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それでも、私は我儘だから





「私ね、大切な人を作ることが怖かった」


クロや研磨と離れた時、もう二度とあんな風に笑いあう日は来ないんじゃないかって思ったら、胸が張り裂けそうなくらい痛くて。
こんな風に別れの日が来るなら、もう誰とも仲良くなりたくないと思った。

大切な人なんか作るからこんな思いをする羽目になるのだし、重荷なんか背負いたくない。

のらりくらりと躱しながら、誰にも深入りしないで過ごすことが、不幸なこととは私にはどうしても思えないんだ。

こんな風に、瞼を閉じればたくさんの大切な人の笑顔が浮かぶようになってしまった今でさえ、そう生きられたら楽なのに。
なんて思う薄情さを私は持ち合わせている。


「好きな人なんかいらないって、思ってた」


お母さんとお父さんが別れた時、永遠の愛なんか無いんだってわかったから。
たとえ想い合うことが出来てもいつか終わるんなら意味なんかないって思った。

自分に寄ってくるのが見てくれに惹かれて言い寄ってくるような軟派な男達ばかりだったっていうのも、そりゃあ少しは理由のうちに含まれるけれど。

それでも中には本気で私のことを好きになってくれた人だっていたと思うんだよ。

ただ、ささけれだった心で斜に構えてた私の目には、そんな彼等の真剣な想いも、一時の気の迷いみたいにしか映らなかった。


「……でも、恋ってしようと思ってするものじゃなかった」

潔子と仲良くなってよかったって思った時、それでももう潔子だけでいいって思ってしまうくらいには私は臆病なままで。

この恋はしようと思ってしたものじゃなかった。

「西谷は歳下で私より身長も小さいし、バカでうるさくて、その上私の大好きな潔子にちょっかいかけたりして。初めはほんとに、うざいなーって思ってたんだよ?」

恋愛とか結婚とか、そういうキラキラしたものに全く憧れがないかって言われたらもちろんそんなことはないんだけど。
友達の後輩ってだけの顔見知りである西谷に対して、初めから抱いてた下心なんかひとつもなかったと思う。なんたって、タイプじゃなかったし。

「でも、捻くれた性格してる私には眩しくて目が眩むくらい真っ直ぐで綺麗な目をしてて。その真っ直ぐな瞳が私のことだけ見てくれたらいいのにって気づいたら思ってしまってた」

でも、今やその男前すぎる内面ばかりか、小学生みたいだなんて思っていた筈の外見まで、全部が全部大好きだ。

なんて、

ちょっと盲目すぎるとは自分でも思うけれど。

「寂しいときは寂しいって言っていいんだって、泣くのを我慢するのは強くなるってこととは違うんだって、教えてくれたのは、全部西谷なの」

大切なことは全部、西谷が教えてくれた。
独りが寂しいって認める勇気をくれたのは、彼だ。

「気がついたら心の奥深く、誰も触れられないような場所に太陽みたいな笑顔が棲み着いて。恋は落ちるものなんて言うけど、好きになりたくないって足掻いたところで無駄だった」

西谷が潔子を好きなんだって勘違いしていた私は、自分の想いを自覚してからというもの、所詮は不毛な恋だと何度も諦めようとしたのに。

心に棲みついた西谷は、私自身にすら触れられないほどの奥深くで笑うんだ。

俺がそばにいますよって。


「お母さん、私ね?お母さんにいらない子って言われるのが怖かった」

「……!」

震えそうにか細い声で、それでもなんとか口にすれば、言われた母が目を見開く。

「産まなきゃよかったって思われるのが怖かった」

「ナマエ……っ」

泣きそうになりながら、それでも今日ここへ来た意味を失わないように。

逃げないように、両脚に力を込めて真っ直ぐに母を見つめる。

言いたいことは全部話すと、他ならぬ西谷に約束したから。
たとえ傷つくことになっても、彼が待っていてくれるから。

私はもう、逃げないと決めた。


「だから小さい頃から一人で夕飯を食べたし、授業参観も三者面談も先生に事情を話して、お母さんを困らせないように迷惑掛けないようにって努力してきたの」

授業参観が大嫌いだった。
三者面談はそれ以上に厄介。
それでも、実際先生が母に直接会って訴えなくてはならないほど、成績も素行も悪くはなかったから、私は年々家庭の事情を説明することが上手くなったし、ほとんど一人で生活していても心配なんかいらないと担任に思わせられるくらいには真っ当に育ったつもりでもある。

「でも、本当は友達の色とりどりに工夫された可愛いお弁当が羨ましかったし、帰ったらあったかいリビングでつまんないクラスのニュースとか部活の先輩の愚痴とかお母さんに話したかった。聞いて欲しかった」

けれど、どんなに平気なフリが上手くなったって、寂しくなかったわけじゃない。素直に言えば、

「……ナマエっ」

母の眉間にはこれ以上ないほど深い皺が寄って、加齢を少しも感じさせないと思っていた彼女の顔にも、確かに苦労と苦悩の片鱗が見える。

「育てる気もないくせに産まないでよって、何度も思った」

「……っ!」

こんな顔をさせたくなくて、ずっとずっと我慢して来たのに。

一種胸がスッとするような、痞えがおりたような気がするのだから、心ってものは本当に一筋縄じゃいかない。

綺麗なことだけ口にしていたい。
心の隅にある不平不満や汚く濁った淀みなんか晒さないように目を逸らしたい。
そう思うのと同じくらい、本当はずっと全てをぶちまけてしまいたかった。

等身大の自分を見つめて、楽になりたかった。

「子どもは愛の結晶?笑わせないでよ。そんな一時の気の迷いみたいな愛なんかの所為で!私は望んでもないのに産み落とされて、寂しい思いをする為に存在してるのかって思ったらさ?おもちゃもいいところじゃない。あなた達の自己満足のために産んだんでしょ?幸福に浸りたかっただけなんでしょ?」

どうして世間では、親が子を責めることはなんとも思わないくせに、子が親を悪く言うことは悪いことだとされているんだろう。

産んでくれたのに、育ててくれたのに。
親不孝なんて言葉があるけれど、それなら子どもには親を選ぶことが出来ない事実は?

なぜ、生み出した側が偉くて、生み出された側はいつだってそこに感謝と敬意を持たなくてはならないとされているのか。

そんなことを口にすれば一瞬にして袋叩きにあうような世の中だから。
ずっと心に巣喰った疑問を口にせずに生きて来た。

けれど、

「そう……ずっと、恨んでた」

思わずにいられたわけじゃない。

独りが寂しいってひとりきりのベッドで泣いた夜に、神様なんて見たこともない存在だけを睨み続けていられたわけじゃない。

「……ナマエっごめ……っ」
「謝らないで。謝罪なんかで誰か救われると思ってる?」

人間って、本当にショックを受けるようなことがあった時、一瞬脳がフリーズするんだと思う。

謝罪を遮って言った私の言葉に動きを止めた母は、まるで生まれて初めて聞いた言語で話しかけられでもしてるみたいに、思考を停止させているようだった。

そんな人に、

「勝手に産んで、勝手に二人の事情に巻き込んで、振り回して。何様のつもりなの?お母さんから生まれたら私はお母さんの所有物?じゃあもっとちゃんと管理するなり、管理する気がないのなら、せめて自分が最低な親だと自覚してよ」

こんな言葉で責め立てる娘は、血も涙もないんじゃないかって、自分で思うよ。

でもね、

「……っごめんなさ……つ」

わかって欲しかった。こうして、弱々しい肩を自身の腕で抱き寄せるようにして泣き崩れる母の姿に、

「自覚した上で、わかってほしいの。……たとえお母さんが私を愛してなくても、私はお母さんを愛してるよ」

私の胸だって、引き裂かれてしまいそうなんだってことを。

「……え、」

大粒の涙を下睫毛に溜めたまま私を見上げた母は、声にならない吐息を漏らす。

「なんでだろうね?憎んでも恨んでも、夜寝る前には必ずお母さん今何してるのかなって、ちゃんとご飯食べたかなって考えちゃうんだよね」

努めて明るく口にした言葉に、何故だか愛しさがこみ上げて。
心なんてどこにあるとも知れないはずなのに、心臓が熱くなる。涙が溢れ出す。

「刷り込みなのかな?それとも血とか、遺伝子レベルの問題で、もしかしたらどうやってもお母さんのこと嫌えないように出来てるのかも」

娘が母を想う気持ちは世界共通。なんて、そんなこと言うほど私は世間を知り尽くしていないけれど。

母を憎いと思う以上に、そんな気持ちどうでもいいと思えてしまうほどに、私は母のことを誇りに思って、憧れて、敬愛して。

「なんにしても……私は自分が幸せになりたいって思うのと同じように本能的なレベルで、お母さんにも幸せになってほしいと願ってしまうみたいなんだよ」

抗いようもなく大好きなのだ。

この身に巣食う矛盾を吐き出せば、母は傷ついたような顔で下唇を噛む。

悔しそうなその顔に、またひとつ胸の痞えがおりてゆくのがわかった。

「……もし、過去がお母さんを縛り付けてて、幸せになる為に私が邪魔なら。あの家を捨てたみたいに私のことを捨ててもいいよ」

これは、実は最近湧いて出た考えで。
長らく母に捨てられまいと必死になってきた私にとって、こんな気持ちになる日が来るなんて。
それこそ、天と地がひっくり返る程の気持ちの変化だと思う。

「……!」

「私を売るなんて普通に考えたら犯罪だし、私はもう西谷のものだから、人身売買ってわけにはいかないけど。それでも、」

それでもきっと、母のお荷物でしかない自分より、こんな私でも母の幸せの為にその服の裾を離すことができたと思えるのなら。
その方が私にとっては納得のいく未来だと思ったのだ。

だから、少し照れながら。
頬を濡らす涙を拭って口にした言葉は、

「バカなこと言わないでちょうだい」

突然の母の言葉によって掻き消される。

歪んだ視界でも俯いているのは見えたから、泣いているとばかり思っていた母は、気がつけば顔を上げて、

「あなたは私の大切な娘よ!捨てるなんて……出来るわけがないでしょう!?」

叫ぶように声を荒げる。

「……っ!」

その言葉は私の胸を強く打ちのめして、

「……っ、私にとってあなたは、生きた意味に等しい……宝物っなんだから!」

息が出来なくなりそうだった。





綺麗事なんか嫌い。
愛を尊いものだと謳う風潮も、それなら父と母の間にあったものは愛じゃないのかと思わされるから。

自身が恋をして尚、恋の歌なんか嫌いだ。


「あなたは……紛れもなく私とあの人の愛の結晶よ」

そう言った母は瞼の縁に涙の粒を溜めたままで、まるでか弱い女の子のようなのに。

「あなたが生まれた日のことは、今でも鮮明に思い出せるわ。私はあの時、世界で一番幸せな女に他ならなかったの」

迷いなく言った瞳は何処までも強く、私の憧れたその人の眼差しだった。

「…………」

私は子どもを産んだことがないから、きっと母の当時の気持ちを理解することなんか出来やしない。

けれど、自身を世界で一番幸せな女だと思う気持ちには心当たりがあって。
西谷と結ばれた日、彼が私の未来までも欲してくれた朝の光を、私は一生忘れられないだろう。

だから、きっと母も。
私が生まれたその日のことを大切に記憶しているのだと思う。

「それでも、あなたを見る度に思い出してしまう」

けれど、

「自身の過ちを、過去の後悔を。大切なものを大切にすることも出来ない不甲斐ない自分を思い知るようで。もう二度と取り戻せない幸福を想わずにはいられなくて、辛くて」

母にとって私が幸せの証明であったが故に、私は失ってしまった眩しい日を思い出させるだけの存在になってしまったのだろう。

「弱い私は、あなたへの愛よりも自分を守ろうとしたの」

「…………」

自嘲するように薄く笑った母が、どうしようもなく悲しくて。

人が何よりも自身を優先することなんか当たり前のことなのに、それを悪にさえ思わせる愛という存在が恐ろしいものに思えた。

母の苦しげな声に何を言うこともできずにいれば、訪れる静寂。

冷たい墓地で向かい合う私達は、1メートルもない距離に立っているのに、心の距離は果てしなく遠く感じる。

「……ナマエだっていつか私を置いて家を出て行くんでしょう?」

長い沈黙の後にポツリと呟かれた一言はあまりに唐突で、

「え、」

うまく聞き返すことも出来なかった。

けれど、

「いつか私を一人にするんでしょう?だったら、捨てられる前に遠ざけてしまいたかった。次に大切な人に見捨てられたら、私は……もう二度と、伸ばされる誰の手も掴めないと思った」

「……っ!」

一人の女として、一人の人間として、よく知っている。

たとえ、いつか西谷にフラれるようなことがあっても、私には潔子がいて。たった二人の幼馴染も、菅原やクラスの皆だって仲は良くて。
西谷との関係と、他の皆との絆は全くの別物だなんてことは頭ではわかってる。

それでも、西谷は私の心臓を持ってる。
それくらい大切なものを、彼に預けてしまったんだ。

その危うさを恐ろしいと思いながらも、大切なものを預けてしまっているから、怖いものなんかないって勇むことが出来るんだ。

「だからっ、私は……っ」
「ねえ、知ってる?お母さん」

震える足を歩み進めることが出来るのは、西谷が背中を押してくれるからだ。


一歩大きく踏み出して、小さく丸まる母の背を抱き寄せれば、

「……っ!」

微かに震える肩甲骨。
それをゆっくりと包み込むように抱き締めて、

「私、将来はお母さんみたいなバリバリ働く女になりたいって思ってるんだよ」

呟く。

抱き締めた肩は想像していた何倍も薄く、頼りなくて。

こんな肩にたくさんの重責を背負ってきたのかと思ったら、それだけで彼女へ抱いた遺恨など宙に溶けてゆきそうだった。

「え……」

その突飛な発言に、母が驚くのも無理はなくて。

「家庭を顧みずに働き続けてきたお母さんを散々責めといて、自分も子どもができても働きたいって思ってるんだよ」

言いながら口元に浮かぶ笑みは、自嘲だった。

「血は争えないよね」

もし自分が子を持つ日が来たとしたら、こんな寂しい想いさせたくないと思う。なのに、母のような女性になりたいと願うだなんて、なんて愚かなんだろう。

「でも、きっと、私が悪いことをしたら西谷は怒ってくれるから。だから私は将来バリバリ働いたとしても、きっと家庭を大事にしてみせるって思うし、子どもだっていつかは欲しいなって思うの」

けれど、そんな矛盾した考えを一つの夢として両立させてくれるのは、きっと西谷の存在があるからで。

私が道を踏み外さないように、西谷はずっと手を繋いでいてくれると信じてるからだ。

「ナマエ……」

そう呼びながら母の細腕が思いの外強く私の背中を抱き寄せるから、

「だから、これからは……っお母さんが間違ったことしたら私が怒っちゃうからね!」

意識の外で涙が溢れて、止まらない。

「……ナマエ……っ」

そしてそれは、きっと私だけではなくて。
母の涙交じりの声が私を呼ぶのに、たまらなく胸が締め付けられる。

「お母さんは一生私のお母さんだよ」

世界でたったひとりの、私の家族。

「私は一生あなたの娘だよ」

この人の娘に生まれてよかったって、涙が止まらなかった。





小さい頃、思慮深いその瞳が愛おしそうに自分を見つめることが誇りだった。
そんな幼い日の思い出を少しも忘れることが出来ない私は、おかしいのかもしれないと思っていた時期もある。

愛に飢えるが故に愛された記憶を鮮明に大切に保存しているその姿はどこまでも滑稽だとも、思った。

けれど、

「知らなかった、ナマエは私にそっくりかもしれないわね」

そう笑う母は何処までも無邪気に、何故だか酷く嬉しそうだった。

「私もそうなの。昔のことを忘れられない。よかったことも悪かったことも、嬉しかったことも悲しかったことも、上手く忘れることができないのよ」

生きるのが下手くそよね。なんて舌を出してみせる仕草は少女じみていて、40にもなる女がするにはどうなのかと思うのに、それが似合ってしまうところが私の母の凄いところなのだ。

「ずっと、後悔してたの」

そう語る声は静かで、やはりこんな時でさえ母のことを深い森の奥の湖のようだと思う。

そんな偉大で神秘に満ちた存在のように感じてしまう。

「私みたいな、他人を顧みれない人間が子どもを産むべきじゃなかったって。自己実現ばかりを優先して、相手の気持ちも慮れない私なんかが結婚したところで、幸せになんかなれるはずがなかったって」

その中身はこんなにも思い悩む、たったひとりの愛おしい人間に他ならないのに。

「お母さん……」

過去の後悔を語る母は何処までも穏やかな表情で、酷く悲しいことを言う。
そんなことを言うのをやめさせたいと思う気持ちもあった。
でも彼女の意思は固くて、私は耳を塞ぐことなど許されない。

「わかってたのよ。私は仕事と家庭、自分と家族を天秤にかけた時に、きっと周りを傷つけるような選択しか出来ないんだって。それでも、私は我儘だから。上手く行きっこないってわかっていたって、あなたを産む決断をした」

「……!」

母と手を繋いで歩くのなんて、もしかしたら10年ぶりくらいになるだろう。
それくらい久々の行為は、初めこそドキドキしてまるで様にならなかったけれど、ものの数分でぴったりと収まって。とてもしっくりきた。

私は今まで、まるで姉妹のように振る舞う親子を見る度に、年齢不相応で気持ち悪いとか思うような捻くれた人間だったけれど、所詮は愛に飢えた人間の僻みに過ぎなかったのだと思う。
だって母の手はいつまでだって繋いでいたくなるくらい柔く、不思議なくらい手に馴染んでしまったのだから。

「あなたは私のエゴに巻き込まれて生まれてきたの。だから、せめて絶対に幸せになってもらわなくちゃいけない、なんて義務感みたいな責任感みたいなものが湧いていたの。誰が産もうとも、ナマエの人生はナマエのものなのにね」

まさか母がそんなことを思っていようとは、夢にも思っていなかった。

「……うん」

私の幸せなんかを考えていてくれたなんて。
そう思ったら、自然と繋いだ手に力が入ってしまって、痛いわと笑われては慌てて力を緩めた。

それでも、手を離そうとはしない母に、歯痒くも温かい気持ちになる。

「あなたはあの人に似て見た目に恵まれているし、こんな若いうちに出来た彼氏なんて、あなたの見てくれに惹かれたような男の子だって思ったの。勝手に決め付けて、あんなことを言ってしまったこと、謝らせてちょうだい」

おかしそうにクスクス笑う母は、自らの愚かさを笑っているのか、

「余計なお世話だったわね。西谷くん……あの歳であそこまで肝が座ってるなんて、ナマエが好きになるだけあるわ」

はたまた、さっき会った西谷のことを思い出して、笑っているのか。

わからないけど、なんだか憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。

「うん……。西谷ってほんとに……ため息が出るくらい男前なんだよ」

そしてそれは、私も然りだろう。
この世は本当は愛と希望で出来ているのだと嘘八百で並びたてられても信じてしまいそうなほど、心は穏やかに晴れ渡っていた。

「今日だって、お母さんに会うのが怖くて。ついつい俯いちゃう私を引っ張って歩いてくれて。西谷がいたから、私はお母さんと向き合うことが出来たんだ」

例えば今日、もしこうしてお母さんと腹を割って話しをすることに成功していなかったとしても、話した結果わかり合うことが出来なかったとしても。
きっと西谷がいれば生きていける。

そう思えるくらい、私は彼にたくさん救われて生きてる。

けれど、

「……そう」

「でも、心配してくれて嬉しいよ。ありがとう」

いつだって人が目指すのはハッピーエンド。

こうやって母と笑い合うことが出来て、本当に良かった。


「私ね、生まれてきてよかったよ。……産んでくれてありがとう、お母さん」

そう言って微笑めば、母は一瞬目を見開いてから笑い返す。

「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」




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