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清水潔子の回想
ナマエの第一印象は、お人形さんのようだと思った。
大きな瞳に長い睫毛、茶色の綺麗な髪は緩いウエーブを描いていて、すらっと伸びた長い脚なんか作り物かと思うほどな脚線美だ。 入学式の日、クラス中の人間が芸能人を目の当たりにしたかのように遠巻きにひそひそ噂話をしていたのを今でも覚えている。
学校の近くの田舎道を彼女が歩いていると、なんだかドラマの撮影でもあるのかと思ってしまうくらい浮世離れしていて。 通り過ぎる誰もが振り返るようだった。
今では毎日一緒にいる仲だけれど、そんなナマエとも初めから仲が良かったわけじゃない。
彼女は誰とでも仲良くしていたし毎日挨拶くらいはしていたけれど、私も人とすぐ打ち解ける方ではないし、一学期の途中までただのクラスメイトだった。
きっとあの日、女子トイレでの一件が無かったなら。 もしかしたら私達は毎日お昼を一緒に食べるほどの仲にはなれていなかったかもしれない。
ちょうど生理で、トイレの個室に入っているときだった。
「つーかうちのクラスまじありえないよね!清水さんとミョウジさんいるとか!」
クラスの派手な女子の集団が入ってきて、扉の外で言った。
「あんな美人いるとかさー、男子みんなあの2人目当てじゃん。やってらんねーって」
「確かに!いっつも男ウケ狙った格好してるしさ!2人とも黒タイツとかさ、清楚気取ってんじゃねーっての!」
「男はあーゆーの好きだよねー。顔可愛いけどさ、ぜってー性格悪いだろあの2人!」
ぎゃはは!なんて下品な笑いが化粧室内に響き渡り、自分の間の悪さにうんざりした。 よりによって自分の噂話をされているときに個室に入ってるだなんて。 あの子達が出てからトイレを出なくてはならない。
彼女達の確かな悪意に胸が痛まないわけでは無かったけれど、別にこういったことを言われるのは初めての経験ではないし、聞かなかったことにすれば……なんて考えながら息を殺していた。その時だった。
がちゃりと音がして、隣の個室が開いた。
と、
「ねー!悪口はわかんないよーに言ってよーもー」
そこから出てきたらしい声の主は、特に険を孕んだ様子もなく坦々と、その女子グループに声をかけた。
「ふつーに傷つくしー」
言いながら彼女達のいるであろう水道で手を洗うその人は、
「げ、ミョウジさん、……いたの」
ミョウジさんと呼ばれた、まだ仲良くなれていない頃のナマエだった。
え?嘘!こんな悪口言われてるのに本人が出て行っちゃうの? そう個室内で聞き耳を立ててしまう私など置き去りに、ナマエはなんでもないように振る舞った。ように、少なくとも音声だけでは私には聞こえていた。
「私がタイツ履いてんのはさー、中学の時に陸上部で脚に傷あるの恥ずかしいからー!それに!男ウケ狙うなら俄然紺のハイソでしょ!」
「あ、え、」 「へぇ、そ……っかあ」
ハンカチを取り出して手を拭いて。なんてのが想像できる布ずれの音と、仲のいい友達に言うようにそんなことを言うナマエと、そんなナマエにどう返していいのかわからない様子の悪口を言っていた女子達。
「私もみんなみたいにハイソ履きたいけどさー、ボコボコの膝見せんのもアレだし。もしかしたら清水さんも寒がりとかそんな理由かもよー?」
「へ、へー」 「ってか、さっきのさ、」
すごいな。あんな風に言われても何でもないように振る舞えるなんて、ミョウジさんって。 なんて感心しながら事態を静観していた。
次の瞬間、
「ねー!清水さん!」
「え?!」
私の入っている個室の前まで来て、ナマエの声が向けられた。
「え?!清水さんもいんの?!」 「やば……」 「……うそ」
なんてそれぞれが驚いている声がしてきて、え、私も出て行かないといけない流れなのかな。なんて不安になる。
けれど、
「ごめんねー!出てこなくて平気だよ」
外でナマエがけたけた笑う声がする。
正直、こんな空気の中トイレを流して顔を出すのも気まずいし気がひけるので、私はその言葉に甘えるわけじゃないが、当初の予定通り出て行かないことにした。
それにしても、ミョウジさんって悪口言われても全然気にしないなんて本当に心が広いのかな。 なんて想像したのだけど、
「まあさー、なんていうか、可愛くてごめんねー?」
最後に言った言葉はあからさまに悪意を込めた一言で。 彼女とあまり話したことのない私でも、扉の外では人を逆なでするような顔をしているだろうことがわかった。
ミョウジさんの心は決して広くないということが判明。
「……っ何それ」 「もー行こ!」 「うざー」
ナマエの一言に苛立った様子を見せつつ、言葉をなくした女子グループはぞろぞろと去っていった。 そうするとトイレは元の寒々しさを取り戻し、一気に静かになる。
見計らったように私も鍵を開けて外を見回すと、
「……ミョウジさん」
まだナマエは鏡の前で化粧を直しているところだった。
「あ、清水さん!やっぱそうだよね!私の前に入って行ったから」
はは、なんて白い歯を見せて笑うナマエに、どんな顔をしていいのかわからなかった。
クラスの女子に陰口を言われていると知った直後だからっていうのもあるし、それに対するミョウジさんの対応を聞いてしまった後だからってのもある。 少しだけど、巻き込まれそうにもなったし。
考えて何も言えずにいると、
「巻き込んでごめんねー?清水さんまで悪く言われないといいけど」
困った顔でナマエは言った。 それは、いつも堂々としている彼女の初めて見た憂い顔でもあった。
ああ、多分だけれど、私はこの子と仲良くなれるかもしれない。 そう思ったのは、本当に思いつきみたいなものだった。
「ミョウジさん、中学陸上部だったの?」
気づけばそう口に出ていた私に、ナマエは少し驚いてから酷く嬉しそうに微笑んだのを憶えている。
「うん。清水さんは?」
「私も陸上部。ハードルで、私も怪我の跡残ってて」
「え!?うそ!私もハードル!凄い偶然!」
些細なキッカケだったと思う。 劇的というわけではないし、たまたま中学で同じ部活をしていて、たまたま黒タイツをいつも履いていて。たまたま同じタイミングで女子トイレに入っていて、たまたま運悪く自身の悪口に出くわした。 それだけのことなのに。
ナマエは私をまるで世界でたった1人の大切な人かのように言う。 それはきっと、努めて深く追求しないようにしているけれど、ナマエが引っ越すことになったことや祖母の家で一人暮らししている孤独が心を蝕んでいないはずない。
だから彼女は、私との友情をまるで唯一絶対の愛かのように振る舞う。
もちろん、たった1人の親友なことは私にとっても疑いようのないことだ。
けれど。潔子だけ特別。潔子だけでいい。
きっとナマエの唯一絶対でいることを、良しとしてしまったなら。
傷つくことになるのは私の方だ。
それがわかっているから、きっと私はナマエの友達で居続けようと誓ったんだ。
例え、ナマエがいつか他の誰かを好きになったとしても、おめでとうって心から伝えられるような、そんな友達であろうと。
ナマエが好きになるその人を、私より大切だと思ってくれますように。
そう願うのは、私にとっての最大限の恩返しで、愛で、自制心なのだから。
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