからないのだから、せめてこの想いを伝えようと思った。

「な、ナマエ?」

私は口下手で、あまりお喋りな方ではないから。
手嶋さんが戸惑うのも無理はない。

「それならみんなの前で付き合ってるって宣言してもいいです。手嶋さんがそうしたいならっもっと恋人らしく振る舞えるように努力しますっ手嶋さんの恋人としてふさわしくなれるように」

ずっと好きだった。
ひたむきな人が報われて欲しいと願う以上に、彼の幸福を祈った。
届かない人だって思っていたし、叶わない恋だって決め付けてた。

けれど、あの日手嶋さんは確かに私に俺と付き合う?って訊いて、私は真っ赤になりながら首を縦に振ったのだ。

手に入れた奇跡みたいな両想いを手放すには、大きく、重過ぎる想いがあった。

「ちょ……っ!ちょっと待てお前何言って」

眉根を寄せて困惑する手嶋さん。
ずっと、密かに隠し通して来た恋心は、傷つくのが怖かったのも確かだけれど。
それでも、一選手として努力しながら曲者揃いの部をまとめ上げる苦労を背負う手嶋さんを、これ以上悩ませたくなかったのだって本当だった。

なのに、

「だから、別れるとか言わないでください……っ!」

私はいつの間にか、とんでもなく我儘で自分勝手な女になっていたんだ。

「今までの関係になんか戻れませんっ!私が手嶋さんをただの先輩みたいに扱えたのは、本当は毎日すんごく我慢してただけなんです!だからっ一度は恋人になれて!夢が叶ったのに!今更今まで通りになんて戻れませんっ!!わ、たしっ私は!」

昔のようになんて、きっと無理だ。
一度味わってしまった蜜の味は、どんなケーキより甘い。

好きな人と付き合える。
部活動に支障が出ないようにと、付き合ってるなんて言ったら鳴子あたりにからかわれて手嶋さんに迷惑を掛けると思って。
念には念を入れて、手嶋さんは親友の青八木さんにすら、私も同じマネージャーの幹にすら付き合っていることを言っていなかった。
だから、私達が恋人なんて甘い関係であると証明するものはお互いの意識の他に無い。

そんな危うい関係でも、私にとったらどんなものに代えても失いたくないもので。

もう、過去の無欲なふりなんか出来ようがなかった。

「ナマエ、もうわかった。俺が悪かったから」

「〜〜っでも!」

聞き分けの悪さを窘められるように言われると、どうしようもなく悔しくて。
まだ伝えるべきことがあった、はずなのに。

「これ以上可愛いこと言われたら、俺……変なことしちまいそうだからさ、」

手嶋さんは困ったように言いながら、私の手首を掴んで、自身へと引き寄せる。

「!」

すると、いとも簡単に飛び込むことになる彼の薄い胸。

手嶋さんの骨格、筋肉、微かな汗の匂いすら感じ取れる至近距離に、驚いて息を呑む。


「黙って」


囁くように言われて、またひとつ、ゆっくりと縮まる距離。
熱っぽく見つめられれば、絡む熱情に胸が焼け焦げてしまいそうで。

逃げるように目を瞑れば、逃がさないとばかりに追って、柔らかく唇に触れる感触があった。

「……き、キスはっ変なことじゃないんですか、ね?」

息が出来なくなるほどゆっくりと触れて離れた感触に、恥ずかしさで顔が燃えそうで。

回らない頭のまま、視界いっぱいに手嶋さんなどという光景に目が泳ぐ。

と、

「……嫌?」

手嶋さんの呟きに、そんなわけはないと首を振るけど、

「いえ、あのっ嬉し……っん」

その言葉もまた、唇に掻き消されて。

「あんま煽んないでくれよ。俺、そんな我慢強くないからさ」

何処か切なげに眉を寄せて言う手嶋さんを見ると、大概私も我慢強くないかも、なんてぼんやりと思った。


もっと深く、もっと強く、この人を好きになってしまいたいだなんて。





ロードを片手に押して歩いてくれる手嶋さんが、なんでもないことのように私の手を取るから。
自転車と私を両手に抱えるなんて、貪欲な人だなあ。なんて、生意気な思考を働かせた。

「……このハンドクリーム凄いいい匂いしますね」

12月も終盤、年の瀬も見えてきたこの頃は、夜ともなればかなりの冷え込みだった。
けれど、私の右手はさっきから手嶋さんに握られてポカポカ。
それどころか、時折感触を確かめるようにぎゅっと握ったかと思えば、掌を擽るように悪戯に触れられたりして、なんなら火傷でもしそうなほどに熱を持つ。

「んー?だろー?」

何処までも余裕な歳上の彼に、悔しくなる気持ちがないかといえば嘘になる。

でも、見上げる手嶋さんの頬も明らかに赤くて、それが寒さだけの所為とは思えないからいいのだ。


「あ、リップも同じ香り……柑橘系とか珍しいですね?」

可愛らしいラッピングの中身の可愛らしいリップとハンドクリーム。
ほのかに香るのはシトラスで、甘ったるい香りが苦手な私でも素直にいい匂いだと思えた。

「んー、まあな。結構探したし」

「え?そうなんですか?」

「おー」

多忙な手嶋さんに、そんな風に探し回ってもらえるなんて、ケア用品の分際で羨ましい、とか。そんな危ないことを考えたりしてない。大丈夫。

……ちょっとしか考えてない。大丈夫。


「マネージャーの仕事って水仕事多いだろ?だから、ナマエの手が真っ赤になってんの見て、ハンドクリームあげたいってずっと思ってた」

好きな人がそんな些細なことを気にしてくれたことが嬉しかったし、相手を見つめているのが自分だけではないのだと思ったら、抗いようもなく胸がキュンとなる。



「そ、それは……ありがとう、ございます」

手嶋さんの目に自分はどう映っているのだろう。
付き合おうなんて言ってもらえたのだし、こうやってクリスマスプレゼントを用意してもらえるくらいだから、少しは特別に想われていると自惚れてもいいと思う。
さらには欲深にも、少しでも可愛いとか思ってもらえたらいいな。なんて考えてしまって、風で乱れた髪を手櫛で整えてみる。

と、

「……でもリップは、下心だぜ?」

「へ、」

にやりと口角を上げた策士の顔に、間抜けな声が漏れた。

「よく……ファーストキスはレモンの味するっつーだろ?」

淡々とした口調で言いながら、

「あれって、甘酸っぱい思い出っつーか。そういう比喩表現でもあるとは思うんだけど、さ」

私の顔を覗き込む手嶋さんは瞳の奥をギラギラさせていて。

「ナマエの初めての思い出も、そんな風ならいいなって。思っちまったんだよ」

そんな顔今まで見たこともなかったから、

「……っ!」

どくんと大きく胸が鳴る。

小さく身動いて歩みを止めた私に、

「……なあ、俺……結構キモいこと言ってんなって自分でも自覚あんだけどさ?そういう顔されると、満更でもねーのかなって勘違いしそうになんだけど」

後頭部を掻きながら言う手嶋さんは、僅かに気まずそうにしながら目を逸らす。

「……さっき、フライングしたじゃないですか」

口先だけで咎めるように呟けば、

「あー……それは、まあ。悪いな、我慢出来なかったんだよ」

拗ねた子どもみたいに言う彼が、なんだか少し可愛くて。
またひとつ新しい魅力を知り、深みへ嵌ってゆくのを感じる。

「……レモン味っていうより、香りになっちゃいますけど」

素直に嬉しいって言える自分なら、そう思う悔しさは体の中に燻るのに、

「そうだな。なんなら帰りに飴でも買うかー?」

目の前でニヤリと笑う手嶋さんは私の本心なんか見透かしているのだろう。

「我慢、出来ますか?」

だから私も見透かすように、上目遣いで口角を上げれば、

「ん、無理」

すぐに降ってくるキスは余裕が無くて。

「はっ……ぁ」

いつでも余裕な手嶋さんが、自転車以外にこんな風に夢中になってくれるのなら、それこそ私はなんだって差し出してしまう気がした。





長い長いキスの後、腰が抜けて道路にしゃがみ込んだ私をナイスキャッチした手嶋さんは、酷く楽しそうに笑いながらごめんって言った。

その顔が全然ごめんって顔じゃなくて、私はこれから何度この悪びれないごめんを聞くことになるのかなって、ちょっとだけ未来に想いを馳せてみたり。


「今日、こんなことしたのは、ナマエのプレゼントを他の男にくれてやるとか癪だったからなんだけどさ」

こんなことというのは、わざわざ部内のプレゼント交換であんな裏工作をしてまで私にプレゼントを渡し、さらには私のプレゼントを受け取ったことなのだろうけれど、

「俺、欲しいものがあるんだ」

手嶋さんは欲張りにも、まだ欲しいものがあるらしい。

「……?欲しいもの?」

「うん」

その煮え切らない口調に首を傾げれば、手嶋さんの眉はハの字になる。

「……明日部活休みだよなー」

「へ?は、はい……」

その言葉の唐突さに、元々頭の上に浮かんでいた疑問符が二、三増えるようで。
あれ?欲しいものの話、終わり?なんて目を瞬かせる。

と、

「ナマエはなんか予定ある?」

またしても脈絡無く問われる、明日の予定。

「え?いえ、特には?家でケーキ食べるくらいですかね?」

手嶋さんという人は、口が上手くて基本的にわかりやすく話しをする人で。
こんな風に要領を得ない話し方をするなんて、あまりあることじゃなかった。

だからって、

「……じゃあさ、ケーキ食べるのナマエん家じゃなくてもいいかな?」

「え?どういう?」

「俺、クリスマスに可愛い彼女とデートすんの夢なんだけど」

「!」

彼氏にここまで言われてから肩を揺らす私は、一体どれだけお間抜けなのだろうか。


クリスマスイブに交わしたファーストキスは、緊張と興奮で味なんて感じる暇もなかった。

けれど、

「俺とケーキ食べに行こーぜ?ナマエ」

明日はもしかしたら、とびきり甘い味がするのかな、なんて。
期待してしまったならもう、選択肢なんて一つしか存在しなかった。

「……はい」

私も手嶋さんとデートするのが夢だったんです。
そう微笑んだら、煽んなって言ってんだろ。そう口先だけで怒ってくる手嶋さんが、困ったように笑った。




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