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ひとつお願いきいて
屋上へ続くドアから差し込む陽射しだけの、薄暗い階段。 少しひんやりした空気。 けれど少しだけ温かい、私の右側。
「西谷に最近構いすぎだろってご指摘されて、お前に構われたがるやつなんか他にもいるんだから俺の後輩困らすなって、怒られた」
少しだけ分かりやすく言い直すと、西谷はまた驚いた顔になる。
西谷が困ったり驚いたりする度に、もっと私のこと考えてくれたら良いのに。なんて思ってしまう小さな独占欲が満ちて、代わりに酷い罪悪感が胸を苛んだ。
彼からしたらきっと、迷惑な話だろう。
「俺のことで喧嘩してたんスか?」
「うん」
返事をすると、西谷は私から視線を外して神妙な顔をした。 横顔もかっこいいなあ。なんて、空気を読まずに思ってしまうので困ったものである。
「……ねえ西谷、」
ずっと見ているのも心臓が辛いので、私も視線を外した。 2人で並んで座って、階段の下を見つめている私達は、はたから見たら何をしているのかわからないだろう。
「はい!なんすか?」
「私に構われんのって、やっぱ迷惑かな」
そう聞きながら、自分の手が震えていることに気付く。 自分で思っている以上に、西谷に拒絶されるのが怖いらしい。
この右側のかすかな温もりを、失いたくないんだ。
そんな、らしくもなく怯える私に、
「んなわけないじゃないスか!ミョウジさんみたいな美人に話しかけて貰えて、俺いつも周りから羨ましいがられてんスから」
西谷は迷いもせずに言う。
その答えに、震える指をぎゅっと押さえつけながら西谷を見れば、その太陽みたいな笑顔が私を見つめていた。
「嫌じゃない?」
図らずも上目遣い。 こんな風に西谷を見上げたことなんか無かったなあ。だって私のが背ぇでかいし。見下ろしてばっかり。
でも、ローアングルからの西谷もまた、素敵です。 なんてアホみたいなことを考えてしまう恋する乙女は、はい、私です。
「嫌じゃないも何も、なんならもっと構ってくれていいっスよ」
そうやっていつも私を持ち上げてくれちゃう、出来た後輩すぎる西谷。 そんな優しさにつけこんで、気付いたら甘えてしまう私。
「じゃあもっと構ってあげるからさ、ひとつお願い聞いて」
それから西谷の返事も待たずに私は続けた。
「私のことも、潔子みたいに名前で呼んでよ」
お願いするのは簡単で、本当に気付いたらそう口に出ていたのだけれど、
「ナマエさん」
西谷が呼んだ瞬間、全身の血がどくどくと急激に巡るのがわかったし、顔が燃えてしまいそうだった。
ああ、何これ。動悸?息切れ? こんなのが恋だなんて、馬鹿げてるよ。 私、こんなんじゃいつ死んでもおかしくないじゃない。
「うん。ありがと」
真っ赤な顔を隠すように膝に顔を埋めると、口の中で呟いた。
「大好き」
西谷に聞こえない声。 届かない想い。
それでも胸から溢れてしまう、どうしようもない言葉。
「ナマエさん?」
不思議そうに彼はこちらを見つめたけれど、私は顔を上げないまま。 暫くは耳に残る余韻に浸っていた。
好きな人から名前を呼ばれる。 それだけでもう、私はもう一度生まれ直してしまうような衝撃。
「……お願いきいたんで、俺からもひとつ頼んじゃだめですか」
沈黙に痺れを切らしたように呟いたその声は、西谷にしては控え目な口調。
「うん?どしたの?」
流石に名前で呼んでなんて頼んでからずっと突っ伏しているわけにもいかないので、顔を上げて横目で西谷を盗み見ようとする。
すると、互いの視線は見事にかち合って、
「連絡先教えてもらえませんか?」
見つめあった形で西谷は言った。
「れん、らくさき……?」
まるで知らない言葉のように響くそれをばかみたいに反芻するしかできない私に、
「え、あ、やっぱダメすか?」
眉が伏せられてちょっと困ったような笑顔。
「全然ダメじゃない!むしろ教えて!」
まさか西谷の方から教えてなんて言ってくるとは思わなかった。
「マジすか?!よっしゃ〜〜っ!!」
もっと仲良くなりたいなんて思っているのは、てっきり私だけかと思っていたから、無邪気に喜ぶ西谷に胸が熱くなる。
「そんなに嬉しいんだ?」
私ってやつは、どうしてこう上から物を言ってしまうというか、とことん可愛くないのか。照れ隠しにしても捻くれすぎているだろう。 そんな自己嫌悪に陥るけれど、私みたいな可愛げない女にも西谷は嫌な顔一つしない。
「そりゃそうっすよ!前にナマエさんに告白してた人連絡先教えてもらえてなかったし、断られんのビビってました」
「だってあんなの知らない人だし」
かつて西谷に見られていた告白現場。 告白してきた相手なんてその時までまるで話したこともなかったし、その後も当然知らない人のままだ。
依然、私は彼に興味もない。 私に興味がある男の子なんか、一人だけ。
「俺は構ってもらえる後輩ですもんね!」
「うん。構ってもらいたいとき連絡してきな」
「はい!じゃあ構いたいとき連絡してください」
そうやってふたりで笑いあって、結局授業が終わる時間まで西谷は私に付き合ってくれた。 西谷の話してくれるくだらないバレー部の日常。ガリガリ君ならソーダが好きって話。私も飲むヨーグルトが大好きって話をしたり。 そんな時間はあっと言う間に過ぎてしまう程楽しくて。
西谷が同じクラスにいたら、こんな時間がずーっと続くんだ。なんて妄想みたいに考えた。 あり得ないことなのにあり得たら何より素敵な、妄想。
チャイムが鳴って、別れ際、
「スガさんとちゃんと仲直りしてくださいね!」
西谷がちょっと意地悪に言うので、
「そっちも今からスケッチしなよー!」
なんて、私も戯けて笑ってみた。
さて、西谷に言われてしまってはいうことを聞かざるおえないので、菅原になんて謝るか考えなくちゃならない。それが私の目下の目標となった。
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