「…さ、とう…?」

小笠原の目が茫然と俺を見ている。綺麗な茶色がかった瞳に俺が映っているのを見て、頭のなかが一瞬で真っ白になった。

「えーっと…」

この場合は久しぶりと言うべきか、それとも初めましてと言うべきなのか。俺が目を泳がしていると、小笠原は突然、飛び掛るようにして俺をぎゅっと抱き締めてきた。

「嘘だ…なんで?…佐藤がいる…さとう、さとう…さとうっ」

確かめるようにぎゅうぎゅうと腕に力を入れてくる小笠原の体は震えていて、俺は開きかけた口を閉じると彼の背中に腕を回した。ひんやりとした身体が触れ合う。

「つめてえなあ。お前いつからここに立ってるんだよ」
「…わかんない。ねえ、それより佐藤。これは夢なの?…夢だったら、もう一生覚めなくていいのにな」

小笠原は俺の肩に埋めていた顔を上げると、俺の顔を覗きこんだ。

「顔色悪い。佐藤、傘は?」

心配そうな顔をして俺の頬に手を伸ばす。優しく頬を撫でる小笠原の手は思わず震えてしまうぐらいに冷たい。

「顔色悪いのはお前の方だ、バカ」
「…俺?別に俺はどうだっていいんだ。佐藤がいいなら何だっていい」

小笠原はやつれた顔で微笑んだ。本当に心から嬉しそうに。それは俺が死ぬ前、彼がよく浮かべていた表情だった。

「…よくねえよ」
「佐藤?」
「このままじゃいけないって、分かってるだろ」

俺の言葉に小笠原は顔を歪ませる。また、泣きそうな顔。でも俺は止めるわけにはいかない。

「小笠原、俺は死…」
「っいやだ!聞きたくない!」

小笠原は俺から離れようと身をよじるが、俺は抱きしめていた腕を離さなかった。ここで離したら、なにも変わりはしない。

「っ小笠原!」
「やめて!離してくれっ…佐藤、さとう」

暴れようとする小笠原を必死に押さえつけようとする。しかしもやしの俺に自分より遥かに体格のいい男を押さえつけられる筈もなく、小笠原が闇雲に振り上げたのだろう手が顔に当たると、簡単によろけて、濡れたコンクリートの上へとへたりこんだ。

「……あっ……」

じんじんとした痛みに顔をしかめながらも顔を上げれば、完全に血の気を失いかたかたと震えている小笠原がいる。

彼は俺と目が合うなり、濡れたコンクリートに崩れ落ちるように膝をついて俺の頬に触れた。動揺しているのだろう、その手もかたかたと震えている。

「佐藤っ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

小笠原は何度も何度も謝罪をひたすらに繰り返した。まるで壊れたテープレコーダーみたいに。俺は俯くその顔を両手ではさみ、持ち上げる。そうして赤く腫れている瞼にそっと口づけた。

「…俺、嬉しかったんだ」

俺は小笠原の目を見つめる。間近で見る小笠原はやっぱり格好よくて、水も滴る良い男っていうのは彼のような人のことを指すのだろうなあと思った。

「分かってたんだけどなあ、何時かは忘れられるんだろうなって。でもさ、いざ目の当たりにすると結構ショックなんだよ。…でも、小笠原だけはずっと俺のことを引きずってる」

小笠原も俺を見つめていた。ざあざあと雨が体を打つ。何処からか時計の針の音がした。それはきっと俺の終わりまでへのカウントダウン。

「俺は最低なんだ。俺のことなんか忘れて幸せになってほしいなんて思いながら、小笠原が俺のことを忘れないでいてくれるのが嬉しいんだ」

小笠原の頬をはさむ手に温かな滴が触れる。嗚咽を必死に堪えようとしているのだろうか、噛み締められた唇が真っ赤に染まって痛々しい。

「ずっとお前のこと見てたよ。毎日、綺麗な花をありがとう。俺を思ってくれて、忘れないでくれてありがとう。
―でも、それも今日で終わりだ」

胸がずきずきと痛む。何で俺は死んでしまったんだろうな。でもきっと、死ななかったらこんなに誰かを愛しいとは思えなかっただろう。

「俺はもう行くよ」
「っ…やだ!いやだっ!だったら俺も一緒に連れていってくれっ!もう嫌なんだ、佐藤がいないなら生きている意味なんかない!」

小笠原は悲痛に叫んだ。毎日、毎日、小笠原が願っただろうこと。でも俺はそれを叶えられないし、叶えようとも思えない。だから俺は首をふる。

「俺は絶対にお前を連れていったりしない」

だって好きな人には生きていて欲しいと思うだろ?俺の囁くような声に、悲痛な顔をしていた小笠原が呆然と俺を見る。俺は笑った。

「幸せになれよ。皆が羨むぐらい、いつだって笑ってろ。小笠原が幸せになって、すごく幸せになって、…それでも俺を忘れていなかったら、」

雨と涙に濡れた頬を親指で拭う。俺は次の言葉を言おうか言わないでいようか一瞬迷った。

言えばきっと、小笠原を縛りつける。言葉の威力ってやつはすごいんだ。
だけど、俺は小笠原に生きて欲しかった。彼の綺麗な肌やその心がこれ以上傷つかないで欲しいと願った。そのためなら、俺は何の力もない幽霊だけれど、何でも出来るって。馬鹿みたいだけど、そう強く思ったんだ。

「…会いに行くよ。生まれ変わって、もしかしたら次は人間じゃないかもしれないけどさ…でも、きっと会いに行くから」

だから、待ってて。
俺の精一杯の言葉に、小笠原は声をあげて泣いた。もしかしたら、俺が雨に紛れて泣いていることに気づいたのかもしれない。




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