『人を好きになるって、わかんないんだよねぇ俺』

そう笑って言ったあいつが、まさか俺の本命になるだなんて、誰が予想しただろうか。











「だいじょぶ?」
「身体が痛い」
「そりゃあこれだけやられればねぇ」

目が覚めたら、呆れ顔の松川が俺の手当てをしてくれていた。ぼんやりと周りを見回すと、どこかのアパートの一部屋らしく、怖いくらいに生活感が無かった。本当に寝泊まりのみに使ってる感が丸出しで、ここの主は誰か一発でわかる。

「…松川の家か」
「うん、正式に言えば俺の家」
「は?」
「親というか、父みたいな人が再婚した時にさあ、お金あげるから一人で暮らしなさーいって言われたのさ。んで、中2の時からここに住んでんの。」

なんともないように軽い調子で重い内容を告げる松川はベッド横たわる俺のそばの椅子に腰掛けながら、器用に俺の腕やら足やらに湿布を貼っていく。
…親の再婚は聞いていたが、一人暮らしなんて聞いてな…………………って、ちょっと待て、いつの間にか怪我してない筈の太ももとか腰にも何故か湿布が貼ってあるぞ。


「…松川、そこの腕のは擦り傷だぞ」
「うん、だから湿布貼ってんの」
「いや…普通ガーゼだろ?」
「え、ぜんぶの怪我にはとりあえず湿布でしょ?」
「どこからそんな間違った知識を覚えたっ!!」

頭が痛い。勢いで半分身体をおこしたから身体もズキズキ痛む。
こいつに甘えてもいいかなと思った俺が馬鹿だった。このままじゃ全身湿布臭くなってしまう。

「…それよりさ、犬吾」
「なんだよ?」
「――なんで泣いてたの?」

湿布を剥がそうとしていた手が止まる。ギシリと音を立てて、松川がこっちに身を乗り出してきた。
ムカつくくらい整った顔が目の前にあって、息が詰まり、動機がばくばくと激しくなる。
…ああ、だめだ。自覚してしまうとなんでもないことも意識してしまう。

「あれだけ取り乱すって、あんまりないことでしょ?」
「そ、れはな……」

確かに、あれは今までに無い行動だった。
悲しさと自己嫌悪で頭がいっぱいになって、何も知らないやつにすがりついて大泣きするだなんて、今更だがなんて恥ずかしい事をしたんだろう俺…!!
思わず頭を抱える俺だが、松川の言葉に、はっとする。

「俺は犬吾好きなんだから、心配だよ」

―――やめてくれ。

そんな言い方は、嬉しくない。

好きだから、本命だから。

それは“松川が決めたこと”。

好きな感情なんかわからない。俺を本命という存在にすればわかるかもしれない。
全てはそこから始まった。


俺は松川を意識し過ぎないように毎日囁かれる甘い言葉やスキンシップを上手く受け流して来たけど、結局松川を拒むことをしなかった。それ故にいつの間にかこいつをすきになっていた。自覚したばかりとはいえ、やっぱりこいつといると落ち着かなくて、胸が痛い。


けれど、松川は?


好きだ好きだ言うその言葉は、本物ではないんだろうと思う。だって、恋愛感情がわからないやつが俺みたいな何処にでもいる平凡を本命にするだなんて、馬鹿げている。

ああ、なんか、嫌だ。
イライラしてきた……っ


「…犬吾?」
「だああああああっ」
「ど、どしたの犬吾!?ご乱心?!」
「お前もう俺に好きとか言うんじゃねぇ!」
「はあ?」
「なんか考えたらわけわかんなくなってきたんだよ!」

きょとんと目を見開く松川に俺はぎゃんぎゃんと怒鳴る。触れようとする手を拒むようにがむしゃらに両手をばたばたさせた。
嗚呼、これじゃまるで本当に犬だ。

「お前の、本命とか好きだとか、よくわかんねぇ!本命ってのがわからないからとりあえず俺にしてるんだったら、すぐやめろ!」

惨めなのは、もうたくさんなんだ。

「ちょ、犬吾」

じわっと視界が滲む。そして、さっきとは違った涙が次々ととめどなく流れて、止まらなくなってしまった。すぐさまこの場を立ち去りたいのに、足が痛いから動けない。

「犬吾、どうしたの?俺がなんかやったの?」
「……も、やなんだよ」
「犬吾」

手をぱたりと置いて、首を横に振って、下を向く。
涙がポタポタとベッドのシーツを汚していって、松川に申し訳無いが今はそれどころではない。

「好きになるばっかは、もうやなんだ」
「けん………」
「俺は、松川が好きだ」

松川が息を飲んだ。
俺は松川を見ないまままくしたてるように声を出す。…もうどうにでもなれ!!

「松川のことあしらっといて今更だと思う、でも気づいちまった。俺は全部普通で、平凡で、つまんない奴だけど、松川が一番なんだ。……松川が好きの意味がわかんないのは知ってる。だから、もう俺に好きだなんて言うな。」


望んでしまう。
好きになってほしい。
必要とされたい。
俺なしじゃ生きられないくらいに、好きになってほしい。
そんな寂しい願いを、松川に押しつけたくなかった。

…松川には、女の子が似合う。
悲劇ぶるつもりは無いなんて、格好ことは正直言えない。俺は平凡であって、純粋なわけじゃないから――――……


「駄犬だねぇ」

「…は………?」

呆れ顔の松川が、ため息をついた。

「ばか。犬吾のばかばかばかばーか。お前のともだち腐男子ー!」

こ、こいつは…!!

「…松川、空気読め」

「え、嫁?なってくれんの?」

「なるかぼけぇ!!」

ああもうこいつはシリアスという言葉を知らないんじゃないか。

「………ったく、お前は…」

どうしようもなくて片手で額を押さえると、ポンっという音と共に松川が俺の頭に手を置いて、笑った。それに驚いて顔を上げた拍子にまだ目に溜まっていた涙がぽろりと落ちる。

「俺ね、犬吾に謝んなきゃならないことがあんの」
「へ?」
「俺さあ、知ったんだよ。人を好きになる感覚」

……………は?

「俺が死ぬぞ死ぬぞ言う度に、何度も何度も呆れながらも止めてくれたの、犬吾だけだった。それからずっと犬吾と一緒にいて、本命発言の前日くらいには『ああこれが好きって気持ちなんだ』ってわかってた」

こいつは、何を言ってんだ

「か、彼女は…?」

そうだ。こいつはたくさん女と付き合ってた筈だ。しかも本命発言の時なんて、彼女にフられたから死のうとしてたんだぞ。

すると、松川はにこやかに言った。

「あれはねぇ、全部ホラ」

「え」

「確かに中学までは酷かったんだけど、高校に入ってからは無かったよ。たぶん最近犬吾が聞いてたのは、きっと中学の時に俺の気の迷いに巻き込まれた子達が流したデマ。で、俺が吹いたホラは本命発言の為のネタ」

「……………」

頭がついていかない。
しかも、ちょっと前の発言にとんでもない言葉が入り混じっていたような気がするんだが、俺の幻聴か…?!

「ま、松川、今の」
「うん、だから」

『俺は、心から、犬吾が好きだよ』

――夢か何かかだろうかと疑う時間とか、ついていけないとかなんて言う余裕なんて、無かった。騙して全部わかってやがってたのかと叱るのも後回しだ。
今はただ、ただ、


「ばかやろう」

手を伸ばして、いつの間にかベッドに座ってあぐらをかいていた松川を引き寄せる。そのまま首に腕を回して、その緩みきった無駄に整った顔を睨んでやる。

「ごめんごめん、では、気を取り直して」


さっきの、もういっかい


さらさらした金色の前髪が、顔にかかる。至近距離に迫った顔に息を飲みながらも、俺は松川に向かって口を開いた。

「……好きだ」

「うん」



なんだか、もう

「犬吾、だいすき」

しんでもいいと、思った。






………と、綺麗に事は収まるはずも、無く。

「はい、犬吾くん。吐きましょうね」
「え」
「泣いてた理由結局聞いてないし」

…今、よりによって今この状況で言えるわけがあるか!!

好きだ好きだと言い合った後に『実は好きだった人の結婚決定で泣いてたんだ』なんて言ったらこいつはどうするかわからない。うわーんと泣いて『俺は寂しさを紛らわすための道具だったのね』とか悲観的考えをされたらもの凄く面倒だ。死ぬぞ発言が無くても薫に愚痴られたりしたら俺の携帯はたぶん薫からの着歴とメールでいっぱいになるだろう。それは面倒を通り越して最悪の事態。

できるなら言うのは避けたい…………が、相手はあの松川。かなり難しい。

「ねえ、犬吾」

するりと両手首を掴まれて、白いシーツに縫い付けられるように押し倒される。
さっきまで向かい合っていた筈の顔が、今度は俺を見下ろしてる。
胸の鼓動が、早い。


「言わないなら、吐かすよ?」

「まつ、かわ」

「こーき」


松川の長くて白い人差し指が、口唇に触れる。


「こうきって、呼んで、ね?」


ふわり、と、金色の髪が揺れた。






…なんだかもう、どうにでもなれ…!!






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