Beautiful days | ナノ



9/15



   赤いベルベットを敷いている様だ。夕焼けに照らされた波間を進む一艘の、その一室。今日のディナーは、さて何にしようか。麗しのレディ達の顔を脳裏に浮かべる度にご機嫌となり、鼻歌をキッチンに披露していたのは麦わらの一味、コック。サンジその人であった。

「ブリがあったな…」

   極寒と灼熱が入り混じる島を思い出しながら、魚介類を冷蔵庫から取り出して献立を組んでいく。寒冷側で取れた魚は脂がのっていて実に料理のしがいがある。
    ジャケットを脱ぎ、ス。と姿勢を正すのは最早呼吸するのと同じだ。

「体のあったまるモン…か。」

   美しいレディ達は硝子細工の様に細く、直ぐに体の芯から冷えてしまっていただろう。そして冷えは大敵だ、芯から温まる煮込みか、鍋か。
   それにあの宴好きな船長のことだ、乗船した船客達の『歓迎の宴』をしたくてウズウズしている筈だろう。

(外科医の野郎や侍共は兎も角…いとちゅわんに腕を披露しないとなァ。美味しいって言ってもらわねェと、待っててね〜いとちゃんにナミさんロビンちゅあん!)

   手つきは神業の如く、いっそ芸術といっても差し障り無く表情もおまえは海賊か、と聞かれる程の料理人の顔であったが…頭の中は常春のお花畑が広がっていたのであった。

(いとちゃんの好き嫌いはリサーチ済みだ。ふふん。)

   このサニー号にいる女性陣とはまた別のタイプであるいとに片膝を付いて挨拶したのは記憶に新しい。被験者だった子たちを連れ出す時『後一人いる。待っていろ』と一方的に会話を切って去った七武海の男に憤慨したのも束の間、現れた女性にサンジの機嫌はたちどころによくなった。その後はお決まりのコース、物の見事な『恋の嵐』を披露したのだった。

『はじめまして。…その、お世話になります。』

   困った様にそれでも己に微笑み、子ども達の境遇に涙を零していたのが印象的だった。

(小動物系!いい!可愛い!)

  戦いの最中は子ども達の面倒を買って出てくれた。恐怖で震える子を宥め、泣き出す子には自身も貰い泣きしつつ慰めていた様だった。戦う力が無くて申し訳ないです、と眉を下げて話していたがそんな事は無い、彼女の様な人材は貴重だ。

(あいつもまぁ…ベッタリになる訳だ。)

   小さく苦笑したのは一瞬。その後はいつも通りのメロリンである。暫く鱗を取るリズムでホクホクと心を踊らせていると人の気配がして続き、ガチャリとドアが開いて現れたのは何と件の彼女であった。

「サンジさん…」
「お、どうしたんだいいとちゃ、…なんだいそのおんぶお化けは…」

   小柄な彼女は困惑した顔付きで瞳の水面を揺らしていた。随分と大きなオマケを背中にくっ付けて、しかしながら嫌がる訳でも無く『オマケ』がしたい様にさせている、といった態での登場であった。

「さ、さぁ…私にも何が何だか…。でもどうしても離れてくれないから先にお夕飯頂けないかと思いまして。」

   離れてくれ、とは言わないいとに矢鱈和んだ苦笑が漏れた。オマケは無言に徹していて高い身長を丸めて彼女を後ろから抱き込んでいる。今は食事時でも無いのに珍しく帽子は被っておらず、夜空色の髪が彼女の頬に当たっていた。懐きにも懐いたこのオマケに鋭い声を漏らす。

「この船にはおんぶお化けなんていねェ筈だぞ、おいこら。」

    首筋に顔を埋めてこちらを見ようともしない。動きらしい動きは彼女に歩調を合わせているぐらいだった。

「…こんな状態で皆さんと食事できませんし…」
「…そうだろうね…」

   時折オマケことおんぶお化けは彼女の首筋にぐりぐりと額を擦り付けて、マーキングをしているかの様であった。それが擽ったいらしく、いとはぷるりと震え羞恥で顔を真っ赤にしている。

「まぁ二人分を用意するくらいはなんでもないけど。…ハァ、…おいそこのおんぶお化け、いとちゃんにこれ以上ないほど迷惑かけてんぞ。さっさと離しやがれ。」

   困り果ててしまったいとに救いの手を差し伸べる姿は実にサンジらしい。呆れた眼差しで無言の頭部を眺めると寝起きじみた機嫌悪い声が響く。

「おれに命令するな」
「あァ?」

   お互いからイラ、とした空気が垂れ流される。困り顔から慌て顔に変わっていくいとはパタパタと手を振り自分より遥かに高い男に視線を向けた。

「さ、サンジさん、いいんですこれ以上誰にもご迷惑をかけなければ。」
「…男ってのは甘やかすと調子に乗っちゃうんだけどね?」
「いえ。…ローなら大丈夫ですよ。」
「…アテられたね。」
「え、…あっ。そ、そんなつもりでは無く…!」

   心からおんぶお化けと成り果てた男を慈しんでいる面差しであった。彼女は構わないのだろう、この男の言動を柔く受け止めてふわりと、花が咲く様に微笑む。…少々困ってはいるが。
   そんないとは本当に『かわいい』。その純真が眩しくて、サンジは目を細めてしまったのだった。

「…他でもないいとちゃんのお願いだ。おにぎりで構わないかい?」
「勿論です。無理言ってしまってごめんなさい…お食事ありがとうございます。」
「これはご丁寧にありがとう、レディ。」

   ぺこ、と会釈したいとにサンジも倣い、恭しくまるでギャルソンの様に振舞い会釈をひとつ彼女に贈るのだった。そしてにこりと彼女に微笑み「ちょっとだけ待ってて」と冷蔵庫のドアを開いて中の食材を漁る。

「…いと、」
「作っていただいたら二人で食べようね、ローお腹減ったでしょう?」
「…食わせろ…」

   自分勝手な発言であっても声に全く力が籠っていない。いとは心配そうにその頭を撫でてやって本当にどんな仕打ちを受けてしまったのだろうか、と改めて小首を傾げた。
   
「出来たよ…ってまだ離れてねェのか。」
「あはは…」

   出来たばかりのおにぎりがちょこんと乗った皿を受け取っていとはまたサンジに礼を述べ、それでまたおんぶお化けを引き摺って人の居ないところへ帰っていったのだった。

「ロー、ほらすごく美味しそう。」

   離れなくてもいいよ、でも顔を少し離さないと食べれないから、ね?とごねる図体ばかりデカイ男にいとは眉をハの字にしながらも微笑っていた。
   二人が座っているのは背後に水槽が広がるソファ、水をすり抜けた光のヴェールが足元を照らして辺りは水色の静けさに満たされていた。おにぎりも置き場が見当たらず共にソファに鎮座している。

「…何があったか聞かないのか…?」

   ぽつ、とひと雫だけまろび落ちた言葉は弱々しく床に吸い込まれていく。何度目かになるが煩うこと無く穏やかな手で男の頭を撫でていたいとはううん、と首を横に振った。

「ローがゆっくり出来て、落ち着けるのが先。」

   私はローの隣にずっといるからね、と髪を梳かれてやっと男は顔を上げた。隈があるのは何時もの事だが不機嫌で…あぁ、『あちら』にいた時の表情によく似ている。

「いとの居場所はおれの隣だ、いいな。」
「はあい、」

   ぎゅう、と声と共に腕の力を強めた男にいとは全てを任せる様に大きな体にもたれかかった。男のしなやかな体つき、筋までわかってときとき、と鼓動が早足になる。
   暫くの無音は久しぶりだ、ここは賑やかな船であった為だろう。懐かしく緩やかな時間が過ぎていく。ときとき、と心音が二つこの部屋を奏でるばかり。

「…さてと、そろそろおにぎり食べよう?折角あったかいの頂いたんだし。」

  どうぞ。と差し出された皿をチラリと男は見るのだか手を伸ばすこと無く静まり返ったままである。

「ロー?」
「くわせろ…」

   言ったろ、と目線をいとから外さない男を甘えさせる様に「はいはい。」と微苦笑した彼女は皿から一つおにぎりを取り、男の口元に持ってきた。

「いい匂いだね。」
「ん。」

   躊躇い無くばくりと大口でかぶり付いた男は無言で咀嚼を続けている。頬袋が出来てて可愛い、かも、といとが思っていれば男はごくりと飲み込んで再びみたびと齧り付く。ローの好きにさせていた所為だろう、かの男はいとの手首を何時の間にか握りながら口を動かしていた。

「はいおしまい。…って、ロー、」
「…なんだ?」
「もう、無いから口はなして…」

   おにぎりも、その米粒も無くなったのにも関わらず男は尚もいとの指を舐め、そして軽く齧ってくる。桜貝の様な爪を一つひとつ舐め上げ、甲に音立ててちゅ、ちゅ、と口付けていた。熱い吐息が態とらしく掌を擽り、いとは忽ちに真っ赤になってしまった。

「ろ、ここだめ、わたしたちの船じゃないし、っん、」
「誰か…くるかもな…、」

   そう応える男であったが止まる事が出来なかった。久々の、あまいいとの肌に体中が歓喜してもっともっとと一番深いところが飢えて叫んでいる。
   それに、散々あの考古学者の女に言われた事が延々と頭の中で反芻するのだ。嘗ての己の所業をほじくり返されて虫唾が走る。
   男は毒々しいタールの様な感情をいとに全て流し落として欲しかった。

「あ、ぁ、」
「いと…甘ェ…、」

   腹が満たされてもいとを欲しいというおもいは留まる事を知らない。尚も、と彼女の服の隙間から熱くなる掌を挿し入れれば、いとは小動物の様に肩を跳ね上げた。手を肌に添わして上げていけば服も一緒にたくれていく。

「ろ、まって、おねがい…」
「待てるもんならな、」
    
  か弱くいやいや、と透明な涙を零すいとに煽られて荒々しく口付けてしまう。気が遠退く程、いとの唇はあまく、柔らかかった。
  震える首筋に赤い痕を付け、鎖骨の窪みにも証を刻み込む。胸の膨らみをレース越しに感じて、耳を寄せてその音を聴けば何時もより遥かに早い心音が心地良く己の鼓膜を震わせた。

「ひゃ、…ろー、」
「いと、あいしてる、おれの…いと、」

   幾度と無く肌を熱く染められ、口付けられ、そして低く掠れた声で囁かれたいとは抗う事など叶わなかった。
   おとこは、濡れる眦ごといとに歯を立て様として体重を彼女の方へと倒す。

「あ、ワリ、」

   倒す、直前であった。
   突然ガチャリとドアが開き光のヴェールに亀裂が走る。ドアを開けてしまった緑髪の男は反射的に口走り、それからおれが謝る必要あんのか?と固まった。

「!!?!?」
「ゾロ屋…」
   
   三者三様、皆固まっていたが最も早く動き出したのは予想外にいとであった。否、人に見られたことで羞恥心が限界突破して何とか逃げ出そうともがき始めた、といった方が正確だ。
    服を必死で整えても、もう後の祭り。

「あ、あ、ぞ、ぞろさ、あの、これは…っごめんなさ、ろーはなしてお願いっ、」

   体を捩り悲鳴じみた声、そして堪え切れずに溢れ出す涙。これ以上赤くならない程に赤くなったいとのその抵抗をあろう事か押し倒そうとしていたおとこは抑えて、そしてぎゅうぎゅうと抱き締めてしまう。

「用が無いならはやく出て行け。ここ最近はおまえらといるおかげでこいつに触れてない。」

   悪いのは何から何までおまえだ、という目付きで文句を言うと更に見せつける様に真っ赤に染まる首筋に何度も口付ける。ご丁寧に音まで立てて。

「ろ、だめ、だめ、」
「離れ無くてもいいんだろう?」
「っ、」

   いとは最早硬直するしか無かった。居た堪れないのは緑髪を掻くこの男である。未だ動かない緑髪にいよいよ底冷えする声を投げ掛けるのはいとを逃がさないおとこだった。

「出ていけ。」
「あー…もう好きにしろ…後でどうなっても知らねェが。」

    その言葉通り、解放されたいとが女部屋へと泣きながら駆け込んで籠城する大騒ぎが起こる。そしてその部屋の前に陣取る七武海も現れる。
  さて、この大騒ぎを収束させるのは天気を操る航海士か、それとも底の見えない微笑みを携えた考古学者か。今はまだ誰もわからない。



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