きっかけは本当に些細なことだった。
前から回って来たプリント。勢いよく回されたそれが上手く受け取れなくてもたついた。コントのようにばさりと床に散らばったそれらを見下ろして、二人で3秒目が合った。
「…うわ、すまん。何も考えずに渡したき」
「いや、私こそ全然見てなかった、ごめんね」
3秒って意外と長い。何となしに照れくさくなったのと、散らばったプリントが何故か面白かったのと。思わず二人してふっと笑って、一度も話したことなんて無かった彼の気さくな笑みにドキドキしてしまったのは今でも鮮明に覚えている。
「仁王ー、おせーよお前!」
「教科書借り行ってたんじゃって」
近くから上がった丸井くんの声に思わず視線を上げた。ちらりと見やる教室の扉。本鈴ギリギリ、駆けこんでくる他の生徒に紛れて入ってきた銀髪の彼は、その借りてきたらしい教科書をひらひらと振ってこちらへと歩いてくる。
「………。」
「………。」
( あ、 )
無言で座る前の机。椅子を引く瞬間多分、
(………目が合った。)
気まずい…。目が合ったからって言葉を交わすほど仲良くはない。こんな近距離だ、お互い目が合ったのは分かったけど、多分仁王くんも気まずかったような空気が伝わってきて結局そのまま授業が始まった。…これが朝だったらおはようくらい言えたのかな。
仁王くんが私の前の席に座る日。それは火曜日の5限目、週に一度の選択授業だった。
クラスも違う。委員会も違う。挨拶さえ交わしたことのなかった彼は、クラスもごちゃ混ぜ、席もごちゃ混ぜなこの時間に初めて接点が出来た。プリントをばら撒いたあの事件は最初の授業の日だ。
(だからって話すようになるわけじゃないけどね。)
元々私も男子とは喋るのが苦手だった。積極的に関わるようになるわけでもなく、その銀髪の後ろ姿が偶に眠そうにだれるのを眺めて笑いそうになるのは仁王くんの知る由もないことだろう。
それでも全く何もないと言うわけじゃない。実は毎回楽しみにしていることがある。
授業の終わり、必ず配られる復習用のプリント。毎回 仁王くんがプリントを回す度に交わる、笑い出しそうな気まずいような視線。
きっと毎回 同じ瞬間を二人とも思い出してる。それは仕方ない気もしつつ 反面私らもよく飽きないなと思ったりしつつ、そんな恒例みたいな瞬間を 密かに楽しみにしているのは私だけじゃない気がした。
朝の人でごった返す昇降口。
特別教室の入れ替え時間。
昼休みに込み合う購買前の廊下。
水道に並ぶ掃除の時間。
薄暗闇に紛れる部活後の自転車置き場。
クラスも違う。委員会も違う。挨拶さえ交わしたことのなかった彼とのそれは、いつからか偶然じゃないと気付いている。
あの日 ふっと崩れた笑顔が可愛かった。
初めて話すのに気安い喋り方をしてくれるのも意外だった。
多分お互い、あの一瞬の出来事が凄く楽しかった。
「あ!あきらー!」
友達に呼ばれた名前。
それは珍しく私が本鈴ギリギリに教室に入った選択授業、視界の隅に映っていた見慣れた銀髪のその姿が 机に突っ伏した頭をのそりと起こすのを目に留める。
あ
( この間と 逆 )
「ごめんね先に来ちゃった」
「ううん大丈夫。遅れてごめん」
友達とのやり取りはあまり頭に入ってこなかった。
朝の人でごった返す昇降口。
特別教室の入れ替え時間。
昼休みに込み合う購買前の廊下。
水道に並ぶ掃除の時間。
薄暗闇に紛れる部活後の自転車置き場。
その人の名前が 聞こえた瞬間。
何気なく交わる視線は いつからか偶然じゃないと気付いている。
いつの間にか目で探すようになった姿。いつでも、どこでも、その瞬間を期待している。
授業の終わりのあの一瞬のような むず痒いような笑ってしまいそうな楽しみを、いつからか待ち構えている。
「あー……詩芽さん、」
「……うん?」
授業が終わったと言うのに仁王くんは広げたノートを片付ける様子がなかった。前を向いたまま顔だけ微かに横を向いている中途半端な姿勢は、振り向くべきかこのまま顔を見せずにやり過ごすべきかバレバレで、つられて私も緩む頬を隠すように両手を口に当てる。……初めて名前、呼ばれた。
「あのな、」
「はい」
絡む視線。
やっぱりちょっと、気まずくて。
「……連絡先、知りたいんじゃけど。」
「………私も知りたかったです。」
3秒間で逸れた視線は照れくさくて、気まずくて、
どちらからともなくふっと笑い出した顔は 初めて視線が合ったあの日と同じだった。
視線からはじまる
( 君に恋した3秒間 )
目が合って笑うこと、何気ないようで意外ととてつもない威力があると思っています。
策士な仁王さんも好きですが今回はちょっと不器用な仁王さん推しで書いてみました。