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黒尾鉄朗の希望



俺たちには幼馴染がいた。

ミョウジナマエ、俺と同い年の女。
ナマエは昔から頭も良くて足も速くて、勉強も運動も得意なやつだったけど、いつもどこか寂しそうなやつだった。

家に母親が殆ど帰ってこなくて、父親も仕事で夜遅くまでいないこともよくあった。

だから、俺はいつも引き篭もってばっかの研磨を連れ出すと、そのままナマエの家まで行って、時間の許す限り三人で遊んだ。

その頃の俺に何か特別な意志があったわけじゃない。

ただ、ナマエが、本当は寂しいくせに平気な顔して笑うのが、漠然と嫌だなと思って。だから一緒にいてやろうと思うだけだった。

小学生も後半になると、思春期なんてもんが皆に訪れ始めて。
ナマエは父親譲りの綺麗な目鼻立と母親譲りの穏和なのに芯の通った精神面で、男どもから下心を含んだ憧れを抱かれるようになる。

俺はというと、ナマエのことをもちろん綺麗な顔だとは思ったけど、別段熱っぽい感情なんか抱くことは無かった。

だって、相手は幼馴染だ。

今更恋だなんだって言いだしたら気持ち悪いだろ。

ナマエも、当然そう思ってた。俺や研磨と色恋なんて、毛ほどにも考えたことはないだろう。

けど、周りはそうは思わない。

中学校なんて閉鎖的な空間では、男女でいつもつるんでるってだけで実はあの二人付き合ってるんじゃないかとか、ナマエが俺と研磨を二人ともキープしてるんじゃないかとか、あらぬ噂もよく立てられた。

でも、ナマエはいつも平気な顔してた。私達のこと何も知らない人にテキトーなことをいくら言われてもさー、そんなのってどうでもよくない?なんていう口調は、夕飯はビーフカレーなのかチキンカレーなのかってことを悩む口調よりも本当にどうでも良さそうだった。

彼女のそういうところは、俺も研磨もすげーなぁとは思ってた。

思ってはいたんだけど、まさか、ナマエが酷いいじめに遭ってた事に俺らまで気付かないなんて、思わないだろ。

それは中三の終わりの頃だった。

俺は高校受験には苦労しなそうだったし、ナマエは内申点が最強クラスだったから推薦でもう音駒への入学を決めていて、二人とも呑気なもんだった。

けど確かに、最近ナマエは元気が無いようにも見えた。

でも、いつも通り朝、俺と家を出て、教室の前で別れて、放課後には教室の前あたりで自然に合流して。
帰り際いつも、何か考え事してるようにも見えるときもあった。

けど、俺は高を括ってたんだと思う。
ナマエが何か思い悩んだら、その時は俺に相談してくるはずだ。
その時になったら話を聞いてやればいい。
その時になったら、思う存分泣かせてやれば。

でも、その時なんて来ないままに、ナマエの両親の離婚が決まった。

しかも理由である父親の不倫、それが発覚した理由が最低だった。

ナマエが見てしまってた。実の父が、あろうことか自分の友達の母親とホテルに入って行く姿を。
証拠になった写真はナマエの携帯に保存されてたものだそうだ。

でも、ナマエは最後まで自分から父親にも母親にもそのことを話さなかった。

唯一、話してしまったのはその不倫相手の娘である友達で、その女子生徒はナマエと仲がいいと認識してた子だった。

それなのに、その子がナマエにしたのは、話を聞いただけで腸が煮えくり返るくらいの仕打ちだ。

ある朝ナマエの机が廊下に出されてた。不思議に思って首をかしげる俺に、ナマエはあー朝清掃するっつってたわー忘れてたーとか言って自分でその机を運んだ。

他にも、陸上部の集まりにナマエは呼ばれていなかったり、ある日上履きが無くなっていたり、体操服に墨汁がかけられていて借りに来たこともあった。

今思えば、疑問に思うべき点なんていくらでもあったはずなのに。

その時の俺は呑気に、ナマエは困ったら俺を頼るはずだ。だからあいつが大丈夫って思うのなら、こっちから働きかけるべきじゃ無い。
きっと変に気を遣わせるだけだ。

なんて、見つめるべきナマエの眉間の皺から、目を背けた。

そうして、誰にも助けを求めないまま、彼女は追い込まれていったんだ。

ナマエの担任に彼女の父親の不倫がバレたのは、ナマエをいじめていた張本人が炙り出された時だった。ナマエは一言も話してない。そいつが自身の行為の正統性を訴えるためにバラした。

それなのに、ナマエの母親は離婚はナマエの口が軽かったからだと、彼女を責めた。

俺と研磨は、ナマエが母親に呼び出されてるって聞いて、駅までの道のりを探し回った。

そして俺たちは初めてナマエが泣いているところを見たんだ。

その頃には中三とは思えない大人びた色気すら漂わせつつあった綺麗な顔は、原形を留めないほどぐちゃぐちゃだった。

彼女は一言、お母さんに捨てられた。と言った。

俺は衝動的にナマエを抱き締めて、研磨はただそれをずっと見守ってた。
もう春になろうってのに、やけに寒い日だったのを覚えてる。

三人でナマエの家に行くと、そこはどこまでも冷たい空間だった。
家に生気が無かった。

ナマエは今までこんな家で毎日生きてきたのかと思ったら、より一層悔しさが募った。

なんで俺は、ちゃんと向き合おうとしなかったんだろう。
あそこでナマエに嫌がられても真実を聞き出していたら、もしかしたらもう少しだけ、彼女の肩にのし掛かってた重荷を下ろしてやれたかもしれないのに。

それからナマエは事のすべてを話してくれた。

父親の不倫の証拠を消せなかったのは自分に全てを飲み込む勇気が無かった所為だってことも。
担任にいくら懇願しても、このことをなかったことにはしてもらえなかったことも。

泣いてるのに、彼女はどこか気丈だった。

情けないことに、ナマエが母親に受けた仕打ちとも言える罵倒の言葉を聞いた、俺らが滅入っちまいそうだったくらいだ。

ナマエはどこまでも、強い女なんだって知った。

そして、俺たちは唐突に別れを告げられる。

春から宮城に引っ越すことになった、と。音駒でマネージャーしてあげるって約束、守れなくてごめんね、と。


その頃、俺はただ無力な子どもだった。
あの日のナマエの泣き笑いを思い出すと、今でも胸が焼ける思いがする。





新宿の人混みに紛れていく背中は、俺には酷く感傷的に見えた。

「なんかナマエ、嘘笑い下手くそになってたな」

下を向いて研磨に言えば、

「うん。あんなの、無理してますってバレバレ」

ため息と共に返ってきたのは、うんざりって顔だった。

「……な。こっちの気持ちも考えろって感じだよなー」

それは、こいつも同じようにナマエを心配してるっことの何よりの証だ。

「まあでも、」

研磨は少し考えてから、口を開いた。

人の群れは半端な場所で立ち止まったままの俺らを迷惑そうに避けていく。

「最近は……無理して笑ってなかったって、ことなんじゃないの」

そう言った研磨はまあ、予想だけど。と短く付け足した。

それは多分、俺らがそう思いたいっていう希望だったのかもしれない。

「そうかもな。だとしたら、ナマエは引っ越して正解だったのかもな」

それでも、あのナマエが彼氏ができたなんて嬉しそうに笑う日が来るなんて。

あの日の後悔をいつまでも引き摺ってんのは俺だけなのかもな。そう思うと、ちょっと笑えた。

「ナマエの彼氏……どんなやつかな」

研磨が珍しく知りもしない他人に興味を持つから、俺は驚いて目を見開く。

そして、

「そうだなー。あいつのことだから、まあ多分変なやつだろうな」

俺も想像した。

ナマエが俺らには見せないような甘い声で誰かを呼ぶ。腕を組む。指を絡める。

きっと、誰よりも幸せになってくれる筈だし、そうさせてくれる相手を選んだ筈だ。

そうじゃなきゃ、俺らが報われない。

「あー、クリスマスに男二人かよー……」

今日は本当なら、三人で夜中までパーティーするつもりだったのによー。

ちくしょう、リア充めっ!爆発しろよ!




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