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お約束しましょう



あれから一ヶ月、西谷は私の過去を、家庭事情を、中学最後にあった事件を、何一つ掘り下げない。私もそんな話はしない。
でも腫れ物に触るような態度で接してきてるわけじゃなくて、ただ彼は待つと決めてくれていた。

私が話すその日まで。

ほんと、ため息が出るほどいい男なのだ。私の彼氏は。


「ミョウジー、」

窓の外を見ながらぼうっとしていたら、菅原が話し掛けてきた。

あれ、私またセンチメンタル剥き出してたかな。大丈夫かな。なんて気にしてしまうのは、今まで菅原に話し掛けられた中には本音を言い当てられたり素晴らしく優しいお節介されたりと、まあ苦い思い出が多いからである。

「次のテストの範囲、大丈夫そう?」

でも、菅原が口にしたのは懸念事項とはかすりもしない言葉だった。

まあそれもそうか。
西谷との関係自体は毎日一緒に帰っていて良好そのものだし、潔子や菅原ともあれ以降喧嘩なんかしてない。……あ、いや、あれを喧嘩と言えるならだけれど。

確かに菅原はオカンとしての類稀なる才能の持ち主だけど、別にエスパーじゃない。
いくら友達といえど私の意識にぼんやり靄をかけている程度の西谷との約束などわかりようもない、か。

「別に大丈夫だけど。どうしたの?菅原きゅんピンチなの?珍しいじゃん」

「いや、俺は平気」

「あっそ!ですよね〜」

じゃあなんでそんなこと訊いてきたんだろ。まさか純粋に私の成績を心配して?
いやいや、私菅原より低い点なんか取ったことないし。
あんたが部活に使ってる時間を私は勉強(半分はバイトだけど)に使ってるわけだから、心配されるような謂れはないんだけどな。なんて訝しげば、

「あのさ、もし手が空いてたらでいいんだけど……西谷の勉強見てやれない?」

菅原は困った顔をして言う。

「へ、」

不意に私の彼氏の名前が出て、驚いて声をあげれば、

「いやー、西谷中間で点数やばかったらしくてさ、期末で赤点取ったら冬休み補習と追試だろー?」

予想通りといえば予想通りの話なのに、なんだか最近浮かれていた私はまるで思ってもみない方向からぶん殴られた気分だった。

「赤点……」

「だから、練習来れなくなったら俺らも困るし、ミョウジだってほら!クリスマスとかに西谷に会えなかったら嫌だろー?だから、」

私の呟きにも気付かない菅原が、私にも関係ない事じゃないし西谷に勉強を教えてやってくれっという内容の話をする。

けど、私はもう菅原の話などどうでもいいと思えるほど頭の中をひとつの考えで埋め尽くされていた。

「赤点ってさ、」

「ん?」

「何点からだっけ?」

「えぇっ!そっからかよ!?40点だよー!」

普段赤点なんて取る危惧すら浮かんだ事がないし、進学クラスでも赤点取る奴がいないわけではないけれどまあそうそういない。だから私は知りもしなかった。赤点のボーダーラインなんて。

「40点……半分も取れればいいってことよね?」

教えてくれた菅原に呟けば、

「え?あ……うん。そうだけど」

なんだか普段とは違う様子の私に菅原が首を傾げる。

「西谷はそれすら危ういの?」

「え?あぁ、うん。まあ、そうらしい」

なるほど。事態は把握した。
西谷はバカだろうなーとは思っていたけれど、まさか赤点だなんだって騒ぐほどだとは思っていなかった。

まあ大学進学より就職とか短大とか、そういうの目指すんだろうなー程度にしか理解出来てなかった。

私は認識の甘さを痛感。

「わかった。私に任せてくださいな菅原殿」

据わった目で菅原を見つめれば、

「ど、殿?!おいミョウジどうし」
「私が西谷に必ず、赤点なんて取らせないとお約束しましょう」

菅原は顔を引き攣らせて慌てたけれど、私にはもはやそんな菅原の声なんて届いてない。

「私と付き合ってバカのままでいようなんて、許さん!!」

私は燃え滾っていたのだ。
自身が世界一カッコいいと思っている男が、まさか中間、期末なんてやったこと出されるだけみたいなテストで40点を下回る点数を叩き出してるなんて。

許せない。だから、私が更生してやるって。





部活に向かう潔子に着いて行くと、私の彼氏はすぐに見つけられた。

「にーしーのーやー!ちょっといい?」

多分、部員数が少ないのもあって上級者も一緒に部活の準備をしている中に、堂々と部外者が顔を出す。どころか、一年坊主に声をかける。

なんて、もし私の中学時代の陸上部でやったりしたら一年坊主は集団リンチかもしれない。
それくらい上下関係は煩かった。
先輩が一緒に準備してくれる烏野って、いいなあ。

「わ!ナマエさん!どうしたんですか?!部活前に会えるなんて俺はっ」

飛び跳ねて走り寄ってくる西谷に、

「ね!今日一緒に帰る約束してたよね?」

私はニッコリ微笑む。

「?はい。それがどうかしました?」

私がバイトの日はバイト先に迎えに来てくれる西谷だけど、そうじゃない日は大抵私が西谷の部活が終わる時間まで図書室で勉強してる。

今日はバイトがないから、私達は西谷の部活が終わり次第一緒に帰る予定だ。

「あのさ、今日帰りにさ、私の家寄ってかない?」

だから、どうせ送ってもらうのだし家に招くのが手っ取り早いかと思った。

「えっなぁっ!?そんなっいきなりっ!ど、ど、どうしたんスかぁっ!?」

狼狽する西谷に、私は笑みを深めて壁際へ追いやった。

「んー?お姉さんと楽しいことしよーよ」

そう口にして西谷を閉じ込めるように壁ドンしてやれば、

「の、ノヤっさんがあぁあ!!ミョウジさんに!!う、羨まし過ぎるうぅう!!」

後ろから田中の悲鳴が聞こえた。

……あ、みんな見てるのか。そりゃそうか。ここ体育館内だったわ。

「た、楽し……あ、いやっ俺はもちろんっナマエさんがその気ならいつでもっあ、いやでもっ」

真っ赤な顔で目を逸す西谷は、突然の私のお誘いにしどろもどろで答えた。

その顔がもう可愛すぎて。

ちょっと、人前でこんなことしたことに後悔する気持ちが生まれた。
人がいなけりゃその唇を塞ぐくらいはしていただろう。

「そ?じゃあ帰り、教科書とノート、筆記用具も忘れないでね」

突然パッと腕を離して、脈絡もなく言った言葉に、

「え…………は、はい」

西谷はぽかんとしたまま微動だにしない。

「いい?間違っても、逃げようなんて思わないこと。いいね?」

そうやって微笑んで、頬を撫でれば、

「は、はい……」

と、怯えてるのかときめいてるのかよくわからない顔で私を見上げる西谷がいた。

そんな顔に満足して、さっさと体育館を去っていく私の背後から、

「西谷の彼女、想像してた感じと違う……」

なんて、多分話したこともないようなバレー部員の声が聞こえてきて。

ああ、私、顔も知らない他人からも西谷の彼女って認識されてるのか!
って、なんか意味の分からないところで頬が熱くなった。




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