PDL | ナノ
Want to see your face



部活の終了時間はとうに過ぎている。
幹は家の手伝いもあるみたいで、とっくに帰った。

けれど私はまだ帰らない。
ひとりきりの部室は何処までも静かで、普段の男子部員達がギャーギャーとやかましい空間とはまるで似ても似つかない。

家は学校の近くだし、帰りは歩いて15分ほど。親は放任主義だから多少遅くなるくらい気にしない。
それに、まだ帰れないんだ。

……部長が部室の鍵を持っている。
部室を開けたまま空には出来まい。


「おーい!ナマエ、ティータイムだ」

ガラリと部室のドアを開けるなり、その人は言った。
汗だくだし、脚はフラフラ。
そんな様子で強がってるみたいに飄々とした表情を作ろうとするのは、無理があるなあって私は思ってる。

「いや、走ってきたならまずスポーツドリンクですよ、手嶋さん」

そう言って立ち上がると、ドリンクとタオルを持って近寄った。
微かにする手嶋さんの匂い。きっと本人は気づいてないんだろうな。自分の匂いってそんなものだ。

「もう飲んだ」

タオルしか受け取ってくれない手嶋さんは言う。
この口調は多分、本当だ。そう判断してスポーツドリンクを置いた。

「じゃあ、」

ティータイム済んでますよね?そう続けようとする私をスルーして椅子に座る手嶋さんは、

「でも事務作業するんなら俺は、ナマエの紅茶が飲みてーなー」

ぐったりしたままそんなことを言う。

「…………」

「そんな顔すんなよ。ちゃんと水分取りすぎないようには気をつけてる」

そういうことじゃないんだけどなあ。この人は。まだやるの?確かに部長ともなればやらなきゃならないことはたくさんあって、私達マネージャーが代わりにこなせるものばかりじゃない。

いつだって部の様々なことを決めていかなくてはならないのは、部長であるこの人だけだ。

その重荷は彼にしか背負えない。
その事実が重くって、私が何も言えないんだってことなんか、きっとこの先輩は気づいてないんだろうな。

「なら、いいです。そこにある水筒に入ってるので好きに飲んでください」

手嶋さんが作業する時に使っている机の上には、私が毎日持ってきている紅茶の入った水筒が置いてあった。

私用のものは別にあるので、これは対部長用。

「おー。いつもサンキューな」

そう言って手嶋さんが手をつけた紅茶は、私が朝丹精込めて丁寧に丁寧に淹れたものだ。
紅茶って手軽にティーバッグとかもあるけどね、あれはお母さん曰く色水。

お茶にはうるさい母の元に育って、お茶を淹れるのだけは自信があった。
無駄な特技。それをまさか、自転車競技部のマネージャー業で生かす日が来るとは。
幹に誘われて仮入部した当時の私は、知る由もない。





それから、どれくらい時間が経っただろう。
手嶋さんが私の水筒の紅茶を全部飲み終わる頃には、今日の部長の仕事も大方片付いたようだ。

「なあ、ナマエ」

気付いたら手嶋さんが頬杖をついて私を見つめていた。

「はい、どうしました?」

いつから見られていたのだろうか。
全然気づいていなかったこともあり恥ずかしかった。

変な顔していなかっただろうか。

「お前それ何やってんの?」

その一言でわかったのは、どうやら手嶋さんは私の手元に興味があったでてこと。見られてるだなんて、自意識過剰もいいところだった。

「あ、ああ。これはまあ、フェルトで皆にお守り作ってます」

それは、中学の時の運動部でよく皆で作りあって交換したような、フェルトを切って縫い合わせ、中に綿を入れた簡単な作りのものだった。

「へえ、器用だな」

そんな粗末なハンドメイドを、まさか手嶋さんに褒められる日が来るとは。

「レース中邪魔にならないものって中々難しいので、もしつけて邪魔そうだったらいつでも捨ててって、鳴子には言っときました」

そしたら鳴子は、カカカってあの特徴的な笑い声で笑ってた。割とうるさかった。

「いや、いくら鳴子でもナマエのお守りは捨てねーだろ」

「そうですか?」

「ああ、大事なマネージャーだしな」

そう言って目つきを緩める手嶋さんは、知らないんだろう。
後輩として、マネージャーとして、それでも大事だなんて一言に、私の女の子の部分がどぎまぎしちゃうってこと。

「……へぇ、みんなモチーフ違うのか」

ぼうっとしてしまっていた。
気づけば手嶋さんは立ち上がって、私が作業中も隣に置いていたトートバッグの中を覗き込んでいて、

「うさぎ、とら、ほし……」

「あっそれは、幹と話して、皆のよく着ているTシャツのデザインとかで決めたんですけど」

そこまで話して、ハッとした。

「へー!凝ってるな!」

「あ、いや……全然」

目が泳いでしまうのは、やましいことがあるから、だ。
どうか見つからないで。というか手嶋さん自分の仕事に戻って!

なんて、私の祈りなんか虚しく。

「ん?おお!ハートもあるじゃないか!これは誰のだ?」

手嶋さんはトートバッグから可愛らしいハートの形をしたお守りを取り出す。

「あー……手嶋さんです」

「え……?」

そう言って手嶋さんの方を恐る恐る覗き込むと、もともと大きな手嶋さんの瞳がさらに見開かれている。

そりゃそうだ。手嶋さんがハートのTシャツなんか着てるの見たことない。

「手嶋さんのモチーフ、始めは青八木さんと色違いの星とかにしようって話してたんですけど、その、私の独断でハートにしてしまって」

あーやばい。
私は手嶋さんの顔を見続けるのが怖くなってしまって、思わず顔を伏せた。

まるで、悪戯がばれて怒られている子どもみたいに。

「手嶋さんは、総北の心臓だから」

そう口にするだけで、私は物凄くエネルギーを使った。
心からの言葉だけど、本人を前に言うには少し照れくさすぎる。

「心臓……」

手嶋さんがハッとしたように呟いて、思ったより引かれてないかな、なんてほっと息をついて、

「ハートなんて、可愛すぎる気はしたんですが」

そう口にした。

手嶋さんは総北の心臓だから、ハート。
それは本当だ。だけど、ハートにした理由は多分、それだけじゃない。

一針一針、込めてある想いは、きっと他のモチーフとは違ってしまってる。

だなんて、言うつもりはないけれど。

「もし嫌だったら、作り直しますけど」

手嶋さんが何も言わないことに不安になった私に、

「あ、いや!大丈夫だ。ナマエの口からそんなこと言われる日が来るとは思ってなくて、ちょっと感動しちまっただけだ」

なんて眉を下げて困ったような顔で笑う。

その顔に、ズキンと胸が痛んだ。
きっと、私が告白なんてした暁には、こんな顔でごめんなって言われるのを分かっているから。

「そうですか」

……気づいてるのかな。
私の気持ちなんか。あーなんでハートにしちゃったかなあ。
そんな後悔みたいな気持ちを必死に隠してそう言うと、

「……ハァーッ」

手嶋さんは大袈裟にため息をひとつ。

「…………」

迷惑なのはわかってるし、自重もするつもりだ。今回のことはまあ、私が暴走してしまった結果だから反省してる。
でもため息ってちょっと酷すぎるんじゃないだろうか。なんて勝手に傷ついて心中で非難する私。

と、次の瞬間。
伸びてきた大きな手に頭を撫でられた。

「えっあっちょっと手嶋さん?!」

驚いてあたふたする私の背後には、

「期待しちまったじゃねーか」

ひとの髪を子犬か子猫のような愛玩動物にするみたいに遠慮なく散らかす手嶋さん。

期待ってどんな期待……?

「ハートなんて、紛らわしいんだよー!ナマエ!」

そう言った部長の顔は見えない。

けど、そんなこと言われたら勘違いしてしまいそうになる。

「今は振り向くなよ、絶対」

手嶋さんは念を押す。
でも、私も期待してしまった。

「見せられないような顔してるんですか」

今までならあり得ないこと、だけど。
生意気な口をききたい。オーダーに背きたい。あなたの顔が見たい。


従順な後輩だった日々に、さよなら。




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