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人は誰しも見えない痛みを抱えている。


自分では癒せなかった痛みを抱えている。


かさぶたにさえ出来なかった、触れたら未だに疼くその痛みを、持て余しながら生きている。















「痛っ…」


「なーにー?どうしたの?」


悲鳴をあげた私に反応したお母さんへ慌てて返事を返す。


「間違えて腕切っちゃった、大したことないから大丈夫」


…なんて言ったものの、しまった。凄いところに傷が出来てしまった。ただ包丁で袋を開けてただけなんだけど。


「リスカみたいだよこれじゃあ…」


腕に横走った切り傷。暫く見えないように上手く隠さないと面倒な勘違いをされそうだ。


絆創膏じゃカバーしきれなかったそこへガーゼと包帯を巻きながら、ヒリヒリする痛みに顔をしかめた。たったこれしきの浅い傷だってこんなに痛いのに。


「リスカする人ってどんな気持ちでやるんだろうね……」


ふとそんなことを思って、自分の腕へ巻いた包帯へ触れた。


包帯の上から触れただけでも微かに疼くそれは、でも確かに、




「生きてる実感てヤツなのかね…。」




それともこの痛みが、与えてくれる何かがあるのだろうか。


心を繋いでくれる何かが、あるのだろうか…
















その日 学校の屋上に登ったのは、単に見渡してみたくなっただけだった。


手すりの更に上まで登って見おろす景色。遮るものの何もない開放感。


高いところから、自分の暮らす街を、自分が生きている場所を、見渡してみたくなった。


ただそれだけのつもりだった。




「飛び降りるんか?」




「……は?」


背中にかかった不躾な声。聞き覚えのあるそれに睨むように振り返れば、


「お、黒。色気づいたもん履いてるやん」


「!」


慌ててスカートの後ろを抑える。ずり落ちるようにして柵の手すりから降りれば、白石蔵之介はけらけらと笑った。


「何や、死ぬっちゅー時でもパンツ見られんのは嫌なもんなんやな」


「死のうとしてたわけじゃないから!」


「そうなん?今にも倒れ込んで行きそうやったけど」


……てかもし私が本当に死のうとしてたんなら、あんたのかける言葉はあまりに軽すぎだと思うけど。


それは言葉に出さずにもう一度白石を睨み返す。さっさとどっか行きなさいよ。そんな意味を込めたけれど、白石にはそれはさっぱり伝わらなかったみたいだった。


「だってそれやってリスカちゃうの?」


「!」


指さされた腕。しまった、ドタバタ騒いでる内にいつの間にか制服の袖から包帯がはみ出ていた。


「リスカじゃないよ」


「何で死にたい奴ってみんなリスカしたがるん?リスカ如きで死ねるわけないっちゅーに」


「だから違うっつってんじゃん!」


思わず叫んでいた。


人の話を全く聞く様子のなかった白石の口がやっと止まる。


「あのねえ、腕に傷があったら何でもかんでもリスカとか言うのやめてくれる!?包丁で間違えて切っただけなの、分かる!?死にたかったらこんな中途半端な傷になんないの!」


イライラするままにむしりとった包帯。躊躇い傷にしては斜めに横切った傷跡は、まだかさぶたにもなれずに風に触れてひりりと疼く。


怒鳴るようにまくしたてた私の息は切れていた。白石も吃驚したように目を丸くしていたが、やがてぽつりと呟くように口を開いた。


「……すまん、俺が無神経やったわ。そんな怒らんといてや」


「…………。」


「そらそうよな。そんなつもりあらへんのにリスカリスカ言われたら腹立つよな。」


白石の左腕が私の頭を無造作に撫でる。…何でこんなあやされてるみたいなってんの…。


白石の手が私の手からするりと包帯を抜き取った。


「でも、死のうとはしてたやろ?」


「……はい?」


そして続けて口を開いた白石から出てきたのは、謝ったくせに反省の色のなさそうな言葉だった。


「だから死のうともしてないって言ってんじゃん。自殺願望とかないから」


本当に人の話聞かないな。何だか相手にしてるのが馬鹿らしくなってきて、私は床に降ろしていた自分の荷物を手に取った。もういいや放っといて帰ろう。




「いや、俺が来んかったら多分死んでたで」




「……はあ?」


やけに確信めいた口調で言った言葉に、歩き出しかけていた足を思わず止めてしまった。


「…あんた、なんなの?」


「だってみんな、案外死のうなんて思ってへんもん。」


「意味分かんないんですけど。」


白石が私にちらりと視線を寄越して笑う。


「みんな案外死のうなんて思ってへんけど、でも何か頑張ることに疲れてしんどいなあって思った時、真っ直ぐ歩いてた道をふと気が変わったみたいに、曲がり角を曲がるみたいに、…ふと人生辞めてまうんやなあ。」


「…………。」


……私が?死んでた?


見下ろしていた街を振り返る。私が生きている街。


あそこに身を投げて、ふと人生を辞めるだなんて。




それは確かに どんなに楽なことなのか




(……知りたい気もする…)


「…あんた死にたいと思ったことあんの?」


あまりに自然に浮かんだ自分の感情に、自分でも吃驚して慌てて白石に向かって口を開いた。


「ははっまさか。俺はそんな悩んでへんもん。」


「でも案外みんな死にたいと思ってないんでしょ。」


「多分なあ。」


何だそれ……。


結局終着点のよく分からないやり取りに腹が立ってもう一度背中を向ければ、またもや白石の声が追って来る。


「詩芽、テニス部入らんの?」


「…………。」


再び足を止める。


それは もう何人にも聞かれていたことだった。


「入らない。」


「何でや」


「普通に女子高生遊びたいもん。部活に捧げるとかもういいわ。テニスも、……」


白石の方を振り向かないまま続けた。


「飽きたし。」


「…………。」


「じゃあね。」


「待てや」


歩き出せば腕を掴まれた。切り傷のある方。痛いんですけど……


「飽きたとか嘘やろ。あんだけ自分、」


「うるさいなあ!部活とかもう良いっつってんじゃん!」


「…………。」


「ていうか痛い。怪我してんだから離して。」


「…すまん。」


白石は案外素直に私の腕を離した。…だけど何だか、私もその場を立ち去る気力がなくなってしまった。


「…あいつら、うちの高校には誰もおらへんやん。」


「そりゃそうでしょ。いない学校選んだんだもん」


「なら別にテニス部入ったかて」


「コートに立ちたくないの!ラケット持ったら思い出すの!……チームとか、もう面倒なんだよ…!」


さっきから叫んでばっかりの私の声が、空に吸い込まれるようにして消えていった。


「……分かってよ…」


震えた声は溢れた涙をもう隠せない。でも拭うのは何だか悔しくて、俯いたまま歯を食いしばる。




中学最後の夏。


それは私のトラウマだった。


部活に人生を捧げていた。強くなることが、私の生き甲斐だった。強くなって先輩たちのように全国まで行くのが夢だった。


真面目にやらない部員が嫌いだった。一生懸命をしない部員が嫌いだった。自分と同じ熱量になってくれない部員に苛立っていた。


ただ部長だからって、まるで自分が一番偉いと思っていた。訴えても響かない部員に何度も偉そうな説教をした。それがみんなの為だなんて、部活の未来の為だなんて思っていた。




引退をかけた最後の夏、私だけが勝てなかった。




3回戦まで進んだ府大会。


私だけが一度も白星を上げられず、3回戦目、私の敗戦が決定打になり我がテニス部は敗退。いつも勝利を繋いでくれていたのは 私の態度に反感を持っていた副部長。


私の周りには誰もいなくなった。


誰もいなくなった。











「ラケット持つだけで吐き気すんの……もう試合なんてこりごりなんだってば…っ」


「……詩芽。」


あの頃、独りになったことが一番辛かったわけじゃない。


仕返しのように、いじめが始まったことが一番辛かったわけじゃない。


あいつらが憎かった。嫌いだった。でもそれ以上に、




テニスをしていた頃の自分が惨めで惨めで仕方がなかった。




この手に握ってきたラケットが、栄光の未来を掴めると勘違いしていた自分の手が。


馬鹿らしくて 醜くて 仕方がなかった…。




「…………。」


「!」


突然、黙って聞いていた白石が私の腕を取った。傷のない腕。私の利き腕。


「な…何?」


「手当て」


白石はそれだけ答えて後を続けない。その代わり、傷のない真っ白な私の腕へ器用に包帯を巻いていく。


「怪我してんのそっちじゃないんだけど…」


「でも血が流れとるやろ」


「……え?」


どこに?


思わず自分の腕を見つめてしまう。白石が、包帯の端をテープではなく まるでプレゼントのように蝶々結びにして結んだ。






「詩芽の心の傷の血が、ここに流れとるやろ。」






「………傷?」




心の 傷




「ほら、」


白石が包帯を巻いた私の腕を取る。


蝶々結びの端っこが、風になびいてふわりと揺れた。






「血が止まった気ぃせえへん?」






「……!」


へらりと笑ったその顔に。


「くだらない」って言ってやりたかったのに、言葉にするより前に涙の方が早かった。


伸びてきた腕に縋るようにして隠したそれは、暫く喋れないわたしの頬をただただ静かに流れていった。












人は誰しも見えない痛みを抱えている。


自分では癒せなかった痛みを抱えている。


かさぶたにさえ出来なかった、触れたら未だに疼くその痛みを、持て余しながら生きている。




きっとみんな、『それは傷なんだよ』と誰かに言ってもらえたら、やっとかさぶたに出来るのかもしれないと思った。


そしてやっと、少しずつ治っていくのかもしれないと思った。


傷ついたことを誰かに知って欲しい。痛かったんだと、誰かに知って欲しい。


そして『大丈夫、治るんだよ』って、言って欲しんだと思う。


まるで意地になったように自分ではどうにも出来なかったそれを、『傷』なんだと言って手当てしてくれる人がいるのなら、腕に自ら刃を立てる人たちはどれだけ救われるのだろう。これは心の痛みなんだと訴えるそれに、包帯を巻いてくれる人がいるのなら、どれだけの……。


痛みが繋いでくれる希望なんかじゃなく、手当てして貰って繋がる希望が、気付いてないだけでこの世界にはきっと沢山溢れている。


風に揺れる真っ白な包帯が そんな人たちのところまで届けばいいのにと、心の底から 願った。















END




天童荒太さんの「包帯クラブ」がモチーフでした。
キャスティングが白石になったのは、心の底から、ネタではありません。(笑)ネタに勘違いされるよなって分かってはいたんですけど!(笑)このお話は白石で書きたいなと思って出来上がりました。最後まで読んでくれた方ありがとうございました。