雨が、降っていた。
傘から滑り落ちた滴が新たな水溜まりを作る。
シズちゃんのアパートのインターホンを押して数十秒。漸くドアが開かれた。
「シーズちゃん。来たよー」
「臨也……」
「?どうしたの?」
シズちゃんの声と表情がいつもと違う。何て言うか、眠たそう。寝起き、みたいだった。
首を傾げてみせると、彼は申し訳なさそうに、だけど雨の音に掻き消されないようにハッキリと告げた。
「悪ィ、明日仕事になっちまった……」
シズちゃんのその言葉を聞いて、俺はピシリと身体が固まってしまった。
「……ちょっと待って、明日は前から二人で過ごそうって言ってたじゃん。俺だって立て込んでた仕事片付けて来たんだよ?」
「だから、悪いって。また今度時間作るからよ。明日早ェから今日は、」
「帰れって言うの?わざわざ池袋まで来たって言うのに?シズちゃんの薄情者ー!っていうか何で連絡くれなかったの?俺がここに来る前に言ってくれればまだ良かったのに……」
「疲れてて、寝てた」
確かに最近、シズちゃんは忙しそうだった。
だけど、それでも、
「最悪……、もういい、シズちゃんの馬鹿!死ね!」
「……っ、臨也!」
シズちゃんの声が追い掛けて来たけど、それを振り払ってばしゃばしゃと泥水が跳ねるのも構わずに走る。
仕事と俺、どっちがいいの。……なんてそんな女々しいことを聞くつもりはないけど。
でも何て言うか、久しぶりにシズちゃんとゆっくり過ごせると俺だけ浮かれてたっていうことが嫌だった。
一方通行みたいな気持ちになるのは、キライ。
「シズちゃんのばーか……」
小さく呟いた声は、傘を叩く雨音に消されてしまった。
(でも、死ねは言い過ぎたかな……、いや、シズちゃんが悪いんだし)
直ぐに自己嫌悪。
昔は毎日のように罵り合いをして来たけど、最近は喧嘩をする方が珍しいくらいだった。
もし俺が今のシズちゃんに“死ね”なんて言われたら胸を抉られるような気持ちになるだろう。
半ば追い返された今だって十分傷付いてるけどさ。
シズちゃんが悪い、いや、俺も言い過ぎた。そんなことを悶々と考えていると、携帯の着信が鳴った。メールの着信音だ。
専用の受信ボックスに新着メールの文字。シズちゃん専用の、受信フォルダ。
「……シズちゃん」
少しだけ緊張しながら、メールを開く。喧嘩した時のメールや電話はいつも不安が纏う。愛想尽かされたらどうしよう、だとか。別れ話だったら、とか。
俺はすっかり臆病者になってしまったらしい。今も自分の中に潜む臆病者が顔を覗かせながら、携帯を握り締めメールを読んでいる。
でもシズちゃんからのメールは別れ話なんかじゃなくて、
『臨也、ごめんな。明日、夕方に会おう。今度は俺がそっちに行くならよ。』
謝罪の言葉だった。
「ははっ、何これ。行くならよ、って打ち間違い?」
多分、行くからよ、と打ったつもりなんだろうね。
慌ててメールを打ってるシズちゃんの姿を想像しておかしくなった。
「何て返事してやろっかなー」
傘を持ってない方の手で携帯を操る。
喧嘩は飽きる程してきたからもう嫌だ。一方通行の想いも嫌い。
だから、仲直りのきっかけをシズちゃんが作ってくれたことに浮かれてたんだと思う。
だから、信号が赤になっていたことに気が付かなかったんだ。
もう、そこからは一瞬の出来事。
目の前が真っ赤に染まって、身体にすごい衝撃が走って。
死ぬんだ、と理解した。理解したと思ったら、拒絶。恐怖。そして……後悔。
あ、れ。俺、死ぬの?嘘でしょ?まだシズちゃんと仲直りしてない!やだ、待って、待って、まだ死にたくない!何で何で何で何で何で……!?シズちゃん!シズちゃん!シズちゃん……!
頬を伝う雨。冷たい。俺の身体から滑り落ちた滴。赤い。
……シズちゃん。
シズちゃん。
もう一度、ちゃんと、話したかっ、……
ブツン、と何かが途切れて、赤かった目の前が真っ暗になった。
To be continued...
20100605