Beautiful days | ナノ



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  実に順調。
  ご機嫌な澪は瑠璃にも似て、時折金色の輝きさえも見い出だしてしまいそうな程であった。宝石の海原を潜水艇が顔を出して進んでいた。
秋島の気候に入ったらしい、ふわもこの航海士がこの海と同じ機嫌でキャプテンに伝えていた。

「昼ぐらいには着くってさ。」
「あ、それじゃ…要る物のリストアップしないといけませんね。」

  甘いレーズン入りのパンは白くてふわふわであの航海士をつい思い出してしまう。そんな朝ご飯のパンを一口大に千切っていたいとに話し掛けたのはこの潜水艇で一番彼女と親しいクルー達であった。のんびりとした会話は朝のひと時によくにあっている。

「いとはおれと買い出しだ。」
(アイアイ、予想通りです。)
(ブレないキャプテン流石です。)

  当たり前だろうが。と隣にいたのは我らがキャプテン。ナイフとフォークのセットじみた二人は今日も仲睦まじく、男の引っ付き癖は絶好調であった。
  右隣のローはその刺青の腕をいとのまろみある腰へと『ここが定位置』とばかりに巻き付けている。人前だと恥じらっていても彼女が手を振りほどく事が無いので男は実に幸せそうであった。
  シャチとペンギンは相変わらずの事であると割り切って…というか見過ぎて慣れた光景としてその一連を捉えてしまっていた。

「…減ってるのは?」
「そ、だね。…あ、脱脂綿と滅菌ガーゼが少なくなってたよ。」
「じゃ、ついでに包帯も買い足すか。」
「他には…うーん、パッと出てこないかも…薬品棚見とかないとね。」
「あァ。…後は衣類だな。」

  あれやこれ、そういえばとローは下にいとは上にと視線を向けていた。蚊帳の外になり掛けたシャチはおれも服、おニューが欲しいなと思案した後に母音をひとつ、ぽこんと漏らしたのだった。

「あ、」
「?」
「服で今、パッと思ったけど…いとちゃんってそういや白い服着ねぇよな。なんで?…ペンギンなんで?」
「寧ろなんでおれに聞いた?」

  そういえばあの時、思い起こしてこの時。彼女がかの色をまとった事をついぞ見てはいない。この海賊団のソウルカラーとでも言って障りない色であったから、それも意識を助長させたのだろう。
  シャチからすれば世間話で話の種の、軽いすぐ忘れてしまう様な言葉であった。しかしいとはどうやら勝手が違ったらしい。
  レーズンの引っ付いたパンを皿に戻し、暫くその白い断面を眺めてからおずおずとシャチを見上げる。

「…あ、あの、どうしても言わなきゃいけませんか…?」

  目尻を下げたどうにも情けない、頼りない面持ちであった。彼女がいきなりこんな表情になってしまうのだから余程の事が言葉の裏に潜んでいると察しがつく。
  …流石にシャチには無理に聞き出す趣味は持ち合わせていなかった。

「いや、どうしてもってことは…」
「どうしてもだ。」

  ここで割り込んで来たのは矢張り、というべきか予想通りというべきか。不機嫌を眉間に込めていとを見つめるローは先ず『気になる』と切り出した。

「キャプテン?」
「…ロー。」
「おまえ、おれが服を買ってやろうとしたら白い服だけは絶対ェ嫌がるだろ。…今じゃ白い服には視線すら向けなくなりやがって。理由があるなら話せ。」

  ぶっきらぼうな声ではあったが、最上の思慕を注ぐおんなに何かがある、という事にローは恐怖を駆り立てられるのだ。
己がそれを拭い去り、おんなを愛しむのが己の存在しうる意味の一つだと胸に刻んでいる。だから聞かなければいけないと滲み出してしまっていた。

「ぁ、の。…そのね。」

  それを感じたのだろうか、不安の色をおとこに見つけいとは意を決した様に少しだけ沈黙した。

「…ちょっと長くなるんですけどいいデス、か?」

  ためつすがめつ、男達の顔を覗けばそれぞれが頷いて続きを促す。すう、と呼吸の音がしたと気がつけばもういとは喋り始めていた。

「私の国では花嫁さんは白い服を着るんですが、」
「あ、それはおれらの世界も変わんねェわ。ウェディングドレスってやつだろ?」
「え、こちらもそうなんですか。世界が違っても共通することってあるんですねぇ…。」
「やー、花嫁さんのウェディング姿はキラキラしててイイよなァ…。」

  遠い故郷の眩しさに目を細め、懐かしさを覚えていたいとだった。どうにもほのぼのと穏やかさがまろび出てしまう。煌びやかで真っ白なドレス、幸せそうな人々、空舞う花弁。鐘の音。

「…シャチ、今度から話の腰を折りたかったら腕の一本や二本は覚悟してから口を挟めよ…。」

  ほのぼのと真逆の厳しさを含んだ音。バキンと割れるのはそのほのぼのとした空想である。険悪オーラを至る所から噴出し、そのまま全部を背負ったキャプテンがドスの効いた声で釘をブッ刺してくる。

「ハイゴメンナサイキャプテン!」
「ロー…?」
「続き、教えろ…いと。」

  ただのヤキモチの割合も大いにあるが、しかしこのキャプテンのヤキモチはシャレにならないのでシャチはカチンコチンになって謝罪し、そして仕切り直しとなった。

「…ぇー、はい。お話の続きですが…。私の国の花嫁衣裳は、シャチさんの言ったウェディングドレスとはちょっと違うんですが、やっぱり白い服なんです。生家から出て婚家の家風に染まるという意味合いで」
「へぇー。」
「…染まる、ね。」
「それで、その、私が勝手にこっちに来るときに白い服を着てきたんです。花嫁衣裳のつもりで。」
「え、ちょっと待ってくれ、」

  ここでいの一番に声を上げたのはペンギンだった。違和感とズレに居心地の悪さを覚えて歯痒そうな声音を吐き出す。

「その、言いたくはないが、その頃のおまえはキャプテンに好かれてるなんて思ってもない頃だろう?」

  あの『大事件』、忘れもしないキャプテンの血反吐を混ぜた感情といとの悲しすぎる望み。そしてクラバウターマンの糾弾が蘇る。頭を過るのは二冊のノートであり、文字の羅列と今目の前にいるキャプテンをペンギンは重ねて見ていたのだった。

「キャプテン、睨まないで下さいよ。おれだって言いたくて言ってるわけじゃありません。」
「…、」
「事実を述べているだけ、です。」
「ぐ…、」

  そのやり取りに微苦笑を浮かべたいとだったが直ぐに、周りにいる誰とも目を合わさずに下を向いた。話を続ける声は矢鱈と淡々としていて感情を表に出そうとする事を拒んで仮面でも被っている態に見える。
  静かに微笑をまといながらその下で隠しごとをし続けた『あの頃』に舞い戻ってしまったかの様な『静寂』。

「…家から出る時に白い服を着る、という状況はもう一つあって、お葬式の時に亡くなった方が白い服を着ます。死に装束と言うんですが、」
「っ、」
「死ぬことで生きていた頃の全ての色を喪う、それを表す死に装束と婚家の色に染まるために生家の色を抜き取る白無垢はよく似ていると個人的に思ったことがあって…」

  いとは尚も静かに言葉を続ける。静かだが仮面は剥がれかけ、瞳には水の膜が生まれていた。

「…あの時、私はローの大事な何かになりたかった。簡単に放り捨てられないような何かに。だからお嫁さんになりたいと思って、花嫁衣裳のつもりで一番好きな白い服を着てこっちに来たんです。」

  仮面は涙と一緒に剥がれ落ち、そのまま雫は頬を伝い一筋、二筋、数を増やして流れていく。声は微かに震えを帯びて、それでもいとはゆっくりと声を紡いでいた。

「でも、多分駄目だろうとも思っていて、だから単なるおまじないのようなものに…なるのかな。最後にはいらないって言われて捨てられて、でも自分で持ってきたものくらいは持ち出しても許して貰えるだろうから、」

  そして何かを躊躇った様に一拍息を止め、いとは深く息を継ぐ。憚られる意味を声に乗せるのは彼女にとっていつも覚悟が必要であった。

「死に、装束としてその服を着て自分の身の始末を付けるつもりでした…」

  漸く、涙を拭っていとは皆の方に視線を上げる。自分の心情の吐露を打ち明けたのはこの世界ではロー以外居らず、緊張してしまった。分かりにくい至らぬ答えになってなければいいのだけれど。 感情が溢れて泣いてしまった、いとはそんな事を思いながら恐る恐る様子を伺ってしまう。

「え、みなさ、」

  三者三様顔付きは違えど色は揃い。
  …真っ青であった。

「い、今はそんなこと思ってませんよ!?」

  これは大変、といとは慌ててもうその気は無いここでローや仲間達と暮らすのだとフォローしたのだが。この男だけは蘇った悪夢に抗えなかった。

「その服寄越せ!切り刻んでやる!」

  本当に『切り刻みたいもの』は別ではあるがやり場の無いドロドロしたものはするりと口から出て来てしまっていた。
  体全てで彼女の『いたみ』を拒んで半泣きになってしまったローはありったけの感情を振り切らせ、周りが慄く声音を喉の奥から絞り出していた。
  絶叫するロー、そしてああ一番最初の躊躇いの理由はこれか。と得心し遠い目をするシャチとペンギン、それぞれの反応の違いに驚き固まってしまったいとは眉を下げて両手を宙で彷徨わせてしまっていた。
  自業自得、ともいってしまえばそれまでである。彼女の白い服への拘り、言い渋る理由はこれかとローは渦巻く心中でいとの想いを受け止めていた。

「ろー、あのね。」

  男の傍まで寄り、いとはその一人だけに聞こえるような小声を囁いていた。たおやかで、おとこを愛しむ心を許したおんなの声音であった。

「ローの、いろに染まりたいから…。」
「…っ、」
「色のない服は、白い服はあれ一着で十分なの。ローひとりだけの色になりたいから…。」
「いと、どうし、て。…おまえは…っ、」
「…ふふっ、ちょっとだけ、かっこつけちゃったかな?」

  ドロドロしたものが洗い流され、逆巻きは静まっていく。
  かそけくも、緩やかな微笑みを僅かに見せてそして微苦笑で再び言葉を紡ぐ。声音を戻したいとは皆に向かってぺこりと頭を一度下げて、なので、と呟く。

「…そういう、とても個人的なわがままでした。ごめんなさい。」

  頭を下げるいとに、どっと気疲れして机に突っ伏したのは男三人組であった。
  あーもうキャプテンのあんぽんたん。

「…いと、だからお前が服選ぶと淡い青か黒か黄色になるんだな…」

  今更な解答を自らが呟いて、そして自らにこれ以上無く苛立ちを覚えた男はむくりとその場から立ち上がった。ゆらり、威圧感は陽炎の様にローを包む。

「やっぱりそんな服切り刻ませろ。」
「ヤバイキャプテンが臨界点突破、」

  にじりにじりと獲物を追い詰める獣の目付きでいとに迫ってくるロー。気迫に負けてしまったのか、瞳を見開いてしまった彼女の肩に両手を乗せた。
  おや、と思ったのはクルー二人である。この調子であったならがっしりと掴んで抱き上げて自室へと掻っ攫うと踏んだのだが。

「…丁度次の島に着く。」

 妙に落ち着いた声が部屋に響いて、いとは疑問を一言ぽつりと呟いたのだった。として肩に置かれた大きな手に自分のそれを重ねると僅かに小首をかしげる。
  口角をいとにしかわからない程少しだけ上げたローは、一区切りしてそして再び話を続け始めたのだった。

「指輪も買ってやるし結婚式も挙げてやる。ウェディングドレスも着せてやるよ。クルー全員の前で花嫁にしてやるんだ、文句ないだろ。」

  なんとも不遜、なんとも偉そうに言い切った台詞であった。ぱちくりと瞬きして固まってしまったいとを見降ろしていたが、やがてしっくりこない様子で後髪をがしがしと掻き乱してしまう。

「いや、こういう言い方がしたいんじゃねェんだ。」

  これは違うだろ、と半ば独り言のそれを呟いて男はス、と清廉を携え姿勢を正した。この男を知る者にとっては異例の、初めて目にする光景。真っ直ぐに瞳に映しているのは小さな、それでも己を支え続けてくれる優しい優しい、おんな。一途と健気を己に注ぎ、甘露にも勝る美しい涙と名前を持ったこの世で一等…尊いおんな。

「いと。」

  いつの間にか声は震え、それでも名前を呼びたくて声を出した。

「おれと結婚して、おれのお嫁さんになってください。ずっと一緒にいて、できればおれより先に逝かないでください。」

  二度と、置いて行かれたくない。例え一瞬でも。いとがいなければおれは死んだも同然。
  いとの為だけの、いとへ差し出す為だけの心底からの願いであった。切なくも狂おしい、感情にドキドキと心臓が早鐘を打ち体は忽ちに火照り出す。汗が浮かぶ。
  この鼓動は、いとのものだ。

「う、うそ…。」

  はらり、と始まった涙の雨はやがてボロボロと両方の頬を濡らしてしまっていた。光に照らされた雫に美しさを見出したローはその柔らかい二つを包む。
  あたたかく、やわい、いとそのものに触れていると無性に泣きたくなる。

「ぁ、あ、違うの、嘘だと思ってるんじゃなくてびっくりしただけなの…」
「わかってる、」

  涙を優しく拭ってやる男に微笑みを返したおんなは触れるおとこの、刺青が入った手の甲を自分の掌で包んだ。
  鼓動が重なって、音叉の様に響き合う。

「プロポーズ、お受けいたします。ありがとう、ありがとうね…ロー…。」
「いと…っ!」

  愛してる、
  どちらともなく囁いて、穏やかに距離を無くした。お互いの腕をそれぞれの背中へと回してしまえばあたたかないとはローにすっぽりと収まってしまう。
  それが最上の幸せだと、おとこは一つだけ、目元に雫を散らしたのだった。




(うおー!!プロポーズきたぁぁぁあ!!!)
(おれらちゃんと空気になれてるか?今邪魔したら正直バラバラじゃ済まん気がするんだが。)

  守ろうの会ではこの出来事が詳細に伝わり、島に着いた途端『全力で支援します!キャプテン!!』作戦が展開される事になるのであった。


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