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夢見る少女
朝起きたら身体が怠くて、測ってみたら37.8度。
嘘っぱちの体調不良をでっち上げた次の日、私は熱を出していた。
「ごめんねー。病院、本当に平気ー?」
母は申し訳無さそうに眉をひそめるけど、
「全然大丈夫だよ。身体怠いだけだし、別に普通に食欲もあるから」
私はいたって健康と思われる。 ただ熱なんか滅多に出さないから母も慌てちゃって、休みなって言うからその言葉に甘えることにした。
「本当にごめんねー!じゃあお母さん夕方には帰るから!」
まあ熱は大したことなかったんだけど、依然身体はだるいし異様に眠くて。 このまま二度寝出来るなら幸せかもって思っちゃったのだ。
「うん、わかった。行ってらっしゃい」
まさか、あんな嘘を吐いた次の日に本当に熱を出して休むことになるなんて。
我ながら思い込みの激しい身体だなおい。
とはツッコみたくなるけれど、内心少し安心してしまってた。
月島はいつものことだけど、まさか忠に会いたくないなんて思う日が来るなんて。
私こんなんじゃ、生きてる意味ないじゃん。
*
だるいのになかなか寝付けずにいる私の元に、
今日休みだって!?お大事にしてねー!
仁花からメッセージが届く。
実は昨晩家に帰ったら、彼女からLINEが来ていて。 突然帰るって言い出した私がいかに青白い死人みたいな顔をしていて皆が心配しているのかってこと、もちろん自分も心配だからテスト前だし無理しないでね!と、わざわざ長文で送ってくれていたのだ。
今まで私達ってそこまで仲良しって感じじゃなかったのに、彼女のそういう思いやりに溢れててマメなところは、純粋に美点だなと感心しながら、
ありがとう、心配かけてごめんね
短く返す。
本当ならこんな長文に対して、こんな返信の仕方をしたら、考え過ぎな仁花のことだ。 きっとよくわからない考えを働かせて被害妄想でもしてしまっていることだろう。
けれど、谷地仁花の文字を見つめると、すぐに忠と笑い合う彼女の姿が脳裏に掠めて。 こんな優しさに見合う言葉を考えてみても、笑えるくらいなにも思い浮かばなかった。
悲しいけど、友人の優しさより、私自身の良心より、嫉妬心に身体を支配されてしまうのだ。
自分に呆れてため息が漏れた。
すると間も無くしてあんな返信にさえ丁寧に返事をくれる仁花。そのメッセージの中に、
山口くん、ナマエのこと本当に心配してたよ
私が帰った後忠が凹んでたという旨の記述があって、どきりとした。
彼に自分がしたことを考えたら、純粋に心配してくれる顔を思い出してどうしようもなく胸が痛くなる。なのに私の中には、自身がいない場所でも私なんかの存在を気にしてくれる忠に、嬉しくなってしまう気持ちがあるんだ。
ただの幼馴染のくせに。 打ち解け出したチームメイトに嫉妬してみたり、嘘で心配をかけさせてるような身の上で、私のこと考えてくれたんだ……とか、ときめいてたりとかして。
自分が如何にろくでもない女なのかってことを、またひとつ思い知るのだった。
*
月島は昨日どんな気持ちで他の男のこと考えて胸をいっぱいにしてる私を、あんな優しく抱いたんだろう。
熱に浮かされた思考回路は、本来ならすぐにでも忘れてしまいたいようなことを私に思い出させ、考えてもしょうがないことを考えさせた。
1度目の時も、かけてくる言葉や態度はいつもの神経を逆なでしてくる月島のものなのに、壊れ物に触れるような指先も、慈しむような眼差しも、どうしようもなく優しかった。
それこそ、私が大嫌いな月島を一瞬でも恨んだりする心を、忘れてしまいそうになるくらいには。 彼が私を想っているのだと気付かせるような、丁寧な行為だったと思う。
そして昨日も月島は、それはもう呆れるほどにゆっくりと時間をかけて私を解していって、それこそ死にたくなるほど優しく、私を抱いた。
あんな風に優しくしないでって言われても、相手が自分に少しも好意を抱かれていないってわかっていても。
相手が痛くはないか、辛くはないかと気を回すだなんて、バカらしいと思わないんだろうか。
だってそこまでされておいて私は、気持ちよかったかって訊かれたら、全然なのだ。
私は昨日行為中ですら、忠への罪悪感と月島への嫌悪感で、割と何度も吐きそうになったり泣きそうになってしまっていて。 体をまさぐられてる間も、なんだか他人事みたいに茫然と月島を見ていた。
それなのに月島の顔も、体温も、そういえばし始めてからなにを言われたのかだって、全然覚えてない。
もう私の中は容量オーバーで、行為中ずっと、何もかもがどうでもいいとさえ思えた。
だからきっと、私は気持ちよくなかったんだと思う。 変な表現だけど、濡れてても喘いでても感じてなかった。
でもこれからは月島のことをちゃんと見るって約束してしまった。
約束なんて言ったら何か大切なものみたいで腹立つけど、私はそれを了承した。
きっと真っ直ぐに向き合えば、大嫌いな男の心にも触れることになるとわかっていたけれど。
それでも、こんな意味のわからない状況から、晴れて自由の身になるために。
ついでに月島の不毛な恋にも、引導を渡してやるために。
なんて偽善的過ぎることを考えているうち、私の思考はようやっと眠りに掻き消されてゆく。
*
昼間に散々うたた寝みたいな浅い眠りを繰り返してあっという間に夕方になる。もう眠れないと思うくらい長時間眠った。
なのに体力が磨り減っているせいで、寝ようと思えばいくらでも眠れてしまうのが、熱を出してる身体の凄いところである。
帰ってきた母に半ば強制的に栄養と薬を摂らさせられ、また布団に突っ込まれてしまえば、いとも簡単に意識を手放した。
私は夢を見てた。
身体は熱で苦しい筈なのに、心の中はぐちゃぐちゃな筈なのに、 ひどく穏やかで優しい幸せな夢。
忠とふたりきり、いつか結婚しようねって指切りをする夢だ。
人は本来寝ている間、必ず夢を見ているものらしい。
けれど忘れてしまうのだ。 目覚めた瞬間、あるいは現実を生きている間に。
まるで小さい頃思い描いた将来の夢を、成長とともに誰もが忘れてゆくように。
普通はみんな忘れていく。
けれど忘れてしまうくらいなら、私はこのまま一生眠ったままで、忠と手を繋いでる夢を見ていたい。
なんて甘ったれた脳みそで、私は好きな人との幸せな夢にどっぷりと浸かっていった。
夢の中で手を繋いでいた幼い二人は、小学生になり、中学の制服を着て、ついには高校生になる。
大好きな彼が実際の何百倍の速度で成長してゆくのを、私はその隣でただ見つめていた。
小さい頃から変わらない、染まらない黒髪、頬のそばかす、三白眼。 けれどすっかり伸びきった背丈。 知らない間に私より大きくなったその手は、もう私の手を掴んではいなかった。
それでも。
「ナマエ」
夢の中で忠が呼ぶ。
きっとその声は平均的な男性のものと比べたら低くはないのだろうけれど、小さい頃から見てる私からしたら、すっかり男らしくなったと感じる。
感慨深い心持ちがした。
だって、小さい頃からずっと彼だけを見つめて生きてきたのだ。
その彼がこんなにカッコよくなって、
「ナマエ……」
すっかり声変わりした声で、それでも昔と少しも変わらない呼び方で私を呼ぶ。
その声をただひたすらに好きだと思った。 代わってしまう彼を寂しく思っていた頃もある。
けれど今は、どんなものでも忠のものならそれでいいと思ってる。 だからこの声がこれからとんでもない転機でもあってある日突然とんでもないハスキーボイスになっても、逆に甲高い女性的なものになる日が来ても。
きっと私は大好きに違いないのだと思った。
「ナマエ、寝てるの……?」
ふわふわと現実味のないその世界。
私達はそれぞれ、忠は烏野の学ランを、私はブレザーを着ている。
夢の中の忠は、現実と少しも見劣りせず、遜色ない。 それは私の脳が記憶している彼のデータ量の賜物と思われるから、伊達に幼馴染として彼ばかり見てきてないな、と自画自賛だ。
隣り合う私達の身長差は、幼い日々いつも手を繋いでた頃とはすっかり逆転してしまっている。
「……ナマエ……」
気がつけば私達は、もう手を繋いでない。
だけど、知らない間に行き着いていたキスしやすいと噂の身長差で、互いを見つめている。
「……ただ、し……」
小さく彼を呼べば、
「……っ!」
夢の中の忠はハッとして目を見開いて、それからそっと、震える指先で私の頬に手を当てた。
一層、意味深に絡み合う視線。
そして、私は何かを期待してるみたいに、音もなく瞼を閉じる。
と、
「……ナマエ……」
今まで聞いたこともないような甘い声で、私の名を囁いた忠が、
「んっ」
笑ってしまうくらい震えてる唇を、私のそれに押し当てた。
瞬間、これは夢なのに。
そこには確かに感触があって、温度があって、忠が息を呑む音も、私の心臓が高鳴る鼓動も、痛いほど鮮明に聴こえた。
ゆっくり、目を開く。
「……ナマエ……」
するとそこには、これでもかってくらい瞳を見開いて私を覗き込んでる、大好きな顔。
「…………ただ、し……」
ぼんやりしていた。 まるで深い眠りの途中で無理矢理誰かに叩き起こされた時のように、頭がぐわんぐわんする。
「……ナマエっお、起きっ!?」
そう言って私から飛び退く忠は、視線こそ私を見たままだったけれど、唇はわなわな震えているし頬は引き攣ってて。とにかく酷く狼狽していた。
「あ、れ……忠……?」
目を閉じて忠とキスをしたら、突然夢の内容が暗転して、さっきまでのふわふわしたよくわからない空間ではなくて、そこは私の部屋になってしまってた。
「あ、れ?なんで忠?私の部屋にい」
なにこれ、夢? それとも……?なんて首を傾げれば、
「ご、ごごごごごめんナマエっ!!」
吃るなんてレベルじゃない謝罪をしてくる忠。
「……っ!?」
その顔はもはや涙が滲んでいないのが不思議に思えるくらい、真っ赤な顔で慌てふためいている。
「あの、俺っナマエが休んでるって谷地さんに聞いて……っお、お見舞いって思って……っ!」
どうやら忠は仁花から私が学校を欠席したと聞いてわざわざ訪ねて来てくれたらしい。
「う……うん……あ、ありがと?」
ってことはこれ、夢じゃないのか……。
「おばさんがナマエそろそろ起きだしてると思うからって部屋入れてくれたんだけどその、お、起こしちゃったよねっ!本当っご、ごめんっ!」
なんだかついさっきまで夢の中だった所為で、説明されて尚イマイチ状況を噛み砕けていない私に、忠はひたすら申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。
「え……あ、大丈夫だよ。えっと、確かに寝てたけど、でももう起きるとこだったし、」
でもそんなこと謝らなくてもいいのに。
確かに私、もう夢から醒めたくないって思ってたけどさ、忠に起こされて怒ろうとか思うわけない。
わけないのに、忠は何かを言及されるのを恐れるように、
「そ、そっか!なんかナマエ思ったより元気そうでよかったよ!あ、これゼリー!食べれたら食べて!」
私の声を遮る。
そう言って彼が指差す先には、ローテーブルの上に小さめのコンビニの袋。 半透明のその袋からは、忠の言うようにゼリーと思わしき物体が見て取れた。
「え、あ、うん。わざわざごめ」 「じゃあ俺!長々いても邪魔だと思うし!もう帰るね!」
そして、わざわざお見舞い来てくれただけじゃなくて、ゼリーまで差し入れてくれるなんて……ちょっと申し訳ないと思って口にする謝罪さえ、突然の帰るなんて言葉に遮られる。
「え……でも」
でも忠、多分来てからそんなに時間経ってないんじゃ?とか、私別にそんなに重症患者じゃないから平気だよ。とか、そんな言葉を続けようとするのに。
「それじゃっ!お大事にぃいぃい!!」
自身の鞄を引っ掴んで奇声をあげた忠は、追い縋る暇もなく私の部屋を飛び出して行ってしまう。
すぐさまドアの向こうで忠が階段を駆け下りてゆく足音がして、かと思ったら降りた先で母と一言二言会話してから玄関を出て行く音がした。
それはもう、敵に尻尾を巻いて逃げるが如く迷いのない逃走。
「へ……」
その逃げっぷりに、私は何かとんでもないことでもしてしまったんだろうかと考えを巡らせる。
だって、ただ声かけて起こしちゃったってだけで、あそこまで狼狽えて、挙句帰っちゃうわけ無いよね。
だってわざわざお見舞い来てくれたわけだし、普通に考えたら少しは会話とかしてくれるつもりで訪ねて来てるはずだし。
それなのにあんな真っ赤な顔で逃げるように帰っちゃうなんて……。 よっぽど堪えられないようなことがあったとしか思えない。
けれど私は本当についさっきまで眠っていたし、起きてからも何か特別変なことなんてしてないはずだ。 だから私にはまるで思い当たる節がなかった。
というか忠は、私が起きた瞬間からもうすでに様子がおかしかった気が……?
そこまで考えて、唐突に思い出す、目覚めるまで見ていた夢の内容。
なんだか目を開けたら目の前に忠がいるっていうとんでもない状況に驚いてしまって、すっかり忘れていたけれど、やけにリアルな夢だった。
夢に忠が出てくることなんか、実際しょっちゅうだけど。 でもキスなんか出来ちゃう神展開はそうそうあるもんじゃなくて。
でも、それにしたってあのキスは夢の中でハッとしてしまうほどに生々しいものだった気がする。
だって、あんな、熱いなんて――。
「…………」
あれ、本当に夢だったのかな。
なんて考える私は、流石にちょっと夢と現実の境目が分からなくなってる可哀想な子で。
昨日忠に嘘を付いたこととか、月島の魔手から逃れるための契約をしたこととか、私がとんでもないクズ女だってこととか、とにかく考えなくてはならないすべての問題をすっかり頭から追い出した挙句、
忠が眠っている私にキスした?なんてバカみたいに妄想じみた考えに取りつかれて。
ひとりきりの部屋。 目を閉じて唇に指先で触れてみれば、私の心臓は一晩中高鳴ったままだった。
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