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HERO





なんだか私達の間にはいつもと少しだけ違う空気が流れてる。

それがどんな空気なのか。うまくは言えないけど。

もう肌寒い宮城の10月。
月がやけに大きく見えた。

「そういえば、あの時さ」

隣を見れば、

「あの時?」

首を傾げた西谷の垂らされた前髪が揺れる。

「西谷、なんでトイレにいたの?」

それは素朴な疑問だった。
西谷が偶然トイレいきたかったって言うなら、それは本当にいつもタイミング良過ぎる彼の気まぐれのお陰かもしれないけど。
もしかしたら私の小さな悲鳴とか聞こえちゃうヒーロー機能付いてんじゃないのこいつ。なんて下らないことを考えてしまったのだ。

「ああ……あれは」
「あー!10月なのにガリガリ君なんて勢いよく食べるからー!」

珍しくちょっと言い淀むような西谷に、私は哀れみの眼差しで肩を叩いた。

「いや!腹壊したんじゃねぇよ!」

思わず敬語を忘れる西谷。私はそれに対してまあ分かってるけどって笑う。

だって、お腹壊してたら私を助けた後トイレ駆け込んでた筈だし。

「飯運んできてくれた人にナマエさんいますかって聞いたら、今トイレ掃除してるから多分トイレの前行けば会えるよーって言われたんスよ」

西谷は笑う私に困った顔をしてから、まあいっかって話し出す。

「私のこと探してたの?なんか用あった?」

ハッ!まさか菅原が言うように私と写真撮りたかったとか!?なんて一瞬期待したけど、

「あ、いや、バイト終わるまで待ってるから一緒に帰りましょーって誘おうと思ってたんですけど」

予想外の言葉。
まさか、私が西谷と帰りたくてうだうだしたのなんて知る筈もない彼が、誘おうとしてくれてたなんて。
今日、実は私の誕生日なの?ってくらい嬉しいサプライズだ。

なんて口元を綻ばせる私に、

「すみません。俺がもっと早く着いてたらナマエさんあんな怖い思いしなくて済んだかもしんねぇ」

西谷はその小さいのに予想外に力強い拳を握り締めて、悔しそうに言った。

「な!何言ってんの!それこそ謝ったら私が怒るよ!!」

さっき、私に謝ったら怒るなんて言ってきた本人が、私を助けたヒーローのくせに、謝られたりしたら私の立つ瀬がないではないか。

「西谷が居なかったら、私、多分っ」

西谷がいなければ自分がどんな目に遭っていたのか。想像するのなんか容易い。きっと今日こうやって西谷と帰ることなんか絶対出来なかったろう。
言おうとして唇を噛む私に、

「すみませんナマエさんっ!俺!別に思い出させるつもりじゃっ」

西谷はハッとして私を見遣る。

「あ、いや、大丈夫。ていうか私から話振ってるし!……ただ、」

けれど元々あの時どうして西谷が駆け付けてくれたのか訊いたのは私の方だ。

西谷の所為じゃないし、もう済んだことだ。大丈夫。けど、

「ただ?」

「情けないけど、勝手に手足が震えちゃうって、いうか」

西谷に促されてらしくもない弱音を漏らせば、唐突に握り締められる右手。

「……にし、のや?」

驚いて瞬きを繰り返す私に、

「じゃー俺がナマエさんの手ぇ握ってるんで、これで転びませんね」

西谷はいつかの花火大会の時みたいに、あったかい手がぎゅっと強く握ってくる。

「……え、あ……こ、転ばないよこの歳で」

見つめ合う気恥ずかしさから逃れたくて目を逸すのに、

「そうスか?なんならまた今日もおんぶ出来ますけど」

西谷がどれだけ優しい顔で私を見てるのか、見なくてもよくわかった。

「んなっ!だからそーいうのもういいからー!」

私はいつも西谷に助けられてばかり。今日なんか控えめに言っても一生モノのトラウマになるところだったところを、なんだかより一層西谷に惚れるだけの事件に変えてくれた。

「そうですか?でも本当に、いつでも背負いますよ」

それなのに、有り余る親切心でまだこんなこと言ってきて、私の乙女心を弄ぶ。

「西谷タクシー?」

だからちょっと捻くれた顔で西谷を見下ろすのに、

「ハハッそうっスね!電話してくれたらいつでも迎えに行きます!」

返ってくるのは眩しい笑顔ときっと西谷にとってはなんでもない、一言だった。

ああ、もう。勘弁してよ。
こんなんじゃ私、バカだからどんどん西谷を好きになる一方だ。

ヒーローの博愛主義には困ったもんだよ、まったく。




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