「結婚するとしたらどんな家庭にするのが夢?」
そんな青臭い話をしたのは中学生の頃だった。
特に深い意味はなくて、確か比嘉中の若い先生が結婚して、自分たちも10年後は結婚してるかもね……そんな流れだったと思う。
「わんはやっぱマイホーム欲しいさー、アパート暮らしとかじゃなくってー」
「永四郎とか結婚願望あんの?」
「無いことはないですけどね。まあ確かにそこまで家庭に憧れはないです。」
「あきらは東京出たいんだろ?悪い男に引っかかるなよ〜」
「何で東京イコール悪い男…?まあ結婚してもバリバリ働いてるかもねえ、共働きかなあ?」
「現実思考だなー、わんは絶対子供3人。長男と娘2人、奥さんは花屋。」
「何でそんな具体的?」
「こいつこの間観た映画に感化されてるだけさ…」
「あははっ私もそれ観たー」
部活終わりの部室でみんなでだらだらアイスを食べていた。
まだただの子供だった私たちの、深くは考えていない思い思いの理想。それは『希望』とか『予想』ではなくて、話すのが楽しいだけの漠然とした『夢』。
「裕次郎は?」
まだ口を開いていなかった裕次郎に話を振る。「待った待った」と、真夏にさっさと溶かされてしまうアイスと奮闘していた裕次郎はアイスを全部押し込んでから口を開いた。
「わんはみんなで賑やかに暮らしたいなあ。」
「この沖縄で、わんの家で、みんなで。」と、続けて言った裕次郎に、「みんなっていうと?」と口々に凛たちが聞けば裕次郎が指を折り折り続ける。
「わん、奥さん、沢山の子供、わんの父ちゃん母ちゃん、おじいにおばあ。猫とかもいていいけど。」
「今時親と暮らしたいって珍しいですね。」
「わんがおじいやおばあがいる家で育ったからなあ。自分が育った家で両親と奥さんが仲良く笑ってて、自分が育ててもらったように自分の子供も育てたいかなって。」
「裕次郎らしいさあ。」
「甲斐クンが意外としっかり考えてることに僕はびっくりしました。」
「どーいうことさ!?」
その時は結局裕次郎がからかわれて話は終わってしまったけど、裕次郎の語る『夢』がやけに心に響いて感動したのを覚えている。この裕次郎が?っていう意外性が私もあったのは否定しないけど、素直に凄く素敵だと思ったのだ。
『夢』ではなくて、そうやって沢山の家族に囲まれて笑いながら今の家で暮らす裕次郎の『未来』が、私には鮮明に見える気がした。
「おばさーん!こんにちはー!」
裕次郎ん家の店の扉を開けて声を張り上げる。冷房でキンキンに冷えた店内にほっとしながら、外で容赦なく太陽に焦がされて溢れた汗を手で拭った。
「あきらちゃんいらっしゃいー!暑いねえ!」
「ねーほんと!今日凄いよ!おばさん今日は外出ない方がいいよ。」
店の奥から裕次郎のお母さんがドタバタと駆けてくる。ちょうどお昼時で奥にある台所にいたようだ。
「そう思って配達は裕次郎に任せちゃったわ。」
「それがいいそれがいい。」
「あきらちゃん今日は?」
「お中元でいっぱいカルピス貰ったの。飲むでしょ?」
「あらー嬉しい!良い歳してお父さんが好きなのよね。」
「そうだったよなーって思ってさ!」
「おばあー!あきらちゃんからカルピス貰ったからねえ!」とおばさんが奥へと叫ぶと、「あらーありがたいねえー」と微かにおばあちゃんの声が店まで届いた。奥の間にいるのだろう。
「わざわざ悪かったね。あきらちゃんお昼まだでしょ?お礼に食べてってー簡単なお稲荷さんだけど。沢山作ったからお家にもお土産持ってけばいいわ」
「いいの?嬉しいーじゃあお言葉に甘えちゃおっ」
にこにこと笑うおばさんに私も自然と頬が緩んだ。いつだって少女のように無邪気で可愛らしいのが裕次郎のお母さん。
裕次郎の家とは昔から家族ぐるみで仲良くしていた。大人になった今でも裕次郎の家族は私を裕次郎たち兄弟と分け隔てなく可愛がってくれるし、それはうちの家族も裕次郎たちへは一緒。
代々続く酒屋の商売をしている裕次郎の家は地元に根付いたという言葉がしっくりくるあたたかい家族で、それこそ昔からあるお店兼住居の古い家も、暮らしと商売と人の匂いが染みついたようなたたずまいが私は大好きだった。
「ただいまー!まじで今日やっべえ熱中症要注意……おっあきら?」
「お邪魔してまーす」
おばさんと話に花を咲かせていれば裕次郎が配達から帰ってきた。まさに滝のような汗でびっしょりだ。
「おかえり。あきらちゃん家からカルピス貰ったよ。お昼食べてってもらうからねー」
「おーサンキュー!親父が喜ぶさあ!」
奥さんにも息子にも喜ぶ姿を想像されてしまうおじさんについ笑ってしまった。結構厳格な人なんだけどね。
そんなおじさんはお店を切り盛りしながらも漁師をしていて、漁師修行中の裕次郎の弟と一緒に長く家を空ける時もあるけれど最近は家にいることが多い。近いうちに飲んでもらえるかな。
おばさんと一緒にお昼の支度を手伝った。20年以上出入りしていれば流石に他人の私も勝手知ったるだ。
おばあちゃんも交えてみんなでお昼を食べて、食後のデザートにスイカまでご馳走になってしまった。
「あきらちゃんも帰ってきてからあっと言う間にもうすぐ1年だね。どうだった久しぶりの沖縄は」
「いやー私も沖縄の生活忘れちゃったかなって思ってたんだけど、案外すぐ感覚は戻ったかな。馴染んだ生活って感じ。」
「そりゃ良かったよ。」
スイカをつつきながらおばさんが笑う。
「あれだけ長く東京にいたんだもの、不便なんじゃないかと思ってたけどね。おばさんたちもあきらちゃん帰ってきて嬉しいよ。ね!裕次郎!」
「ね!って言われたってな」
「あんたも嬉しいでしょ!?」
「あーはいはい嬉しい嬉しい。」
このやり取りももうこの1年で何度目かだ。言わされてる感が凄いけど、それでもちゃんと嬉しいと言ってくれる裕次郎に私もちゃんと嬉しかった。
体調を崩して東京の仕事を辞めてからもうすぐ1年。
最初は東京で新しい仕事を見つけようとも考えたけど、結局沖縄へ戻ってくることにした。就職してから一度も帰ってきていなかった沖縄、休職時に久しぶりに来てみたら沖縄の懐かしさが蘇ってしまった。端的に言えば家族や友達がいる地元が恋しくなったのだ。
戻ってからは少しのインターバルを置いて新たに地元で就職もした。東京の常に何かに追いかけられているような生活から一変、この沖縄のゆるやかに流れる時間の波はあっと言う間に私の肌に沁みるように戻ってきて、今は随分伸び伸びとした毎日を送っている。
それから、
「あきら、今日てっちゃんのとこ行く?」
「あー行く行く。夕ご飯食べてからかな。」
「おっけー。じゃあ適当に迎えに行くさ。」
「ありがと。じゃあまた夜ね。」
金曜日の今日、毎週週末になると友達の店に飲みに出かけるようになった裕次郎とそんなやり取りをしてから裕次郎の家を出た。歩いて行ける飲み屋だけど、夜だからと裕次郎が迎えに来てくれて一緒に行くのがお決まりになっている。
「あきらちゃん、最近ますます綺麗になったねえ。あんたたちこんだけ一緒にいてまだ付き合ってないの?他に持ってかれちゃうんじゃないの?」
「ほんっっとそれ、大きなお節介っていうからなお袋!あと絶対に余所でそういうこと言うな!?」
(……き、聞こえてるよおばさん……。)
そそくさと退散するように店の扉を閉めた。
――それから、
裕次郎とは昔とは変わったような変わってないような、微妙な距離を続けている。
「あ〜飲みすぎた〜〜!」
「あきら最近そればっか言ってるさ。今日だけじゃないあんに。」
「だって週末の楽しみなんだもん。こっちのお酒美味しいしー」
「そう言って毎回次の日後悔すんのは誰ですかー」
「うるさい!」
飲みに行った帰り道、ふらふらと歩く私に「しょうがねえなーもう」と言いながら裕次郎が水を調達してくる。真っ直ぐ帰らないで(ほぼ私の)酔い覚ましに海辺に寄っていくのも毎度のことだ。
「おじさんたち、今度はいつ帰ってくるの?」
「そのうち戻る予定だけど。カルピスいつまで?」
「あはは、賞味期限は全然余裕だけどカルピスじゃなくて、この間帰ってきてた時会えなかったからさ。暫く一緒にお酒飲んでないなって。」
「ああ、そういや親父この間貰ってきたいい酒、あきらと飲むから手付けんなって釘刺されたぜわん。実の息子よりあきらとかひどい話やっし。」
「ほんと?嬉しいー、じゃあ今度こそ会いにいかなきゃ!」
「あきらもようやるさあ、近所のおっさんと酒飲むのが楽しみなんて物好きにも程があるぜ。」
「いいじゃん、好きなんだから。私にとってもお父さんみたいなもんだもーん。」
「………そうだよなあ…。」
「? …裕次郎?」
裕次郎が堤防にごろんと仰向けになる。
何となく私も裕次郎に習って同じように横に転がった。今日は晴れてたけど星はあまり見えない。昼間の熱気をまだ残したコンクリートが、ほんわりとあたたかくて背中が気持ち良い。
「わんはさあ、」
仰向けのまま裕次郎がぼそりと呟く。
「うん?」
「多分この先も一生沖縄から出ることはないさー。」
「……? うん。」
それは、私も感じている。裕次郎は根っからのこの土地の人間だ。別の場所で生活していく裕次郎は想像できない。……でも急になんの話?
「この土地と、この海と、この空と……あの家で、あの店に立って、これからも家族と一緒に生きていくんさ。」
ちらりと横目で裕次郎を見た。裕次郎は依然まっすぐに夜空を見上げている。
「この沖縄で、わんの家で、みんなで。」
急に、いつのかの記憶が蘇った。それは遠い昔、みんなで笑っていた部室。あの頃の裕次郎と、大人になった裕次郎の横顔が重なる。
「…………。」
「……家族と…。」
ぽつりと。それだけ繰り返した裕次郎に、私は今度は顔ごと振り返る。
「…………。」
「…………。」
「……私、」
気付いたら口を開いていた。
「その景色、知ってる気がする。」
裕次郎がゆっくりと視線を私に向けた。
目が合う。普通の人より茶色がかった、裕次郎の綺麗な目。
今も昔も、変わらない裕次郎の目。
――― PPP!
「「!」」
着信音が響いた。裕次郎が起き上がる。
「うわっ、何だびびった、家だ。」
「……… 、」
「――はいはい?へ?おばあの部屋のなんて?」
電話はおばさんからのようだった。声が微かにスマホから漏れてくる。急に断ち切られた静寂に心臓がバクバク言っていた。びっくりして起こしかけた体をもう一度ばたりと倒す。――力抜けちゃった。
裕次郎が電話を切った。
「おばさんなんて?」
「や、何かおばあの部屋の電球切れそうって。帰りコンビニ寄ってい?」
「いいよ。じゃ、帰ろっか。」
「…………。」
「…………。」
私も体を起こして声をかければ、裕次郎があぐらをかいたまま一度視線を落とす。何となく黙ったまま待っていれば、先に立ち上がったのは裕次郎の方だった。思わず動作を視線で追う。
「……帰るか。」
「…………。」
「ん。」
差し出された手。相変わらず無言のまま掴めば力強く引っ張りあげられる。私はよろめきながら立ちあがった。
(………もし、電話が鳴ってなかったら、)
「…………。」
「…………。」
裕次郎がそのまま歩き出す。
街の喧騒が遠くにいるはずなのに、何故か波の音しか聞こえない。波の音と、私の心臓の音。
(手、あつい……。)
どちらが熱いのかは分からない。
いつの間にかお互いに力を込めた手を離さないまま、私たちは夜をゆっくりゆっくり歩いて帰ったのだった。
Next...