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静寂に落ちる空
そうと決まれば、花火が始まる前に買いに行かなくては。 そう思った私はシートの端っこにちょこんと揃えて置いてある下駄に足を通した。
瞬間、足に走る痛み。 恐らく鼻緒に当たっている部分に豆でも出来ているのだろう。 家から祭り会場、それから学校、そしてまた祭り会場へと歩いた代償だ。仕方ない。
けれど、ここで痛いなんて顔したら東峰くんは私に買いに行かせてはくれないだろう。 そう思ってなんでもない顔を装う。
「東峰くん何がいいー?」
「悪いな、なんか。ミョウジに任せるよ」
私がブルーハワイぶっかけたようなものなのに、脱がすぞって脅されたことも忘れて本当にひとのいい東峰くん。 そんな彼に感心しつつ痛みを堪えて歩き出す。
「ほんとー?じゃあ適当に見繕っちゃうからね!」
そうして屋台の並ぶ通りへ向かって背を向けた私に、
「あ、ミョウジさん!」
「んー?どしたの西谷」
慌てたように声をかけてきたのは西谷だった。
「俺も行きます!」
「え?いいよいいよ!西谷もなんなら被害者だよこの場合!寛いでな!かき氷も新しいの買ってきてあげるし!」
実は、東峰くんのシャツを滅茶苦茶にしたことにももちろん責任を感じていたけれど、西谷のかき氷をダメにしてしまったことの責任も逃れられないと思っていた。 なのでどうせなら東峰くんへの貢ぎ物と一緒に西谷にかき氷も買ってくるつもりだ。
「いや、ミョウジ一人で出歩いたら多分ナンパとか面倒くせーと思うよ。なんなら俺もついてこっかー?」
それなのに、しまいには菅原まで付いてこようとする。 いや、お前まで付いてきたら東峰くんひとりになっちゃうじゃない!そろそろ澤村君たち、先にご飯を調達している連中が帰ってくるだろうとは言っても、流石にひとりにするのは如何なものか。
そう思って怪訝な表情をするも、
「スガさん!大丈夫っス!俺が責任持ってお供するんで!もともと俺のかき氷の所為ですし!」
先に西谷が制止する。
「そうかー?じゃあ西谷に頼むわ!」
菅原は私の懸念を理解したのかそれとも西谷の言葉に説得力があったのか、そのまま大人しく引き下がった。
「西谷、無理しなくてもいいんだよ?あんたも部活で疲れてるでしょう?」
「いえ!ミョウジさんに何かあるんじゃねぇかって考えちまう方が休まらないんで!お供します!」
西谷は私に負けず劣らず頑固だ。 それはこれまでに何度も話してきて感じてきたことだし、まあ本人がここまで言うのにひとりで行くってのもおかしな話だ。ついてきてもらいますか。
そんなこんなで私は、今度こそ屋台へ向かって歩き出した。 小さいけれど頼りになる男、西谷をお供に。
*
イカ焼き、ベビカス、チョコバナナ。並ぶ屋台は色とりどりで、いたるところから魅力的な匂いが漂ってくる。
「東峰くん何が好きなんだろー?プリキュアの綿あめとか、いるかな?」
金魚すくいの屋台を横目に見てから、その隣の綿あめ屋さんを指差して問うと、
「ハハハッ!ミョウジさんが買ってったらきっとどんなものでも嬉しいですよ男なら!」
西谷は眩しい笑顔でそんなことを言った。
「えー?西谷だけだよそんな男前なこと言ってくれるのは!菅原とかめちゃくちゃ文句つけてきそう!」
「スガさんミョウジさんと仲いいっスもんね!」
「えー?よくないよくない!」
「そうスか?仲良くて羨ましいですよ」
そう言う西谷の横顔は、屋台の照明の所為なのか影を帯びて見える。
え、何?西谷ってこんな性格のくせに意外と友達少ないタイプなの?!意外すぎない?!
「西谷……私があんたの友達になってあげるからね、大丈夫よ」
言って西谷の肩を叩くと、違いますと怒られた。まあ、西谷に友達がいないわけない。こんないいやつで、こんな男前なのに。
けど、じゃあ何よあの紛らわしい表情は! そう思ったけれど、冷静に考えてみたら照明の所為で憂い顔に見えてしまっただけなのかもしれない。と、思って気を取り直した。
「んー、とりあえず焼きそばとたこ焼きは外せないよねー?」
「そうっスね!祭りといえばですし」
西谷と並んで歩きながら、ふと思い出した。
「あ、なんか文化祭思い出すね!あの時はお昼ありがと!」
あの日は西谷にお世話になりっぱなしだったな。 買い出しに付き合わせ、お昼に付き合わせ、潔子には会わせてあげられたけどすぐ私が独り占めしちゃったし。
お昼も奢ってもらっちゃったしなあ。 ここはやっぱアレだよね。隙あらば奢ろっと!
「い、いえ!むしろ俺の方がミョウジさんとご一緒出来て幸せだったっつーか」
照れて言う彼を横目に見ると、なんだかこっちまで照れくさくて。 すぐ赤くなったり慌てたり、西谷って本当ウブで可愛いなあ。なんて思った。
途端にからかいたい衝動に襲われたけれど、さっきも自身の考えなしの行動で東峰くんに迷惑をかけたばかりだったし、自重した。
「わ、射的とかもある!」
人混みを流れに沿って歩きながら、目当ての屋台の前で立ち止まるのを繰り返していると、前方に射的の屋台が見えた。
昔、一度だけ父と夏祭りに来たことがあって、射的で勝負したっけ。
懐かしい。
「射的したいんですか?」
意外そうに顔を覗き込んできた西谷に、
「あ、いやー、昔やったなって。でも東峰くん待ってるし、あとは飲み物買って戻ろ」
なんでもない顔で笑って答えた。
けれど次の瞬間、
「おじさん!一回!」
私の手を引いて屋台に入った西谷は、二人分の小銭を店番のおじさんに渡した。
「え、え!西谷!」
「勝負しましょうミョウジさん!」
そう言って彼は、おもちゃみたいな射的用の銃を手渡してくる。
「え!だって早く帰らないと東峰くん待ってるよ?!」
戸惑う私に白い歯を見せて笑うと、
「少しくらい大丈夫っスよ!ほら、構えて構えて!」
私にゲーム開始を促してから自分は片目を瞑って狙いを定める。
その横顔は、まるで無邪気な少年そのもので。
胸が、高鳴る。
「じゃ、じゃあ一回だけ!」
私も前屈みになって景品のキャラメルに狙いを定めた。
引き金を引くと、ぱこんと音がしてコルクが飛んだ。のだが、景品にはかすってもいない。
「あれ、意外と難しい!」
意外にも難易度が高いことに驚いて西谷を見ると、当たってるし! く、悔しい!! キッと睨みつけると、
「勝負ですよ!ミョウジさん!勝ったほうが負けた方になんかひとつ命令できるってのはどーすかね!」
ニヤリと笑って提案してくる、無邪気な少年。
「望むところだー!かかってこいこらー!」
「お、俺のが一歩リードしてるのに威勢良いっスね!」
「なんだとー!?今に泣きべそかかせてやる!」
売り言葉に買い言葉。 挑発に乗った私はその扱いにくい射的銃の癖を、なんとか理解して最後の一発で狙っていたキャラメルを落とした。
「やったー!見てた?見てた?キャラメルだよー!」
両手を挙げて全身で喜びを表現する私に、
「はい!俺も負けてらんないっスね!」
優しい顔で微笑む西谷。 その大人びた表情は、さっきまで私を大人気なく煽ってきた少年と本当に同一人物なのか。
「俺も、これが最後の弾です」
そう言って標的を狙う、真剣な表情。 普段の子どもっぽさを感じさせない顔で銃に向かって、引き金を引く。
西谷が発射したコルクは真っ直ぐに景品のラムネ菓子に向かって行く。
そして、コツンという音がしてラムネは下に落ちた。
「わー!ラムネだー!」
そう言って西谷に飛びつくと、
「っ!ミョウジさん!!?」
彼は私の腕の中でカチンと固まったように動かなかった。
「やったねー!凄いじゃん!二個も当てるとか!才能があるよ!スナイパーかも!」
抱きしめて腕の中で頭をくしゃくしゃに撫でる。 あ、やべ、セット崩れちゃうよね。反省反省!と、冷静になって私が離れると、
「……ミョウジ、さんっっ!」
燃え上がりそうなほど真っ赤な顔だった。 西谷は私がぐしゃぐしゃにした髪を整えることもせずに真っ直ぐこちらを見つめていた。
「にし、のや……?」
私は、西谷のその表情を見たことがあった。 苦しそうに寄せられた眉、妙に伝わってくる緊張、奥でぎらつく射抜くような瞳。
いつかの保健室で、文化祭の買い出しの帰りに、私の胸を掴んで離さなかった、西谷の表情だ。
呆然とする私に、西谷は何事か言おうと両手を握りしめて、
「俺っ!ミョウジさんっ」 「ほれ、景品だぞー!持ってけー!」
と、その時私達の間に射的屋のおじさんが割って入った。
「え、あ……」
ぽかんと口を開けたまま西谷が惚けていたので、
「わ、ありがとうございます!へへ、キャラメルだー!」
私は両手で景品を受け取る。
「嬢ちゃん美人だからひとつサービスな!」
なんと!きっぷの良いおじさんなのだろうか。 他に客がいるにも関わらず堂々とサービスしてくれた。
いやっふー!美人でよかったー!
「わーい!おじさんおっとこまえー!」
ありがたいことだし、とりあえずお決まりの台詞でおじさんを褒めてから、西谷に微笑む。
「ねぇ、ラッキーだったね!西谷!」
けれど彼は未だ惚けた顔のまま。
「……へ、」
「西谷?」
「あ、いや……なんでもないです!えと、ラッキーっスね!」
なんだろう。西谷が何か伝えようとして、射的屋のおじさんに遮られたんだってことはわかってる。 でも、だからってこんな傷ついたみたいな顔をするなんて。
彼は私に何を伝えようとしたんだろう。
何か大切なことを聞きそびれてしまったような気がして、私は口を開く。
「にしの」 「坊主ー!今じゃねえよ!」
と、またしても射的屋のおじさんに言葉を遮られる。驚いてそちらへ首を向ければ、
「でも、頑張んな!!」
白髪混じりの人の良さそうなおじさんはそう言って笑顔で西谷に親指を立てた。
……なんだっていうんだろう?
射的の屋台に入ってから西谷とおじさんが交わした会話なんて初めにお金を払った時くらいのものだ。 それなのにどうしてこんな意味深に会話してるのか。
私はまるでわからなくて小首を傾げたけれど、
「うっせー!わかってるよ!」
西谷は怒ったみたいに勢いよく屋台を飛び出す。
「わ!ちょっ西谷ー!?あ、おじさんありがとねー!」
おじさんにお礼を言いながら、慌てて西谷を追いかけて屋台を出る私にも、
「西谷!?ちょっと西谷ってばー!」
彼は全く振り返ろうとしない。
どうしよう。さっきより人混みはましになってはいるけどはぐれたらきっと合流は至難の技だ。 一体どうしたというのか。さっきからちっとも彼らしくない。
おじさんの言葉の意味はわからないけれど、こんな風に勝手にどこかへ行ってしまうなんて。
……嫌気がさしたのかな。 我儘で勝手な私に。
まだ視界の端に見える西谷の逆立てられた黒髪。 それを追いかけようとして走ろうとした瞬間、胸と足に鋭い痛みが走った。
「……いったぁっ」
弱気になったその瞬間に、足を見れば親指と人指し指の間から血が出ていた。
実はずっと痛んでいたのだが、一緒にいる西谷に気を遣わせまいと気丈に振舞ってきた。
けれど走ろうと足に力を入れた瞬間、ついに豆が破れて皮膚が剥けてしまったのだろう。
とてもじゃないが走れるような痛みじゃなかった。
「あーもー。やだっ」
痛みと西谷とはぐれた動揺で、なんだか全身から力が抜けてしまう。
ぐったりと重くなった身体で、どうしようかな、バレー部のとこ帰ったら西谷もいるかな。などと濁った思考で考える。
と、その時。
真っ暗だった空に突然光の花が上がった。
「え……はな、び……?」
どかん、なんて地面を揺らす音が響いて、ああ、間に合わなかったんだって気付いた。 潔子はもう皆と合流したのだろうか。 東峰くんお腹空かしてるだろうな。
西谷、どこ行っちゃったのかな。
夜空に浮かぶ色とりどりの花火を見上げて、考えてしまった。
世界にはこんなにたくさんの人がいて、みんな誰かを想ったり想われたりしてるのに。 どうして私は、今ひとりなんだろう。
大きな花火が轟音を轟かせて。 がやがやと煩いはずの人混みで、周りの会話が聞こえなくなる。
それは世界が私を置き去りにしていくようで、不思議な感覚――。
「……っさん!」
似合わない感傷に浸って、ぼんやりと空を見上げていた。 そんな私の手を引いたのは、
「ナマエさん!」
さっき人混みに消えたはずの、西谷だった。
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