HQ | ナノ
ひさしぶり
朝、カーテンを開けたら窓の外は冷たい雨が降っていた。 うわ、こんな日に?って顔を引き攣らせれば、先に付けておいたテレビからは夜遅くには雪になるでしょうって聞こえてきた。
うわ、そうなったらホワイトクリスマスかな。東京じゃありえないことだけど、宮城ならこの時期雪も珍しくない。
時刻は午前8時。せっかく数日前から冬休みなのにこんなに早起きしちゃって何をはしゃいでるんだって思うことでしょう。
でも、私には今日成さねばならないことがあるのです。
その為の早起き。 って言っても学校あるときと比べたら大分起きるの遅いけどね。
軽く朝食を済ませたら、ローストビーフの用意をする。キッシュも焼いておきたいし、スープは私の個人的な好みでトマト系かなって思っていて、ミネストローネにしようと思っている。西谷は驚くほどたくさん食べるからなぁ。多分つまむ系だけじゃなくてちゃんとメインのご飯ものが必要だから、チーズリゾットも作りたいし……なんて準備していたら、スマホが震えた。
今日、すっげー楽しみにしてます!終わったら連絡します!
西谷からだった。今日は9時から17時まで練習だって言ってた。何それ、フルタイム勤務かよ。って私は思うけど、いつでも元気いっぱいバレーの虫な西谷からしたら、それでもまだ足りないんだそう。
いやはや、その有り余る情熱の1%でも勉強に向いてたら、きっと赤点なんかに怯えなくて済むのにってちょっとは呆れる。
結局、西谷はなんとか赤点を回避した。
最も危険視されていた現代文は、私に言われた通り暗記に焦点を絞ってなんとか赤点のボーダーラインである40点は超えたらしい。
42点って滑り込みセーフでしかなかったけど、まあ他の教科もなんとか滑り込んだ様で補習は回避したので許してやろうと思う。
有言実行した彼には、有言実行で返してやらねばならない。 そう自分に言い聞かせると、なんだか嬉しいやら恥ずかしいやら不思議な気持ちになりながら、私はオーブンを予熱してキッシュの卵液を混ぜ合わせた。
私はクリスチャンではないし女子にしてはクリスマスだのバレンタインだのってイベントにそこまで興味もない方だと思う。
それでもこんなに朝からワクワクしてしまうのは、きっと今年は好きな人と一緒だからだ。
*
午前11時前、携帯が鳴った。 私は常にマナーモードにしてあって、初めはメールとかLINEとかかなって思ってまあ後でいいかって思って放置してた。
けど、携帯は一向に鳴り止まない。 あれ、電話?こんな時間に誰だろうって思ったら、画面に表示されたのは予想外の人物だった。
研磨
酷く懐かしいその名前に、頭で理解するより早く、私は通話をタップした。
「あ、ナマエ、出た」
もう一年半以上聞いていなかったその声は、相変わらず覇気の少しも感じられないもので。
「……ひさしぶり」
可愛げもない、そんなありきたりな挨拶。 それだけで私は、何故だか泣きたくなってしまった。
「研磨」
声が震えてしまうのを、必死に抑えながら。 その名を呼ぶのはいつぶりなんだろう。
「……クロが、ナマエに電話しようってうるさいから……掛けた」
研磨の気怠げなその物言いに、彼が今電話口でしているだろう表情なんて、簡単に想像できてしまった。
「……っ」
息を飲む私のことなどお構いなしに、
「じゃあ……クロに代わるよ」
抑揚のない口調のまま言う研磨。
「え、あっ」
何故だか慌てる私を置き去りに、電話口でそれを持ち替える音がした。
「……おー!ナマエー!元気にやってるかー?」
そうして電話を代わったのはもうひとりの私の幼馴染。
「あ、クロ……」
いけすかない性格の悪さを感じる声は、ひさしく聞いていなかった筈なのに、簡単に私の耳に馴染む。
「あ゛?おいおいナマエチャン泣いてんじゃねーかー研磨ーあんまいじめんなよー」
電話の向こう側でクロがほざくから、
「なっ泣いてなっ」
私は否定するのに、
「嘘つくな、声震えてんぞー?」
バカにしたみたいな戯けた声に掻き消される。
いじめてるのはクロでしょ、なんて研磨のため息が受話器越しに聞こえてきて、ああ、二人どんだけくっついて電話してんのって、笑えた。
ああ、ふたりとも何にも変わってないって、なんだか胸が苦しくなる。
「……ナマエ、もしかしたらお前にこんなこと言っても、意味はないかもしれないとは思ってんだけどよ」
そう続けたクロの口調が、明らかに真剣なものに変わって。
「うん」
何か言いたいことがあって電話してきたんだなって、すぐに気付いた。
「でも、研磨とも、もしナマエならちゃんと話してって怒るだろうなって話になってよー……」
「もー……もったいぶらないでよ。なあに」
らしくもなく言いにくそうにするクロに、焦れた私が話の続きを促せば、
「今日の朝、おばさんに会ったんだ」
聞こえてきたのは、思ってもみなかった言葉だった。
「え……」
驚いた私は、自分から急かしておいて返事もできない。
「お前の母さん、今日本にいるよ」
言い直したのは、きっとおばさんなんて言葉に当てはまる人物はいくらでもいるからだろう。
「……うそ」
そう口にするのが、やっとだった。 まともに聞き返すこともままならない。
「俺らもそんな、たくさん話したわけじゃねぇんだけど」
話を続けるクロが私の動揺を汲み取ってか、不自然なほど冷静な声で言うのは、
「日本に帰ってるなんて珍しいっスねって言ったら、」
きっと私を落ち着けるためなのだろう。
「家、売りに来たって」
クロの言った言葉の意味が、一瞬理解出来なかった。
「……え、」
家?それは、私の生まれ育ったあの庭付きの一戸建てのことなのだろう。 決して大きくはない。けれど家族三人で暮らすなら十分な広さの、二階建ての三角屋根。
三人で団欒なんて、幼い日の淡い思い出の中でしか存在しなかったけれど、それでも。
私と母と父、三人が家族として過ごした家。
それを、売る?聞き間違いだと信じたかった。けど、
「今日、明日は東京にいるって言ってた」
聞き間違いだとしたら、それは私じゃなくてクロの聞き間違い。
「…………」
確認するのなら、母に直接会うしか方法がないだろう。
「お前が会いたくないなら会うべきじゃない」
でも、クロは強い意思を滲ませた声でそう言った。 私が母に会って、どんな会話が成されるのか。それによって私が傷付く可能性を、きっと、恐れてた。
けど、
「でももし会いたいと思うなら、電話してみろよ」
それ以上に私が母に会って話したいと願っていたことを、クロは理解してくれてる。
だから、背中を押そうとしてくれてる。
「多分あの人は、新幹線だろうがなんだろうが、きっとお前に会いに行くと思う」
あの日、私と母の間に交わされた会話の詳細は、クロと研磨しか知らない。
親友の潔子も。大好きな西谷でさえも、まだ知らない。
「本当ならよー、俺らも付いて行ってやりてぇけど」
そう言うクロの後ろでは、広い空間に人の声が響いていて。 休憩終わりー!と怒声にも似た声が聞こえてきてた。
「バカ。甘やかすな。部活中なんでしょ」
多分この電話は、部活の休憩中に研磨と話し合って掛けてきたんだ。
「…………悪い」
いつでも見下してくる私のでかい方の幼馴染には、似合わないしおらしい台詞。
「悪いわけないでしょバカ。教えてくれてありがとう」
そんな、ひとのことで気落ちしてるクロに、手短にお礼を伝えると、
「……私が、会いに行くわ」
決意を込めて一言放ってから、通話終了をタップした。
本当は、すごく怖い。 でも、そうしなきゃって思えた。
過去の苦い思い出と向き合うこと。 母に会いに行くこと。
そうしようと思えたのは、私を一人にしないでくれる人達のお陰に他ならない。
キッチンからは、キッシュが焼けた音がしてた。
[*前] | [次#]
|
|