『今夜、行ってもいいですか』
『いいよ、但し夜の9時以降に頼むよ』
電車に揺られている途中、数時間前にやり取りをしたメールを見返してふと思った。
(俺、何してんだろ)
この電車の行き先は新宿。あの人の、拠点としている場所。そして俺は今新宿に向かっている。
愛しい、あの人に会いに。
◆
一度深呼吸をしてから、インターホンを押す。直ぐにあちらから応答があった。
『紀田くんだよね?今開けるよ』
「あ、はい」
約束通りの時間に来たから、スムーズに部屋に入れてくれた。オートロックが外れ、ドアが開かれる。
合鍵があればいいのに、
叶うことのない幻想を抱きながら、俺は臨也さんのところへ向かう。
「いらっしゃい」
「……お邪魔します」
にこり、といつもの笑みを浮かべる臨也さん。コートを纏わない身体は細く、腕捲りをしているせいでちらりと見える肌は白い。
目に、悪かった。
「紅茶とコーヒー、どっちがいい?あ、ココアもあるけど」
リビングに促され、臨也さんが小首を傾げながら問い掛ける。
そうやって、ふとした時に見せる可愛げな仕草は狙ってんのか……?
「コーヒー、お願いします」
本当はコーヒーよりココアの方が好きだけど。子供扱いされるのが嫌で、今出来る精一杯の背伸びをしてみせた。
「そういえば、」
コーヒーを煎れながら、臨也さんが顔を綻ばせた。
「シズちゃんはね、ココアが好きなんだよ。あんなでっかい図体してココアっておかしいよねぇ。笑っちゃう」
“シズちゃん”と、彼の口からその名を聞く度に胸を抉られるような感覚になる。
「……臨也さん」
「ん?」
「……いや、何でもないです」
他の男の話はしないでくれ、と。
そう言おうとして、でも出来なかった。
視界に入った、テーブルの上に置かれた灰皿と、煙草の吸い殻。
(静雄さん、来てたんだ)
ここに来ると言った時に時間を指定された訳が分かった。
俺と臨也さんの間には何の関係もない。やましいことはしてないから、静雄さんとばったり鉢合わせても問題はないけれど、俺からしてみたら気まずいし、傷付く。
そういう配慮をしてくれると思いきや、静雄さんの話をし始めたり、灰皿を目に届くところに置いていたり、本当に……本当に、臨也さんは性格が悪い。
「はい、お待たせ」
「…っ、どうも」
コーヒーの入ったマグカップを手渡され、軽く指が触れた。
それだけでドキンと高鳴る心臓。
俺は、確かにこの性格の悪い男に恋をしているのだと思い知らされる瞬間。
下を俯き、苦いコーヒーを啜っていると、不意にくしゃりと頭を撫でられた。
反射的に顔を上げると、目の前に笑みを浮かべる臨也さん。
そして、いつものように子供に童話を聞かせるような声音で言った。
「好きだよ、紀田くん」
「……」
「俺は人間を愛している。だから君も愛しているよ。……でも君の気持ちには応えてあげられない」
「……知ってます」
「歪んでいるね。ここに来れば傷付くことを、紀田くんも俺も知っているのに。本当に歪んでる」
「でも俺は、あんたが好きだ」
臨也さんがどこかに消えてしまいそうで、どうにか繋ぎ止めておきたくて、俺はその細い身体を抱き締めた。俺にこの人を包み込める大きな腕があればいいのに。そしたら一生離してやらないのに。
臨也さんの腕が俺の背に回る。
(本当に、何してんだかなぁ)
俺は幾度となく自問してきたことを考え、自嘲染みた笑みを浮かべる。
それでも、目の前の男を離すつもりはなかった。
20100428
静臨前提で正臨でした!正臨を書くのは初めてだったのですごく楽しかったです^^*正臨というより正→臨になってしまいましたが;;
アレイさん、リクエストありがとうございました!嬉しいお言葉まで頂いてしまって////これからも頑張ります!