見渡す限りの畑、のどかな空気に豊かな自然。田舎の風景は、どうしてか優しくあたたかい。
「ここがエンゲーブだ」
御者の声に、現実に引き戻される。彼からの案内で、カイツールの検問所を通っていくことは決定した。元の場所に戻るのに必要なローテルロー橋が、先ほどの追いかけっこで壊されてしまったからだ。そこを通るには旅券が必要だが、まあ恐らくルークの名前を出せばどうにかなるだろう。まさか、あの家が何も手回ししていないとは思えない。
それにしても、……ああ、頭が痛い……。ルークとティアの不仲に気付いた時の100倍以上頭が痛い。何だか胃にまで来そうな勢いだ。
それもこれも、先ほどすれ違った陸鑑から聞こえた声のせいだった。だからと言って、その主と出会うとは限らない、むしろその確率はないに等しい。しかし、もしかすると――。
「……リア、あなた顔色悪いわよ?」
「は?リア体調悪いのかよ」
っと、いけない。
年下に心配をかけるのは性に合わない。そう、今はこんなことを考えている暇などないのだ。
「ごめんね、大丈夫よ」
「本当かよ」
「それならいいのだけど……無理はしないで」
「うん大丈夫。ルークもティアも、ありがとうね」
笑いかければ、二人はそれなりに納得してくれたようだった。今は何より、この二人を無事に送り届けることが、頼りないかもしれないけれどわたしのすべきことだもの。
って、気を取り直したっていうのに……っ!!
二人と一旦別れて物資の補給をしていると、宿屋の方から怒鳴り声が聞こえた。これは間違いなく、ルークのものだ。急いでそれを追い、着いたのはこの村エンゲーブの村長、ローズさんの家。
そこまでは、良かった。
それなのに!
「私はマルクト帝国第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です」
絶対に聞き間違えることのない低音に、背筋が凍る。わたしは咄嗟に、開いているドアから見えない位置に移動してしゃがみこんだ。ティアがいるから、きっとルークは大丈夫だろう。ここの主、ローズさんとは仕事上で知り合いなので、もしもの時はなんとかなるという確信もある。話を聞く限りではルークが泥棒と間違われているらしいが……彼がそんな姑息なことをするとも思えない。
ただ、なんで、なんでよりにもよってあの人なの!他にもたくさんいるじゃない!
「……大丈夫ですか?」
「……え?」
頭を抱え込むわたしにかかる影に、身構えながら顔を上げる。そこにいたのは、緑髪の……少年、だと思う。少女のようにも見える中性的な彼は、心配そうな表情でわたしと視線を合わせる。
「気分がよろしくないのですか?それなら、内に軍の……」
「あ、い、いえ、お気遣いなく!全然平気ですから」
「そうですか?でも……」
「いいんです!む、むしろ言わないでくださる方が嬉しいというか……」
今彼に見つかってしまうことだけは、避けたかった。必死になるわたしにきょとんとした彼は、小さく頷いてふわりと笑う。
「……はい、分かりました」
「え?」
「ジェイドには内緒、なんですね?」
口元に人差し指を当てて首を傾げる彼は、「では、」と一礼してローズさんの家に入って行く。残されたわたしは、彼の浮かべた印象的な笑みに、気付いたら頬を緩めていた。
「……優しいお方だなぁ、」
導師、イオン。
いつの間にか、いやな頭痛は和らいでいた。
「……で、そちらにいる方はティアさんたちのお連れですか?」
……ああ、すみません導師イオン、あなたの優しさが水の泡になってしまいました。
再び現れた頭痛に、頭を押さえる。ああもうほんとあの軍人、殴り飛ばしてもいいだろうか。
-------------
20130205 加筆