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心に埋まる鉛



抱き締められてた腕を解かれて、ようやく見れた西谷の顔。その頬はちょっと赤くて。

ああ、私だけじゃなかったって思ったら安心した。

だって悔しいでしょ?私だけいつもドキドキしてるとか。

だから、同じようにドキドキしてて、同じように私を求めてくれたらいいのになって。願うんだよ。

こうやって夜道を歩くだけでも、どちらともなく手を繋げるのって、私が求めるように西谷も私を求めてるってことだなぁって。幸せを噛み締めるんだよ。


「そーいや、さっき店長さんに言われたんスけど、」

抱き締められてた気恥ずかしさも少しは治まってきた頃、西谷は口を開いた。

その口調の自然さに、私はもちろんなんの警戒も抱いていなくて。

まさか、

「ナマエさん、あの家で一人暮らしなんですか?」

そんな話が飛んでくるとは思いもしなかった。

「え、」

突然の話題に驚いて、立ち止まる私に、

「あ、いや、なんか人伝に聞いちまうとかどーなんだって思ったんで、一応確認したくて。だからどうってわけじゃねぇんスけど」

西谷は少し焦ったように付け足した。

そうだった。私、今まで西谷に親と離れて一人暮らししてることなんて言ったことなかったわ。

別に隠してたわけじゃない。
ただ、自分から話すような話でもないし、聞かれてもいないのに話すのもなーって……思ったんだけど。

「あ!いや!話したくないこととかだったら!全然!店長さんから聞いちまったから訊いただけなんで!」

立ち止まったまま驚いた顔で黙り込む私を見て、西谷はらしくもなく気を遣ってた。

「ごめん。秘密にしてるつもりはなくて、わざわざ言うことじゃないと思ってたの」

淡々と平常心を保ちながら、言い訳とも思えるようなことを話せば、

「あ……そうなんスか?」

西谷はほっとしたように胸を撫で下ろしたように見える。

「うちの親中学の終わりに離婚してて、母親が引き取ったはいいけど、海外とか飛び回ってる人だから忙しくて、それでおばあちゃんちのある宮城に引っ越してきたの」

その言葉に嘘は無い。
でも重要な部分にはひとつも触れていないことだろう。

何が別に隠してたわけじゃない、だ。
きっと私は無意識に、その核心に西谷が触れて来なければ、話さなくてもいいやって思ってしまっていた。

「あ!そうなんスね!あれ、でもそれならナマエさんのばあちゃんは……?」

けど彼も馬鹿だけどバカじゃない。
きっとどこまで突っ込んでいいのか悩みながらも、素直に疑問を口にしたのだ。

……別に西谷だって私を糾弾しようとしているわけではない。ただ、話の流れとして自然だったから問うただけだ。
分かっているのに、つい逃げるみたいに明確な表現を避けるのは、潔子とあんな風に分かりあって尚、私の臆病が直っていない証拠だろう。

こんなんじゃだめだ。
こんなことしてたら潔子の時と同じ。西谷にも同じ想いをさせるし、同じ二の舞を踏む。

その意識が、

「えっと……、さっきの言い方だと語弊あるかも。こっちに引っ越してきた直接的な理由は、私が前の中学でその……いろいろあって。予定してた高校入ったら、多分同じ中学からの出身者に……」

私に言いにくいことも話そうという気持ちを生んだ。

「いじめられるから」

そう口にした瞬間、

「…………っ!」

目の前で西谷が狼狽するのがわかった。

それを見て、より一層煽られるように何かが怖くなって。

気付いたら手が震えてた。

「だ、だから……多分、お母さんは……っ」

思い出す母の顔は、もう1年半も前のもの。私は今や唯一の家族である母とそれ以降会ってない。でも、鮮明に脳裏に刻まれてる。最後に会った日のこと。

話すと決めたのだから、説明しなきゃとは思うのに二の句が継げない。

言葉選びに迷っているというより声が上手く出なくて、涙が出そうになった。

次の瞬間、

「ナマエっ」

いつものさん付けも忘れて、西谷はまた腕を引いて私を抱き寄せた。

「……っ」

その声は、いっそ私なんかより苦しそうなもので。

「すみませんっナマエさんっ
俺が悪かった。言わなくていい」

私を抱き締めた彼の腕も、少し震えてた。
なんだろ、私の感情の揺れが伝染したかな。

西谷は言わなくていいって言ったけど、でも、潔子と話して、話さなきゃ分かり合えないこともあるって知ったのだ。

「で、でも……にしの」

だから話さなきゃ。ぎゅっと目を瞑って涙を堪えながら唇を噛む私に、

「大丈夫だから」

西谷は優しい声でそう言った。

「え……」

決心を揺るがすような声にいつの間にか固く握り締めていた手のひらを、そっと解かれて。

「そんな顔させたかったんじゃないんです。そりゃ、ナマエさんがどんな事情で今ここにいるのか、知りたくねぇわけねぇ。けど、」

ああ、そういうことかと気付いた。
彼がさっき震えていたのは、怒りだ。

「あなたを泣かせたいわけじゃ無いんです」

他ならぬ自身に、私を泣かせそうになったことに怒ってた。

「……うん」

私の心に土足で踏み込んで、汚してしまったとでも思ったのだろう。

自分にも他人にも厳しいわりに、結局優しいんだ、西谷夕って男は。

なんでこんなに優しいんだろ。
私、甘やかされすぎてないかな。

「もし話したいと思うなら、いつか話してくれたらいいです」

中途半端に事情を聞いて、きっと気になってるはずなのに。

「ナマエさんが、無理せず話せるようになった時に」

彼の手のひらは今もまだ少し震えながら、私の頭の裏を落ち着けるように、ゆっくりと撫でた。

その不器用で大きな優しさに、

「……っうん。ありがと、西谷……っ」

私は、ずっと我慢してた涙を流すんだ。

辛い思い出を掘り起こすことが怖いんじゃない。西谷の手が優しいから泣いてるんだ。

私、自分は泣き虫ではないと思ってた。

女としての武器は使うけど、涙はみっともない気がして武器にしてなかったし、気持ちのコントロールは割と得意な気でいたのに。

なんか西谷に会ってからほんとぐちゃぐちゃにされてる気がする。

この三日間に関しては、連続で泣き倒してるし。
ほんと、西谷って何なの。

私の生きてきた16年間を簡単にぶち壊して。

でもその上で私を愛してくれるっていうのなら。

「きっと少しだけ、時間がかかるの」

この優しい人に、私の何もかもを晒してしまいたい。
重荷を預けてしまいたい。

私の中には確実に、そんな欲求もある。

「だから待ってて」

「はい。あなたがそう言うのなら。いつまでだって、俺は待ちますよ」

人が前を向いて生きていく上でいつか、心に埋まる鉛を抉り出してくれる人が必要なら。

それは間違いなく、私にとっては西谷なのだと思う。
ううん、西谷がいいって、思う。



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