(静雄と臨也が完全な猫です)(静雄と臨也はしにませんが、死ネタです)
遠くの方で午後五時を告げる鐘の音が聞こえる。オレンジ色の空の下、俺はいつものようにとある家の門を潜った。アイツはいつものように縁側で空を見上げている。
「臨也、来たぞ」
俺が名前を呼ぶと、臨也は耳をぴくりと動かし、アーモンド型の瞳を少し細めながら笑った。
「やあ、シズちゃん」
艶やかな黒い毛並みは、人目で臨也が飼い猫だと分かる。臨也の飼い主は、口を開けば池袋という街が好きだと謳うちょっと変な奴だ。一見怪しい奴に見えるが、野良猫の俺にも餌をくれる優しい人だった。優しい人だけど、俺はそいつが憎くもある。
臨也の首に嵌っている鈴が付いた赤い首輪は、臨也がそいつのものだと俺に語りかけているように見えたし、俺がいくら誘っても臨也は外に出ようとしなかった。飼い主に縛り付けられているコイツが可哀想だと思うと同時に、羨ましいとも思う。
飼い猫という世界に憧れているんじゃない。臨也に愛されている飼い主が羨ましい。
俺は、臨也が好きだ。
だから臨也を独り占めする飼い主が憎い。でも、飼い主から臨也を無理矢理奪おうとは思わねえ。臨也も俺も悲しくなるだけだ。
「今日もずっとそこに居たのか?」
「そうだよ。俺はどこにも行かない。主人を待つことが俺が生きている価値観でもあるんだ」
「……?」
臨也は時々難しいことを言う。生きている意味なんて俺は考えたことがない。ただ、たまにヒトから餌を貰って、昼寝して、散歩して、こうして臨也と会えるだけで俺は十分だ。
「ふふ、シズちゃんには難しいかな?」
楽しげに笑いながら前足で俺の耳を撫でる臨也。何となく子供扱いされているような気がして、俺は頭を振って臨也から逃れた。
「手前がひねくれてるだけだろ!」
「うん、俺は主人に……アイツに、似たのかもしれないね」
そう言った臨也は何となく嬉しそうだった。
コイツの頭の中は主人でいっぱいなんだ。そんなこた分かってる。
でもやっぱり、臨也の口から主人の話を聞くのは面白くねえ。
考えれば考えるほど胸の内に嫉妬の渦が巻く。と、その時。
「……うわ!」
短い鳴き声と共に臨也のしなやかな身体が宙に浮かんだ。臨也の背後に立つ一人の人間。そいつが臨也を抱き上げていた。この人間こそが、臨也の主人であり、俺の恋敵(と勝手に俺は思っている)だ。
俺の嫉妬が最高潮になった瞬間を見計らったかのようなタイミングで、そいつは帰ってきた。
「お前、また来たのか?」
俺に気が付いたそいつは、冷たく聞こえるその言葉とは裏腹に笑みを浮かべている。
無視するのは気が引けるから、とりあえず一声鳴いて反応しておいた。
「じゃあ飯を用意しよう。飯は大勢で食った方が美味いからな」
「だってさ。シズちゃん良かったねえ。どうせ今日もろくな物食べてないんだろう?」
臨也に指摘され、ぐっ、と何も言えなくなる。臨也の言う通り、今日はまだ何も口にしていない。これから臨也の家を後にしても食事にありつけるとは限らない。
野良猫でしかない俺は、皮肉にも憎らしい相手から餌を貰うしかなかった。
目の前に差し出されたキャットフード。
「沢山食っていいからな」
「……いただきます」
俺は複雑な思いを抱いたまま、キャットフードを口にした。
それが、臨也の飼い主――九十九屋真一から貰った最後の餌になることとは知らずに。
◆
暫く雨が続いた。雨の日は臨也は外に出てこねえから行っても意味がない。俺も空き地の土管の中で退屈な時間を過ごした。
3日後にやっと雨が上がり、俺は久しぶりに臨也の家に向かった。いつものように門から入ろうとしたが、何故かそこは閉まっていた。
「……?変だな……、いつもは開いてんのによ」
九十九屋は出掛ける時も門を閉める習慣がない人間だったようで、ここが閉まっているのは初めて見る。まあ、俺には門が開いてようが閉まってようが関係ねえけどな。変、と言えば門を見上げた時に何か違和感があったような気がする。
(……まあ、いいか)
違和感の正体が分からないまま、ひょい、と塀の上にジャンプし、塀を越えて臨也の家の敷地内に入る。
臨也は今日も縁側で空を見上げているだろう、という俺の予想は見事に外れた。
「臨也!?」
臨也は縁側に居た。しかし、その姿はぐったりとしていて、一瞬死んでいるようにさえ見える。
「シズ、ちゃ……?」
「良かった、生きてたか……」
とりあえず意識があることにホッと安堵する。が、次の臨也の言葉は俺を再び動揺することになった。
「シズちゃん、……死んじゃった、アイツ……、九十九屋、死んじゃった……」
「……九十九屋、が……?うそ、だろ」
頭が真っ白になって、胸が苦しくなる。九十九屋の突然の死。そして、悲しげにそれを告げる臨也。
「この家も、壊すんだって……、近所の人が、言ってて……」
そういえば、門に表札がなかった。さっき感じた違和感はこれか。表札が外されたのも、門が閉まっていたのも、家主が亡くなったからだ。
「首輪も、近所の人が外していった。自由に生きなさいって……」
臨也の首に目を遣ると、臨也の言う通り首輪は外されていた。
「でも俺、これからどうすればいいか……、もう、分かんないや……。主人を待つのが、俺の生きてる価値なのに……、九十九屋が死んだら、俺は、どうやって生きたらいいか、分かんない。九十九屋が居なきゃ、俺は駄目なんだよ……!九十九屋が死んだんなら、俺も……」
「臨也!」
もう聞いていられなかった。
「臨也、俺とここから出るぞ」
「……ここから?シズちゃんと?」
「俺が外の生き方を教えてやる。臨也のこと、守ってやる。一緒に居てやる。だから、手前まで居なくなるな……」
臨也が居なくなったら、次は俺が生きてる意味がなくなっちまう。
「シズちゃん、ごめん……、ごめんね……」
たすけて、
と臨也は小さな声で泣いた。
こんなに弱った臨也は初めて見る。
助けてやりたい、その一心で、俺は臨也を連れ出した。
「臨也、大丈夫か?」
「大丈夫。人が多くてちょっと吃驚してるけど……シズちゃんが守ってくれるんでしょ?信じてるからね」
「おう」
臨也にとっては初めて歩く池袋の街。見慣れぬ風景は、臨也の気を紛らしているようだった。
臨也を労るように、なるべく身体を寄せて歩く。するりと躊躇いがちに俺の尻尾に絡んできた臨也の尻尾。
臨也の不安な気持ち、悲しい気持ち、様々な想いがそこから伝わってくるようだった。
「ねえねえ、ゆまっち!あの猫達みて!尻尾絡ませてるー!」
「擬人化萌えっすね、狩沢さん!」
そんな人間の声が聞こえた。何を言っているのか意味が分からず、臨也も些か怖がっている。
「人間って怖いね。俺、アイツ以外の人間に触れたことないから……。アイツが、何でこの街を愛していたか、分からないなあ……」
九十九屋の話をする時の臨也はどこか影が差している。
「臨也、人間が居ないところに行くぞ」
人間を見てアイツを思い出すというのなら、俺は臨也と一緒にこの街から離れる。
きっと、この街で俺達を見掛ける人間はもう居なくなるだろう。俺達はこの街から、――九十九屋が愛したという池袋から、消えるのだから。
20110320
ほんとは2月22日に上げたかったんです、まさかの約1ヶ月遅れ…だと。