駅前の賑やかな大通りから少し離れた静かな場所。
新築ではないけど、それでも綺麗な小洒落た小さなアパート。
見上げたベランダにはもう取り込まれたのか洗濯物は無く、淡い色のカーテンの向こうで暖かな光が浮かんでいた。
20分前に大学を出る時送ったメールには『今日はカレーだよん』なんて返ってきて、きゅるりと鳴った単純なお腹を押さえて 渡されていた合鍵を鍵穴へと差し込んだ。
ふわりと香るカレーの匂い。ああ、もうアカン空腹の限界。
もうすっかり見慣れた玄関に靴を脱げば、荷物を置くとかとりあえず全部後にして コンロの前へと立つ愛しい彼女の背中へとのそりと寄りかかった。
「ぎゃ!!……うっわあ吃驚した、」
「ぎゃって何やねん色気なっ……てか入ってきたこと気付や」
「ひ、ひど……作るのに集中してたんだもん。おかえり光。」
「ただいま…って俺の家ちゃうけど」
「学校からおかえりはおかえりでしょ。お腹空いてる?」
「めっちゃ空いとる。」
「おっけ、もう出来るから部屋で待ってていーよー」
「おー……」
大人しく部屋に行こうとのしかかった背中から離れるものの、カレーの入った鍋を満足そうに眺めている彼女の後ろ姿を 俺は何となくぼうっと見つめた。
大学生の俺から見れば、もう社会で働いている彼女は随分大人で。
エプロンを付けてキッチンに立つ姿は いつだって少し遠い現実のように見えるのは
やっぱり俺がまだまだガキだからなのか なんて
包帯巻いたどっかの誰かさんには笑い飛ばされそうだけれど。
「………光?」
その場から動かない俺を怪訝に思った彼女が振り向く。
思わず抱き寄せた。
「え、何急にどうし…、っ……」
少し強引に奪った唇は次第に熱く激しく。……まるで意地を張ってるみたいだと、結局抑え切れなかった自分の子供っぽさに彼女を求める傍らぼんやりと呆れた。
「ひ、ひか……っちょっと待っ、」
苦しくなったのだろう、息を切らした彼女が少し強引に俺を押し戻す。……何やねんもうちょっとええやんか。
そのままぼすっと彼女の肩へとうずめた俺の頭を、彼女は不思議そうに撫でた。
「何かあった?」
「……早くお前が俺のモンになればいいのに。」
「ぶ、!?」
「……やっぱ色気ないな…」
思わずぼそっと付け足せばいい音ではたかれた。…痛い。
「ど…どうしたのよ何か言われたの?私のこと?」
「いんや。別に。」
ただ早く。
大人な君に 近付きたい。
「はー…就活がんばろ。」
「う うん……?」
それだけ呟けば俺は今度こそちゃんと荷物を置きに部屋へと向かった。
全く流れのない俺の言動に首を傾げつつ、カレー作りへと意識を戻した彼女の後ろ姿を 俺はちらりと振り返る。
「………ただいま。」
聞こえないようにもう一度ぽつりと呟いた。
………いつか…
…いや、あと何年後かには。
この言葉を
君と 同じ家で。
( おかえり。 )
END
「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくる場所があるって、素晴らしいなとしみじみ思うことがあります。