Beautiful days | ナノ



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「うーん…いつ戻るか分からんとはいえずっとこのぶかぶかの格好で居させるわけにもいかんだろう。」
「?」
「…。」

  蹴躓いて転んだらことだしな。苛々と困惑、色合いの違う二つの沈黙に見つめられた狙撃手はそのカバンから針と糸を取り出して工房に腰をかける。

「よし、布も余ってるし器用なウソップ様がいとに合う服を作ってやるよ。」
「おようふく?」
「おうよ!」
「…ありがとうっ。」
「ふっふーん。まあ見てな。」

   と、いう訳で子どもになってしまったいとの服はウソップ工場・工場長が手ずから作ってくれました。とさ。

「…。」
「現状変化無し、よ。」
「ローお兄ちゃんおはようございます。」
「おはよう…。」

  日付を跨いでもいとが元に戻る気配は無かった。記憶も戻る様子は無く、お日様が海からよっこらしょと出て来ても幼いいとは幼いまま。女部屋からてこてこと聞こえる軽い足音にローは小さな溜息を漏らしてしまったのだった。

「いと、こっちに来い。」
「はあい。」

  ならば己が幼いいとの面倒を見るのが道理だろうと、ローは随分と縮んでしまった彼女と手を繋いでラウンジの方へと歩き出す。頭の中では食事に手が届かないのは不便だろう、フォークを持つにはこの手では一苦労するだろうとあれこれ考えているらしい。
  そして考え至った結果がこれだ。

「いと、あーんしろ。」
「…あーん。」

  皆でご飯を食べる時にローは当たり前の様にいとを膝の上に抱えていたのだった。チラリチラリと向けられる視線もなんのその。甲斐甲斐しくも食べやすい大きさにしてはスプーンに掬って、いとの口元に運んでやる。

「熱くないか?」
「うん。」

  元来の性格もあって、だろう。いとは大人しくローのなすがままになっていた。しかしそのうちに男の顔をのべつ幕なしに眺めては幼子なりにうむうむと何やら考えて眉をすっかり下げてしまっていた。
  ややもあって遂におずおずと控えめな声を漏らす。

「お、お兄ちゃん。ローお兄ちゃん」
「何だ?」
「わたしね、ひとりで食べれるよ?」
「…そうか…?」
「だから、おにいちゃん、」
「気がかりだ。…今日だけはおれの言う事を聞いてくれ。」
「…えっと、えっと、」

  中々に『雛の餌付け』が楽しかったのか、真実心配なのか。ローは残念そうに呟いてはいたのだが離す気は全く見せず、とうとうナミが見兼ねて溜息を一つ吐いてからいとを抱え上げて救い出してやるのだった。

「いとはこっち。…あんたは自分の面倒見なさいよ。全然食べて無いじゃない。」
「…。」
「いとはあんたを心配してるのよ。トラ男がちっとも食べてないから。」
「お兄ちゃん、ごはん。食べてね…?」
「…わかった…」

  ローが頷くのを確認してからやっといとはひと心地ついたらしい、その後はモモの助の隣へと落ち着いて彼女は二人きゃいきゃいと話していた。『今』歳が近い所為か周りが変態だったりガイコツだったりと刺激的な環境であってもすっかり子ども達はほのぼのを満喫してしまっていたのだった。

「ももくん、たまご食べる?」
「うむっ。」
「はいどうぞー。」
「かたじけない。」

  奇抜な海賊船に乗っていると忘れてしまう程の長閑なやり取りに幾ばくかの微笑みがこぼれていく。その中の一人、錦えもんは頬張っていた『本日のオツなおかず』を飲み込んでからうむ、と唸るのだった。ぽろっと出てしまった独り言、というのであろう。

「モモの助の嫁御にいと殿のような気立てのいい娘が来てくれれば…」
「…アァ?」

  だが、その他愛ない独り言すら癇に障る人間がここに一人。何を思ったのだろうか、人を殺しかねない形相でモモの助に眼光を飛ばす男が喉を鳴らしていたのだった。おれのおんなは誰にもくれてなぞやるものか…!と瞳の光だけで述べている。
  慌てたのは呟いた本人であった。…哀れ錦えもん、ただ一言でこんなにも必死で止める羽目になろうとは。

「拙者が言ったのはいと殿のような、でござる!彼女を貴殿から奪おうなどとは欠片も考えておらぬ!」
「…二度目は無いと思え…」

  貧乏くじを引いてしまった侍に、大変だなァと他人事なのは我らが麦わらの船長であった。この海賊船が賑やかなのはいつも通りである。

「…そして、そう上手くは戻らない、か。」
「ローお兄ちゃん…?」
「なんでも無い。」
「うん。」

  寧日はのたのたと時計の針をニ周分だけ動かして。待てど暮らせどその後もいとが元に戻る気配はチリ一つ無いままであった。時が過ぎ去るのを悠然と待つべし、と言ってのける様に遊び始めてしまったのは子ども達、そして子ども達に構って遊び出すルフィ、チョッパーその他諸々である。
  ただ矢張り、幼くなってしまってもいとを自分だけのものにしたい男がここに一人いる訳で。

「…いとを寄越せ。」
「いとは今拙者と話しているのだ。おぬしがいとと話したいのならこっちに来ればよいだろう。」
「ふざけるな、おれは餓鬼は嫌いなんだ。」

  初めは保護者よろしく子どもの様子を静観していたローであったが思った通りというか、いとが傍に戻ってこないので痺れが切れてしまったらしい。きゃいきゃいと騒いでいたところまで歩を進めてからぴしゃりと言い放つ言葉にしかし、反応してしまったのはいとの方であった。この少女は、この船の誰よりも厳しい言葉達に慣れてはいない。

「きらい…?」
「!」
「おにいちゃん…」
「いや違う!おまえの事は好きだ。おまえはおれの女だろう。」
「えぇっ。ロー、それっていまのいとに言ってもいいことなのか?」

  今度驚くのはチョッパーである。人間の色恋沙汰には疎いとは自負しているがこの歳の差は流石に如何かとは思う。幾ら真実といえど今いとは外見も中身も幼子のままなのだから殊更にだ。
こんなに堂々とペドフィリア宣言した男などまず見た試しが無い。

「事実だ。」
「おおう…子供の姿になったいとにもこの態度か。これが"ろりこん"というやつか。外海の色恋事情は複雑怪奇じゃのう。」
「いと泣かせちゃダメだぞトラ男!」

  不名誉なリアクションを取られるだろう、とローはある程度予想していたのだろう、がムッとするものはする。不遜な笑みはなりを潜め、不機嫌いっぱいとなってしまった面持ちで随分と下方にある顔を眺めるのであった。

「ふざけるな。そもそもおれが自分の女を迎えに来て何が悪い。」
「…いやいやいや、おまえ見た目からしてスンゲー無理言ってるからな。言っとくけどもな。」

  ラウンジには何もチビ達だけでいる訳では無い、端に座りなにやらごそごそと作りつつも成り行きを見守っていたウソップが堪え切れずに正論を述べていたのだった。

「…ちっ。」
「こらこら。」

  眉間の皺を一割増しにしたのが見えなくともわかってしまうのは果たして気のせいだろうか。あぁ勘弁してくれよ、クレイジー野郎と何でこんなに意思疎通出来る様になっちゃってんのおれ様。

「えっと、あの、おにいちゃん…」
「なんだ…?」

  だが肝心のいとはどうにも難解な言葉が多過ぎて頭の中身はローの言葉よりもハテナマークで覆われている様だった。遥か上の男の顔は不機嫌そうではあるが怒っている訳ではなさそうで、彼女はしっかりと見つめて疑問を口にする。

「じぶんのおんなってなあに?」
「いとはおれのものだ、という事だ。」
「私おにいちゃんのものなの?…でも、私なんにもおにいちゃんにあげてないよ?」
「いいや、たくさん『貰った』んだ。いとから。」

  漸く腰を降ろしたローは、彼女の首が痛みを覚えない内にと目線を小さないとに合わせたのだった。
キョトンとした瞳は見慣れたものよりもずっとくりくりとしていて、どこか現実味が無い。黒曜石に近しい瞳の光だけは変わっていない、とどこかホッとして言葉を紡ぐ。

「…いと。」
「なあに?」
「まず覚えておいてくれ…おれはおまえに嘘なんて吐かない。」
「はい。」
「…いいこだ。」

  幼い眼差しを受け止めてローはいとの首に掛けられた指輪をそっと摘み、お互いの視線の交わるところに掲げるのだった。キラリと光るのは赤い貴石で、ローは反対の手を…己が嵌めている指輪と共に並べて見せたのだった。こちらは青い。
  こればかりは器用な狙撃手に感謝する。彼女の肌から離れる事なく輝く指輪をじいっと眺めている間はローもいとも声を引っ込めていた。

「綺麗だろう?」
「うん。」
「おまえと一緒に選んだ、最上等の宝モンだ。」
「わたしと?」
「あぁ。」

  色と大きさだけが違う指輪はいとの瞬きに合わせてキラキラ輝き、その二つを持った男は彼女の驚きを目に捉えてやっと笑みを浮かべてみせたのだった。

「いっしょ…」
「そうだな、一緒だ。」
「おとうさんと、おかあさんのとおんなじだね。」
「これにこもってる意味も、同じだ。」
「…それじゃあ、ローおにいちゃんは。…いとのだんなさまなの?」

  今はどこかに行ってしまった母親が嘗て、その指輪の意味を教えてくれた事がある。大切そうなそれと、ふんわりと教えてくれた父親のもう一つの呼び名を思い出す。

「そうだ。おれは、いとの夫だ。」

  指輪の紐を外したローは、愛おしい記憶を大切に大切に取り出してからいとの作り物に思えてしょうがない左手を掬い上げてやるのだった。
  己より何回りも小さないとの指に、想いの詰まった尊い輝きを通していく。

「これで間違いない。おまえはおれのお嫁さんだ。」

  なんとも柔らかな声だ、とウソップは思った。これがあんなに恐れていた筈の王下七武海の声だろうか。心の深さをせつせつと、たしかに伝えるその声音だった。
  それはいとの耳の中を駆けていき余りにも自然にストンと、あるべき場所に落ち着いたのだった。この瞳を私はどこかで見たことがある。

  いや、どこか、じゃない。ずっと傍にいてくれた。
  あぁ、そうなのか。この人は私の、

「ろー、」

  指輪を嵌め終わった瞬間の無音。その途端、ぽん!という小気味好い音と煙が辺り一面に広がったのだ。何事だ敵襲か?!と響く大声とそれらの間をぬってローは煙の中心を視界に入れる。

「…いと?」

  見慣れた形の手足、触り心地のいい日焼けしていない肌。艶やかな髪。

「ろ、」

  そういえば、彼女が着ているのは子どもサイズの服だ。そういえば絹を割いた様な音がした。

「…きゃぁあ…っ、なに?なにこれっ?!」
「いとっ、」
「あ、はだか、」

  チョッパーの声が聞こえた瞬間にはローはいとの腕を引っ張り、慌てて己が脱いだ服を被せてやる。いとは既に涙を零してしまっているに違いない、誰にも見せて堪るかと男の行動は迅速を極めていた。

「いと、戻ったんだな?!」
「もどった?どういう事なのっ?なんで私はだかなの?」
「っ!」

  直接事実を声に出されると、グワンと視界が歪んだ。裸、そう愛しい女が何も纏う事なく…いや今は己の服を着ているが…ダボダボとずり落ちていく襟口と余った袖に難儀しているいとは。

「…くそったれ…」
「え?え?」

  視覚を紛らわしたくていとを目一杯抱き締めたが逆効果だった。少し考えればわかる事なのに、己は馬鹿かと頭を打ち付けてやりたくなる。柔らかい、いとの柔らかな部分全てが己の体に密着している。ああ、クソ!

「行くぞいと…!」
「ど、どこに…っ?!」
「どこでもいい!」

  行く先を考える余裕なんて無かった。劣情を紛らわしたくて何処かに走り出してしまったのだが、焼け石に水だろう。丁度誰も居ない部屋があるなら、最早手遅れ。
  表情ばかりが固まっていたが、ローの頭の中は右へ左へと大騒ぎだろう。体温も脈拍も跳ね上がり、おそらく自分自身で制御出来なくなっている。

「いと…っ!」
「ロー?何が起こったの…?え、きゃ、」

  誰も居ないとある部屋でこの二人に何が起こったかは、この二人しか知る由も無い。
  意思疎通できてしまった唯一の狙撃手は走り去っていった方向を指差して一言、あっちには暫く行くなと置いてけぼりを食らった面々に疲れた様に呟くのであった。


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