春の香りが風に乗っている。
優しく包んでくれるようなこの季節の風がすごく好きで、ふらりと財布だけ持って家を出た。
春休みを控えた3月も半ばの午後8時。薄着で出歩いても寒くない日が増えてきた。気持ちの良い夜だ。
「お?詩芽じゃん。」
「あれ、やっほー。」
家から近所のコンビニまで歩いていたら、クラスメイトの丸井にばったり会った。今日は日曜日。私も丸井もラフな私服だ。
「どこ?」
私と夜道を交互に指さして、どこかへ行くのかと言葉少なに尋ねられる。
「コンビニ。丸井は?」
「帰るとこだったけど、じゃあ俺もコンビニ寄ってこ。」
正面から歩いてきた丸井がくるりと方向転換する。え、何それちょっとドキッとするんだけど……。
だからってあえては突っ込まないが、夜に男子と二人で歩くことに少なからずそわそわした。私と丸井は仲は良い方だと思うけど二人きりじゃ流石に出かけたことはない。誤魔化すように世間話を振る。
「帰るとこって、どっか行ってたの?」
「部活の後輩と遊んできた。」
「後輩?仁王たちじゃなくて?」
「何だよ?」
「いや、後輩と遊ぶってホント仲良いんだなと思って。」
私も部活には所属していたが、後輩となんて滅多に遊ばない。まあ確かに男子テニス部って仲良い印象あるけど。
「もう卒業近いからさ。偶には普通に遊びましょうよって誘われたんだよ。」
「ふーん?丸井って慕われてるよねー。」
「どうだろうな?普通じゃね?」
「いっつも囲まれてるイメージあるもん。」
「自分じゃ分かんねえけどな。」
校内でも後輩と一緒にふざけている様子はよく見かける。学校柄というか、立海の運動部はわりと上下が厳しいところが多いけど、ていうかテニス部こそ中でも厳しい方だと思うけど、丸井の周りはあんまりそう感じたことはない。
やっぱり面倒見がいいんだろうな。それは普通に友達やってても思うし、本人も嫌いじゃないんだと思う、年下を構うとかそういうの。弟いるんだもんね。
「……丸井って本当にモテるんだなあ。」
「は?後輩にモテるって話?」
おもむろに呟いた私に、丸井は怪訝な顔をした。
「いや、後輩もそうだけど、普通に女子の話ね。もちろん後輩女子もだけど。」
「何だよ急に」
「だってこういう何だろ、お兄ちゃん系っていうの?後輩に好かるような男子って女子は好きだよなって思って。実際年下女子にも人気でしょ。」
「いや、そんなことしみじみ言われても」
「あ、ねえちょっと欲しかったアイス売り切れてるんだけど!うわー切なー」
「おいスルー」
「あとでー」
コンビニに着いたところで一旦会話を切り上げる。それぞれ店内をぶらぶらしてアイスやら飲み物やらを買った。「え?アイス買いに来ただけ?」「だって急に食べたくなっちゃったんだもん。」「流石にさみーだろうよ…」「うるさいなあ。せっかくパピコにしたのにあーげない。」「嘘です流石っす詩芽センパイ!」
茶番みたいなやり取りをして、パピコを半分渡してからコンビニを出た。
「いや、やっぱまださみいよアイスは。」
「丸井って意外と寒がり?」
「うそ、まじで寒くないの?」
「全然。」
一人でさっさとパピコを咥えれば、冷えたらしい手をぶらぶら振っていた丸井も何だかんだとパピコの口を開けて歩き出す。
「つーかさ、さっきの……。」
「うん?」
「俺が後輩にモテるとか言うけどさー、お前だって」
「え?私?」
パピコをくわえたまま丸井を振り返る。モテる?私が?
「後輩からモテた覚え全然無いんだけど。」
自慢じゃないけど今まで付き合った相手も大していない。そもそも後輩なんて部活の子くらいしか絡まないし、男子なんて尚更接点も無い。
「んー、お前、赤也のこと分かるっけ?俺の後輩の、テニス部の。」
「切原くんのことでしょ?一緒に大会出てた、」
「そうそう。その赤也がさ、あー……なんだ、お前のこと可愛いってよ。」
「う!?うん、へー……そりゃ…どうも……いや、え?何で?私切原くんと絡んだこと一回も無いんだけど。」
あまりにも急に出てきた話に変な声が出た。よく知らない相手にそんな風に言われたこと一度もない。
「この間クラスで遊んだじゃん。そん時の写メ見て、この先輩可愛いっすねーって。」
「え、ええ…?いや、からかってるだけじゃないの?」
「どーかな。彼氏いるのかとか連絡先知らないのかとかしつこかったし。」
「ええ〜…?」
にわかには信じがたい話だった。だって切原くんて、あんまり後輩のこと詳しくない私でも知ってるくらい人気あるんだよ確か、2年生の中でさ。そんな子が私なんかに興味持つ?
「……てか、実はガチで連絡先教えろって、言われたんだけど。」
「!?」
「ついでに遊ぶ約束とかセッティングしろとも言われた。」
「…!?……!!?」
「連絡先、赤也に教えて平気?」
「…え、いや……え?ちょっと待って??」
そんなこと、急に言われても……。
話が急展開すぎてついて行けない。ドッキリなんじゃとさえ思ってしまう。
「私、切原くんのことよく知らないもん。それでLINEしろとか結構無茶ぶり……。」
「良い奴だぜ。素直だし。」
「いや、うん、丸井が可愛がってるから悪い子とは思ってないけど。」
しかしそんな風に思ったら逆に断るのも悪い気がしてきてしまった。そうだよね丸井の後輩だもんね。丸井の顔を潰すのも嫌だしなあ。
「じゃあ、うーん、まあ…連絡先くらいはいっか……。」
「全然乗り気じゃねえなあ。」
「いや、ちゃんと嬉しいよ?」
「嬉しいんだ?」
「まあ、そりゃ……悪い気はしないでしょ。」
「ふーん…。」
一応これでも女子ですし。可愛いって言われたら嬉しいし、そんなアプローチされたらちょっとは浮かれるってもんだ。本当に自慢じゃないけど今まで一目惚れなんてされたことないもん。…………でもなあ。
なんて言うか。
…………。
(…丸井にあっさり人に紹介されるの、ちょっとショックかも……。)
……なんちゃって…。
誰も聞いていないのについ自分で突っ込んでしまった。
別に丸井のこと好きとかじゃないけど。違うよ。本当にそんなんじゃないけど。…って、なに自分で自分に言い訳してんの?
「じゃあさー、」
「!」
一人で悶々と考えていたら丸井が不意に大きな声を出す。私はびっくりして手に持ったパピコを落としかけてしまった。
「…………。」
「え?何?」
しかし丸井はじゃあさと言ったきりその先を続けない。私は思わず立ち止まって、丸井も一緒に足を止めた。
「……やっぱ、いいや。」
「はい!?」
「無し。帰ろ」
「いや、そっちのが無しでしょ!言ってよ!」
再び歩き出した丸井の服を慌てて引っ張って引き留める。
「いや、嬉しいんならいっかと思って。」
「ごめん全然意味が分からないんだけど。」
この人さっきから何を喋ってんの?歩き出そうとする丸井を力任せに引っ張って、早く白状しろと睨み付ける。丸井は困ったようにあっちを向いたりこっちを伺ったりしていた。え、本当になに……
「……じゃあ、一個だけ聞いていい?」
「うん?」
丸井はもう一度顔を背ける。今度はそうやって背けたまま、ちらりと目線だけ私の方へと戻した。
「………俺が赤也に詩芽の連絡先教えたくないって言ったら、どっちの方が嬉しい?」
…………。
「………え?」
「…………ごめん、やっぱ今の無し」
「!」
今度こそ私は丸井の腕を掴んだ。
「そっちの方が、嬉しい!」
「えっ」
丸井が目を丸くしていた。言った自分もハッとする。思った以上に大きな声が出てしまった。恥ず……
「……い、今の無し…」
「えっ…」
「には、しない。」
「!」
私はぱっと丸井の腕を離した。否定する言葉だけ投げ捨てて、衝動的に丸井を置いて歩き出す。ちょっと待って今のなに、私、何したの?無理、耐えられない!
丸井を置いてきたとか気にしてられなかった。逃げるように早歩きで家に向かう。あんな風に言ったけど本当は無かったことにしたいのが本音だ。もう丸井の顔なんて見れない……
「さっきの、無し!」
「!?」
もはや早歩きどころか小走りになっていた私の腕を、今度は他でもない丸井に引っ張られた。思わずつんのめるようにして立ち止まる。え?
無しって、何が?
まさか、さっきの、丸井の……言葉を無かったことにするってこと?
「赤也に連絡先教えるの、無し。」
「…………。」
どんな顔をしたらいいか分からないまま丸井を振り返る。丸井の手、めちゃめちゃ熱い。さっきはあんなに寒がってたのに。
「だから、その……」
丸井が気まずそうに私の顔を伺った。私も黙ったまま丸井の顔を見つめ返す。さっきからうるさくて敵わない私の心臓、そろそろ爆発しそう……。
「……遠回りして、帰りませんか。」
手だけじゃなくて、丸井の顔、真っ赤だ。……ああもう、何それ、ずるいよ。別に丸井のこと、好きとかじゃなかった………なんて言い訳してたのは、無しにしていい?
「…もうちょっと一緒にいたいんだけど。」
「………うん。」
消え入りそうな声で付け足された言葉。恥ずかしくて、こそばゆくて、つい笑ってしまった。丸井もはにかんだ顔のままほっと息を吐き出す。
丸井がそっと私の手を引いた。本当は真っ直ぐ帰ればすぐそこな私の家。ゆっくりゆっくり、歩き出す。
「あー……アイスもうひとつ買いに戻っていい?」
「寒いんじゃなかったの?」
「爆発しそうなくらい、暑い。」
「あはは!」
今度は声を出して笑う。丸井の手、確かに熱いけど、私も同じくらい熱いから分かんないや。
「……嘘、やっぱ寒い。」
「え?」
Uターンして再びコンビニに向かいながらおもむろに丸井が呟いた。握っていた手をぐいっと引き寄せられる。
「……寒いからもっとくっつきたい。」
「……私の方が爆発する……。」
「ごめん、言っといてナンだけど俺も。」
結局二人で噴き出して、寒い寒いと言いながらほてった手を繋いでコンビニに戻った。
もう一度二人で分け合ったひとつのアイスが、今まで食べた中で一番てくらい美味しくて、びっくりするくらい甘かった。
春の風がくすぐったくて、愛おしかった。
END