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あなたの見る世界1
私は、あなたのことを何にも知らない。
机に突っ伏して考える。 彼がひとりで見つめていた夕暮れに、何を想っていたのか。
昨日見た光景が、頭から離れない。
茶色い長髪を後ろでひとまとめにして、とっつきにくい髭面。長身なのも手伝ってガタイの良さが尋常じゃなく際立つ。
その人の手掛かりは、長身で髭面。あと、優しい笑顔。
たとえ私達の間には何の繋がりも無くて、私はあなたの名前さえ知らなくても。
この想いは、きっと本物だから。 だから神様、どうか――、
「なーミョウジ」
「んー?なあに」
休み時間、机から顔を上げないでいると、肩を叩かれた。 見れば同じクラスの日向が、今日も人懐っこい好奇心旺盛な顔でこっちを見つめてくる。 恋愛対象にはまるで浮上してこないけど、皆に好かれるタイプの男子。もちろん私も嫌いじゃない。
「なんか今日元気ないなー?どうかしたー?」
「んー、別にー?」
「あ!もしかして英語の小テストヤバかった?!」
「うーん。日向じゃあるまいしそれはないな」
日向の小テストはヤバい。私は彼が小テストで2桁の点数を出してるのを見たことがない。 見るからにって感じだけどおバカさんなのだ。
「まあね、ちょっと気になる人がいてさ。別に悩みとかじゃないから気にしないで」
素直に言ったのは、それ以上詮索してきてほしくないから。なのに、
「気になるって……好きな奴ってこと!?」
日向はいつも以上に大きな声で言った。
その声によりクラスの半分くらいの視線が突き刺さる。 うっわー。やってくれたよこいつめ。
色恋沙汰なんて思春期の高校生にとっちゃいくら話しても足りないようなとても関心の高い話題だ。
そんなものを教室のど真ん中でするということは、クラス中に自身の恋愛事情を暴露するということに他ならない。
焦った私は、さっきから何も答えない私にどんな人?いつから?うおー!スゲえ!とひとりで喋りまくる日向の手首を掴む。
そして、
「ちょっと来いやー!!」
階段まで連行するのである。
*
「まじで勘弁してよーっ」
「え?何が?」
私の必死な訴えなどまるで理解してない日向は、ぽかんと目を見開いてアホ面。
「クラスの視線釘付けじゃん。私別にみんなに恋の相談したいわけじゃないの!」
「はっそうか!俺だけに与えられた特権」 「日向に詳細を語る気はない」
遮るように睨むと、
「えー?!なんでだよー!」
大袈裟な驚嘆。いやいや、なんでって私達ただのクラスメイトじゃん。 仲はいいけど別にそんな深い話する仲じゃないよね?!
「だって私の好きな人明らかに先輩だもん。日向じゃどうにもならないよ!」
放っといて!そう言おうとした言葉は、
「おー!日向じゃねーか!」
階段から降りてきた人物の声によって掻き消された。
「あ!田中さん!チーッス!」
坊主にお世辞にもいいとは言えない目付き。鋭い眼光にビビりそうになるけれど、
「おう!っつーか日向お前こんなとこで女子と二人ってもしかしてあいび」 「違います」
そんな不名誉な勘違いに気づけば堂々と物申していた。
「あいび?」
おそらくこの田中さんって人が言いたかった言葉は逢いびき。相愛の男女が人目を避けて会うこと。密会。
日向にはちょっと難しかったかな?
「お、おうそうか。悪かったな」
なんて素直に謝罪する田中さんは、もしかしたら見た目に反して律儀なお人柄なのかもしれない。
と、私が突如登場した田中さんのことを考察していると、
「あいびじゃなくて、ミョウジの好きな人のこと話してただけです!」
日向が迷いなく爆弾投下。
「好きな人!?」 「うぅおーい日向ー!?」
本当にこいつなんなの!ひとの恋バナをなんだと思ってるの!
「なんで話してんだよボケこらー!あんたにはクラスメイトの秘密を守ってあげようとかそういう気持ちは無いの!?」
拳を握りしめて吠える私に、
「だってほらー、あれじゃん、えーっと、そうだよ!田中さん二年生なんだしミョウジが好きって言った人とも知り合いかもよ?!」
明らかに今思いつきましたっていう言い訳を披露する日向。
「は?」
「きっと田中さんは協力してくれるぜ!?だって俺たちバレー部の頼れる先輩だから!」
キラキラした瞳でそういうオレンジ頭に、
「な、な、なっ日向よせやいこのー!褒めてもなんもでねぇぞー?」
少しもよせなんて思っていなそうな坊主。
あー……バレー部の日常を垣間見たわ。
でも、日向の苦し紛れの一言は私に光明を見出す。
「あーなるほど。まあそれは一理あるのか」
確かに日向の言う通り、先輩が協力してくれるなら私は彼に近づくことも出来るのかもしれない。 それは現状少しも進展のしようがない私の恋路にとっての、考え得る限り最も良い展開といえよう。
けど、
「でも私、その人が一年じゃないってことはわかったけど、二、三年どっちかも、名前すら知らないんだけど」
話はそう簡単には行かない。
「ええーっ!?」 「おいおい通りすがりの女子よ。よくもまあそんなんで人を好きなんて言うな」
日向はもう何度目ともしれない大袈裟な驚嘆、田中さんは呆れ顔だ。
けれど私はそんな二人を見もせずに、
「助けてくれたんです」
呟く。
「え?」 「誰が?」
二人同時に放たれる言葉に、思い出すのその人の、不器用な笑顔。
「その人が、大学生の集団に絡まれてる時、ひとりで」
時間が経っても色褪せない、私とその人をか細くでも確かに結んだ縁。
「「ほうほう」」
二人の相槌は息ぴったりで、入部してからそんなに日数は経っていないはずと考えると、やはり田中さんと日向は相性とかがいいんだろうな。 なんて考えながら、
「街ゆく人がみんな見て見ぬ振りする中、その人だけ私を助けようとしてくれて。その後も、不器用に笑ってくれて」
私は胸に大切に仕舞い込んだその思い出を慎重に慎重に、紐解くみたいに口にする。
「その笑顔が忘れられなくて」
私は多分、その人を好きになったんだ。 もう一度笑って欲しくて。
「そしたら、昨日のことなんですけど、学校前の土手でその人が何か辛そうに佇んでるのを見かけてっでも私その人のこと何も知らないからっ声もかけられなくて……っ」
その瞳に映る憂いを、理解したくて。
でも、何も知らない。彼の心を一方的な行為と好奇心で、土足で踏みつけにすることなどできない。
「おっおい女子!泣くな泣くなっ」
感極まって涙声になる私に、田中さんは焦ったように制止した。
踏み込めない。でも、気になる。 暇さえあればその人のことばかり考えてしまうほど。 うっかりクラスメイトとその部活の先輩なんかに、思いの丈を漏らしてしまうほどに。
「そんな、なんの関わりもないのに、好きとか笑っちゃうってわかってます。でも、」
噛み締めた唇は、昨日から何度もそうした所為だろう。 血の味がした。きっと荒れ果ててるんだろう。乙女にあるまじき失態だ。
「私は優しいあの人の見ている世界を少しでもわけてほしいって、あんな辛そうな顔はもうしてほしくないって、思ったんです」
真っ直ぐに顔を上げると、
「おう。まあ、なんだ……とりあえずよ、放課後バレー部の部室に来い」
そこには、なんだかしょうがねーなって顔で胸を叩いてみせる田中さん。
「先輩を紹介してやる」
そう言って笑う、鋭い目付きのヤンキーみたいな先輩は、なんだか妙に頼りになる気がした。
続く!
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