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シンキングトゥーマッチ



電車が来るまでの数分間。
まるで体育の授業かなにかを思わせる、綺麗に整列した電車待ちの列の前から三番目。
二列に分かれているのをいいことに私と赤葦くんは並び立って、まるで待ち合わせでもしたかのように話をした。

話題は朝ニュースでやっていた政治家の不祥事から、今高校生の間で話題のタピオカ屋さんに至るまで様々で、赤葦くんは中々の聞き上手でありながら話も建設的でわかりやすく、いつ話をしても楽しい時間を提供してくれる。

「おはようございます、ミョウジさん」

「おはよう、赤葦くん」

一人暮らしでモーニングコールするような彼氏もいない私にとって、1日のうちに最初に口にする言葉が彼の名になった。

そこだけ聞くといかがわしい関係のように聞こえるけれど、私達の関係は家が近所で同じ時間に同じ車両に乗るというだけの顔見知りでしかない。
毎朝顔を見合わせるだけの関係だ。

「昨日テレビでやっていたふき味噌が美味しそうで」

「え!私も見てたわ!深夜のやつでしょう?」

「はい、そうです。あの時間やる腹が減る番組は結構迷惑ですよね」

「わかるわかる。飯テロね!」

彼はきっと、お喋りなタイプでは無い筈だ。
そして私も異性はもちろん同性とだって話すより話を聞く方が楽だと思ってしまうタチである。

でも、上司でも取引先でもない、ただの近所の高校生。そんな彼とのなんでもない会話は心地よくて。
毎朝凝り固まっていた表情筋が動くのがいいのか、それとも肺が会話によって深く息を吸うのがいいのか。

最近周りに顔色が良くなったと言われる機会が増えた。
それもまた彼のお陰だと思ってしまうのは、流石にイケメンを有り難がりすぎているだろうか。


「ミョウジさん、今日は仕事遅いですか」

制服のポケットから携帯を取り出して時刻を確認した赤葦くんは、あと3分ですね。なんて電車が到着するリミットをアナウンスしてから、ぽつりと問う。

「ん?うんと、多分いつも通りかな?」

チラリと覗き見てしまった彼の携帯のロック画面は何やら部活のユニフォームを着た集合写真のようだった。
……青春を覗き見て、湧き上がるよくわからない劣等感と罪悪感。

こんなに落ち着いていて話も合うけれど、彼は高校二年の今年17歳。私はというと今年誕生日を迎えれば27。私達の間には10歳もの年の差があるのだ。

恐ろしいことに、私が20歳で晴れ着を着ていた頃赤葦くんは10歳の小学生だったのである。その事実を忘れそうになることにこそ、もっとも震撼すべきだろう。

男子高生としがないOL。
普通に生活していたら接点なんかなかった筈だ。

「じゃあ俺と同じくらいですね。実は今日親がいなくて」

「え、それは大変」

「はい。だからミョウジさんさえ良ければ、夕飯食べに行きませんか?」

「……うん。じゃあ、終わり次第連絡します」

けれど、私達は既に出会ってしまっていて。
そんな年下の男の子と食事なんて世間からどうみられるかわからない!とか、そんなつまらない世間体で誘いを断ろうと思えないくらいには、赤葦くんと過ごす時間は私にとって楽しかったし、日々の癒しになっていた。
彼ったら食事に誘うなんてどんなつもりなのかしら!とか、そんなことを深読みしてもどうにもならないことをいちいち思い悩んでも仕方がない。最近私はそれを学んだばかりだ。

こんな人との縁はなかなかあるものじゃない。嫌じゃないならご飯くらい行ってもいいじゃない。別に、減るものでもないし。
そんな風に開き直れるようになったのも、赤葦くんのお陰。とか、赤葦くんは幸運の壺か何かですかってお話である。





今日だけは無駄に残業しない!仕事を押し付けられてたまるものか!そんな確固たる意志を持って仕事をするのなんかいつぶりなのだろう。
一時間残業できっかり上がって身なりを整えて出て行く私を見て、同僚が男かな?なんて首をかしげるのになんだか笑ってしまった。

自身の最寄駅に着くまでの間に、赤葦くんに今帰っている旨の連絡をすると、何故だか胸がソワソワして。
俺も今帰ってます。そんななんてことない返事にすら胸が高鳴るなんて、私はいつのまにか国語のセンスのないヤツになってしまったのかもしれない。

仕事終わりにこんなにきっちり化粧直しをして電車に乗り込むのなんていつぶりだろう。
最近若い頃みたいに綺麗に化粧が直らなくなってきたことが若干の憂鬱ではあるものの、無駄に高いフィックスミストを買っておいてよかった。
あの店は照明が暖色で暗めだから、アラはぱっと見ではわからない筈。とか、デートでもないのにそんなことを気にできるのだから私もまだまだ女として終わっていないのかもしれない。


最寄駅の改札を出た先、駅ナカの小さなパン屋の前。
柱に背を預けるわけでもなく、スマホに視線を落とすわけでもない。

人目をひくすらりとした長身が真っ直ぐに私を見つめていて。

「赤葦くん!ごめんなさい結構待った?」

「いえ、さっき来たところです」

常套句を述べれば、彼もまたありがちな答えをする。

「そっか、よかった。待たせちゃったかと思ったわ」

「……別に待たせても大丈夫ですよ」

乱れた髪を手櫛で整えながらほっと息を吐くと、

「待つ側には待つ側の楽しみもありますから」

意味深な一言。

「待つ側の楽しみ?」

「はい」

首を傾げれば静かに返事をするのに、彼はその続きを話すそぶりを見せなくて。

そのままなんでもないみたいに歩き出そうとする赤葦くんの隣を歩きながら、情けないことに内心大混乱だ。

世の中には待つのが嫌いじゃないという稀有な人種もいるにせよ、大抵の人間は待ち合わせをしたなら時間通りに落ち合う事を前提としている筈。

待つ時間が一番相手のことを考えるから、なんていうなんとも全身が痒くなるようなことを言う人もいるけれど、目の前の少年がそんなタイプとも思えないし、冷静に考えて私達はそんなふわふわした関係ではないのだ。
まあ、じゃあどんな関係って訊かれても困るけど。

どういうつもりでこんなこと言うのかな。
もしかして私、からかわれてる?
なんて思い悩むのも、いい歳して恥ずかしいなと思い至って、

「ねえ、ちなみにそれってどう言う意味なのかしら?」

素直に訊いてみた。

「それは……秘密です」

けど、そう返して僅かに緩む端正な顔に、心のうちをぐちゃぐちゃにされてしまった。

なんかよくわからないけれど、完敗である。





その店の前まで来て、ハッとした。
ハッとしたまま隣を仰ぎ見ると、彼もまた同じように驚いた顔をしている。

僅かな機微すらも様になるとは、天晴れイケメン!とか、脳内がよくわからないテンションで叫んだ。

以前来たその店に、暖簾は掛かっていなかった。暖かな灯りも客の談笑する声も聞こえない。
代わりに店前に出された札には、定休日の文字。

「……定休日、みたいね……?」

ぽつりと呟いた私に、

「はい。すみません」

赤葦くんは申し訳なさそうに一言。

「え?いや、赤葦くんが謝ることでは!」

あ、やばい。そんなつもりで言ったんじゃないのに、これでは彼を責めているようではないか!焦りから思わず顔が引き攣った。

「でも俺が誘いましたし……」

「いやいや、私も調べれば良かったのに定休日なんて考えもしなくて」

シュンと肩を落としこそしなかったが、無表情なりにもわかるほど気を落とした様子の赤葦くん。
なんだかイジめているようで胸が痛んで、私こそ相手に任せて調べもしなかったことを反省した。

あんな風に無駄に化粧直しに勤しむ暇があったら、少しは調べたらどうなんだって話だったと視線を落とす。

すると、

「……どこか他の店でもいいですか」

話題を変えるように言った赤葦くんが、辺りを見渡して代わりになる店を見繕おうとする。

でも、周囲に見えるのは居酒屋ばかり。
駅ナカに牛丼屋とファストフード。少し行けばファミレスもあるけれど、

「でも、和食の舌になっちゃってるわ」

今日は昼から湯気の立ち上る炊きたての白米と一見質素ながらご飯の進むふき味噌とお味噌汁のことばかりを考えてしまっていた。
今更ハンバーガーなんかじゃ代えがきかない。

「ファミレスとかでも和食はありますけど」

少し困った顔で代わりの案を提示する彼に、

「でも菜の花のからし和えはないんじゃないかしら」

少しだけ意地悪をいう。と、一瞬面食らった顔をしてから、

「……まあ、それは仕方ないです」

何故だか微笑む彼の心中は如何に。

油断するとすぐ彼の笑みの理由を考えてしまいそうになる自分に苦笑いが漏れた。

そんなことを考えてみたところで、私は彼じゃないし、分かるわけがない。

だったら、私は私でやりたいように振る舞うだけだ。

「んー……代替案として、なのだけど」

「はい」

「赤葦くん、うち来る……?」

そう思って問い掛けた言葉に、

「!」

ピクッと反応した肩は確かに動揺しているようだった。

「えっと、最近作ってなかったけど、和食苦手じゃないし。時間的には今からお米炊くから、遅くなっても大丈夫ならっていうか。赤葦くんも無理なら」

そしたら、見開かれた瞳に何故だか私の方が怯んでしまって。
あ、やばい。この反応は引かれてる?仲良くしてるとはいえ独身女の家に呼ばれるのは流石に気持ち悪いかな。なんて止めどなく溢れてくるネガティヴな思考に押し潰されそうになりながら必死に言葉を続ける。

無理なら断っていい、そう言うつもりだった。一瞬、脳裏に未成年淫行の新聞見出しがチラつく。

けれど、

「はい。ありがとうございます」

私の声を遮って述べられたお礼の言葉は、酷く優しい響きで。

「お邪魔します」

見上げた赤葦くんは、嬉しそうに微笑んでいるのだから、とりあえず事案として訴えられる未来は考え過ぎだと思われる。




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