Beautiful days | ナノ



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「きれーだなー…」
「うん…きれーだねぇ…。」

  秋島は、うつくしかった。
  散りゆく染まった葉は流れる河、海、もろもろの水を錦に変えるその色は茜、山吹、伽羅に今様と人が名付けた色いろをありったけ見せてくれている様であった。
  風は陽のあるうちは暖かい。金色に染まった楓から降ってくる木漏れ陽はとろりと光る黄水晶を思い浮かばせて人々は知らず頬が緩む。
高い楓は列を成し、その奥には白壁のこじんまりとした建物が行儀良く風景に溶け込んでいたのだった。白壁の周りには紅葉に負けじとばかりに花々も競い合う様に瑞々しい輝きをみせている。

『ヘェ、結婚式挙げんのかい?だったらあそこを使うといい。ここのカップルは皆そこで式をするんだよ。』

  この島の人間は皆この色美しい秋島と同じく穏やかな気風で、海賊であると名乗っても「結婚式挙げようとする海賊なんて怖くもねェや」と笑い飛ばしてしまうのだった。おまけに娯楽の少なさもあったのだろう…楽しい出来事祝い事という様に甲斐甲斐しく世話までやいてくれたのであった。

「キャプテンは?」
「控え室。…や、いやいやしかし流石キャプテン、タキシード姿初めて見たけど似合ってたわー…。」
「見てくれは完璧だかんな、うちのキャプテン。隈以外。」
「後目付きもな。」
「はは、違ェねーや。」

  朗らかに、そして声を抑えて語り合っているのはハートのクルー達。皆それぞれ着た事なんて無い、普段なら堅っ苦しいと敬遠するスーツ姿であった。ベポも特注のスーツに腕を通しマホガニーの椅子の上でそわそわと式が始まるのを待っていたのだった。

「…それじゃ、そろそろ。」

  式を取り仕切るのはペンギンである。最も適役とキャプテンだけで無く新婦からも依頼を受け、遂には父親役までも任されていたのだった。彼は気合と緊張が入り混じった感情を生唾と一緒に飲み込むと一旦その場を後にする。

「お、」
「…静かに。」

  入れ違い、ガチャリと重たいドアの音を立てて入って来たのは先ずは一人目の主役であった。カツン、カツンと革靴を鳴り響かせて歩く姿は黒のタキシードを纏った男である。この男を思い出す、時真っ先に目に浮かぶ刺青は今は白い手袋で覆われていた。髪を後ろに撫で付けて、こんな時にもしっかりと存在する隈で縁取られた瞳が見るのはステンドグラスがはめ込まれたその下、キャンドルが優しく光る祭壇であった。

「…。」

  無言で上り、そしてくるりと振り向き居住まいを正す。ひどく穏やかな面持ちでクルー達を眺めて静かに一度目を閉じた。まるでそれは無音の、心からの礼をクルー達に述べている様だった。
  そして。
  誰かがほう、と小さく息を着いた瞬間正面の扉がゆっくりと開く。
  こつん、と聞こえたのは華奢なミュールの音で続いて耳を響かせたのはシルクの衣擦れであった。繊細なレースで装飾されたマリア・ヴェールの中から見えるその瞳は可憐に潤んで、頬は薄紅に色付いている。

「さ、」
「…はい…。」

  微かな声でペンギンが促してから敷居の中へとゆるりと入っていくのはもう一人の主役である。緊張してほんの少しばかり表情が硬い、小柄な新婦は真っ直ぐに前を見て壇上の新郎を見つめていた。

「…っ。」

  綺麗だ。錦で色どられたこの島さえも霞んで見える。
  目線を僅かに合わせた新郎はそれだけ、たったそれだけで心臓が掴まれた様に騒ぎ出したのだった。纏うウェディングドレスは純白で彼女によく、本当によく似合っていた。いつか誰かが「天使か天女」と騒いでいたがそれは真実であったと一人噛み締める。

「ロー…。」
「いと。」
  
  壇上に彼女もまた上がれば殊更にその艶姿に息を飲む。
  アップにされた髪は丁寧に編み込まれて、首筋から下へ目線を落とせば彼女の涙によく似た宝石が飾られたチョーカーが輝いていた。
見えるうなじ、純白のドレスと温かい血潮を想起させる上気した頬…うつくしい、いと。
  もう何度も己の想いを信じていると囁いてくれたであろうか、そして己もまた何度愛してると焦がれた声をおくっただろうか。

「…、」

  何故かローの脳裏に蘇るのは"あの時"の血の気の失せた青白い頬、氷のように冷たい体温、痩せ細った体であった。あの時、もしもあの時一歩でも踏み誤っていれば己はいとを喪うところだった。…もしかすれば今頃冷たくなった彼女を抱いて海に身投げしていたかもしれない。

「…綺麗だ、」

  堪えきれずに声を漏らせば、いとは耳朶まで赤くしてしまった。その姿に愛おしさが募り、ひたむきな想いが心から溢れて体中を駆け巡る。
  もう知るか、いとが心を蕩かしたんだ、とばかりにレースの手袋ごと腕を取って彼女を掻き抱くと耳の端で祝いと冷やかしの野次が飛んだ。だがこの男にとっては今はどうでもよく、柔らかな新婦の存在を己全てで感じていた。

「…ろ、ひゃあ、」
「いと…っ。」

  本当に、酷い仕打ちばかりしてとっくの昔に愛想を尽かされていてもおかしくは無い、なのにいとは最初からそんな己を許してくれている。ときときと鼓動が重なり合っているのを静かに感じてから男は惜しげに漸く体を離したのだった。

「…待たせた。始めるか。…ペンギン。」
「…ぁ。…は、はい。では…、」

  しめやかに、しじまに式は執り行われた。己の想いを誓うのは目の前のクルーといとに。そして己のものであり彼女のものである心臓に。交換する指輪はプラチナ、新郎にはいとの涙によく似た青の貴石が、新婦には赤い貴石がはめ込まれていた。

『おれの誓い。おれの心臓はいとのモンだって意味だ。』

  いとはその言葉を思い出し、愛おしそうにその輝きを見つめていた。輝きは男の表情を、声を、五感でわかるものすべてを現しているかの様にも思えてしまって彼女は視界が弛んでしまうのだった。
  ああ、自分はなんて幸せ者なんだろうか。こんなにも愛おしいひととこれから共に、隣で歩いていけるなんて。

「あなたはこの者と婚姻し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたはその健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、」

  朗々と鼓膜を揺らす声に男は彼女の声を思い出していた。あの時は病的なシーツの上であった。シーツの上でいとが囁いてくれたのは柔らかであたたかい想いで彩られた言葉達。

「富める時も貧しき時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け。…その命の限り共に歩む事を、誓いますか?」
「ちかいます。」

  琴線が掻き鳴らされてしまう、そんなうつくしい声と言葉が聞こえる。男がそちらへと眼差しを向ければ微笑むいとがそこに居てくれた。
  ローはこのうつくしい、いとに。己を信じ続けてくれたおんなにその総てを捧げる。

「誓います。」

  ああ、声が震えたかもしれないと微かに苦笑してから男は硝子細工よりも丁寧に、大切なんだと気持ちを込めていとと向き合った。

「…ちゃんと、その想いに相応しい人間になるから、おまえを絶対にしあわせにするから、ずっと一緒にいてください。」
「ありがとう、ロー…だいすきよ。」
「愛してる。」

  再び心から溢れていく声のひとひらを止める事なく最愛のおんなに囁いて、おとこはゆっくりと想いを宿した口付けをおくるのだった。

  こじんまりとした白壁の中で大きな喝采が巻き起こる。
  紅葉達が祝福し、茜と山吹が数え切れない程空に舞っていた。
 


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