Beautiful days | ナノ



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  極寒と灼熱の島ともこれにてめでたくさようなら。さらば海軍、さらばパンクハザードと少々人数が増えたサウザンド・サニー号は流氷を掻き分け次の島へと向かうのであった。
 
「あら、あなた…。」
「え?私…?」
 
  そう。最初に気が付いたのは矢張りというか目敏いというか…なんというか。麦わら一味の頭脳ともいえる考古学者、次いで航海士であった。
  能力など使っていなくてもいとの左手薬指、その小さな輝きを捉えてくすりと微笑む。女のいとでさえ見惚れてしまう様な笑顔のまま、ゆっくりと船内に引っ張り込んで行ったのだった。
 
「トラ男くーん、ちょっとこの子借りるわねー?」
「いとっ?!」
「あららーいとさんお二人に捕まっちゃいましたねー…」
「…。」
 
  意外にもいとの薬指に気が付いていたのはこの船の音楽家も、である。ティーカップを片手に連れ去られたいとを半ば哀れむ様に眺めていた。…閉じられたドアは硬くて厚い。
  そして哀れみの眼差しは隣の、片腕を宙に彷徨わせている船客にも向けられたのであった。


 
「あの『死の外科医』が…まさか既婚者だったなんて、初耳ねぇ。」
「ね、あんたどうやってあの男を誑かしたの?」
「たぶらかし…ては多分無いと思いマス…」
「…じゃあ攫われたとか。」
「え、と…攫われてません…」
「ふふ、真っ赤ねあなたって。」
「え、あ、その…そんなことっ。」
 
  残虐を謳われる若き王下七武海、トラファルガー・ロー。かの悪名高い男の連れ添いならば毒牙一発、相当アクの強い人物かと思っていたのだが。
 
「真反対ときた。」
 
  赤を散らした困り顔、人畜無害を装って何か企んでいるのか…と勘繰っていたのだが矢張りこのいとという小さな女は何処からどう見ても、探れば探る程人畜無害だった。連れ込んだ水槽で囲まれた部屋でオレンジ色を持つ航海士は小首を捻る。
 
「ねぇ、何処で知り合ったの?」
 
  無害と分かればなんてことはない。愉快と友愛を全面に押し出した航海士のナミは、小柄な彼女を覗き込むのだった。
 
「話せば、長くなる…といいますか。ローと初めて出会った時の事は自分でも言ってて突拍子もないお話で…。信じてもらえるか、どうか。」
「あら、そんなの慣れっこよ?空に浮かぶ島にも行ったし海を走る列車にも乗ったわ。奇想天外なんてお手のモンよ?」
 
  『此方』、では空に島があるんですか…!と驚かされるのはいとばかりで、残り二人はそれを面白そうに眺めるのであった。
純朴で、穏やかないと。好感を持つのは実に自然な流れだった。
 
「私、元々、『此方』の世界の人間では無いんです…。」
「異海、の事を指すのかしら?」
「はい…。ご存知だったんですね。」
「まぁね。わたしはロビンからの受け売りだけど。」
 
  パンクハザードで子ども達を助けてくれた麦わらの一味。ローと同盟を組んでくれた気持ちの良い心根の船長と同じ気風の彼女らにいとは肩の力が抜けていく。
  話しても大丈夫。そう心の中で噛み締めていとは『空から降って来た奇縁の物語』をゆっくりと話し始めたのだった。
 
「私の家に小さな庭があるんです。その庭にローが突然、空から落ちて来たんですよ。」
「こっちからいとの世界に行ってたって事ね…。」
「はい。ローは何故か子どもの姿になってて。色々な出来事があってから、その後『此方』に来たんです。それからたくさん二人で話して…ローと生きていく事を一緒に決めたんです。」
 
  声に出す度に生まれてくる、心にぽっと灯った温もりはローへ贈る気持ちだ。大変な事ばかりだったけれどそれが今の二人を形作る大切な思い出でもある。
  愛おしさと懐かしさに微笑って、いとは薬指の指輪を無意識に撫でたのだった。
 
「色々、ね。」
「うふふ。…ねぇいと、私達はね。そ、の!『色々』のところを聞きたいなぁー?」
「え…?」
 
  うふふふふ…と十人が十人振り返ってしまう微笑みにいとは身動きが取れなくなり。百戦錬磨の美女二人にいとが敵う訳も無く。
 
「とっても長いお話になってしまうので…」
 
  ローとの思い出は大切で、そしてそれは二人の持ち物なのだ。果たしてかの男の許可無しに口にしてもいいのだろうか?
 
「はいはい。ジタバタしないで吐いちゃいなさい。こーいうのは口に出した方が身の為よ?」
「えー、と…何から話せばよいのやら…」
「何からでも。わたしもナミも時間ならたっぷりあるから。」
「あう、」
 
  全戦全敗。やはり敵う筈が無かった。観念したいとはブスくれた顔の男を思い浮かべ、ごめんねと心中呟いた。そして懸命に言葉を選びながらいとは遂にローとの『色々』を話し始めたのであった。
 
「…なにあの男…疎いにも程があるわよ女たらしみたいな顔してる癖に。」
「ふふふ…ほんとねぇ…」
「あ、あの、ロビンさん、ナミちゃん…え、と、あの時は私もローもいっぱいいっぱいで余裕が無かったから、」
 
  始めは少しいとを構ってやろう程度の軽い気持ちであったのは否めないのだが…美女は事のあらましを聞くにつれて喉に引っかかる程の違和感を覚えていくのであった。
  何故いとの体調がおかしくなったか、あの外科医の異常なまでの執着心は何なのか。根掘り葉掘り、聞けば聞く程かの男への評価は低くなっていき…いとの一方通行の献身に溜息をつくのだった。
 
「あの…もう、ローとも話し合ってお互い謝れたので…」
「駄目ね。男って女が許すとすぅぐ付け上がるのよ。」
「あなたが良ければ釘を刺してあげましょうか…?」
「あ、わわ…」
 
(…出るタイミングを逃しちまった。やっべー…。何がやべーってあれあいつら怒髪天じゃねェか。いやわからんでも無いが。)
 
  さて。
  船客二人の事情を聞いていたのはナミとロビン、この二人だけでは無い。
  丁度三人の死角にてまったりと寛いでいた男が一人、先客として居たのだ。名をウソップ、一味の狙撃手である。
  彼もまたいとの人畜無害に早々に絆された人物であった。同じ一般人的カテゴリの人間で、尚且つ一緒に居れば外科医から攻撃されないという下心があったのだが…思いの外いとは無害でアッサリ仲良くなってしまった。閑話休題。
 
(これヤバくないか、スリリング野郎でもこの二人相手はヤバイんじゃ無いのか、ボコボコにされるんじゃ無いのか、だってこの二人なんだぜ、抉り取られるんでないのこう精神的な…大切な何かがさァ…!こう…再起不能になるんでないのコレェ…!!あばばばば、)
 
  いとがとつとつ語ったローが『しでかした』出来事。『彼方』の世界でのあれやこれ。暴言の数々。それなのにこのいとときたらかの男を庇おうとする口振りであった。
 
「甘やかしちゃ駄目よいと!ビシッとする!」
「あ、甘やかしてる自覚は無かったんです…」
「ふふふ…」
「ろ、ロビンさ、」
 
  叱咤激励と不敵な微笑み。形相の変わる女性陣にいとはほんのりと瞳を潤ませ、息を殺していたウソップもまた生唾を飲み込んでいたのだった。
  自業自得だとは思うが前知識無いままだと流石にヤベー。そう感じたウソップは同性だからという贔屓を差し引いてもあんまりにも忍びなくなってしまったのだった。
 
「お、いたいた。」
 
  目指した先は件の外科医のもと。抜き足差し足で水槽の部屋から抜け出す事に成功し、そろそろとドアを閉めるとかの男はやはり部屋の前でいとを待っていた。…忠犬かオイ。
 
「外科医さーん、死の外科医さーんちょっとよろしいですかー?」
「…珍しいな鼻屋。おまえはおれを避けていたんじゃなかったのか。」

  いとまで使って、と少々皮肉気に笑うローにウソップは内心もうちょっとで"スリリング野郎に関わってはいけない病"を発症するところだった。

「お、おう(ばれてるー!ばれてらっしゃるー!)。」
「用件を言え。」
「そう、だな…。おれから言えんのはひとことだけだ。」
「?」
「…生きろ。」

  ローからすれば意味不明。
  眉間に皺がたちどころに作られて訝しむ顔付きとなっていくのだった。   
  そもそも視界にいとがいないだけで苛々を募らせるこの男にとって、愛しいおんなを連れ去られた今の気分は最悪そのものである。
 
「は?」
「自業自得っちゃー自業自得だしお前が悪いとはおれも思うんだが、あの最凶ペアに目を付けられたとか不憫すぎる。強く生きろ。」
 
  親指、ぐっ…。不機嫌男を心の底から哀れみ健闘を祈ると呟いた狙撃手に外科医はどういう意味だと只管頭を悩ませるのであった。
 
  後日。
  外科医はその言葉の意味を嫌でも知る事となる訳である。
 
(…鼻屋の忠告はこれを指してたのか。)
 
女の子いじめちゃいけないわ。それも、本来ならばあなたが一番大切にしないといけない筈の子なのだから。……オブラートで包むなら、この様な台詞をとめどなく女性陣から浴びせられたのであった。
そして傷を癒そうとする様にほうほうの態でいとの姿を探す外科医がこのサニー号に出来上がったという訳である。
 
「ロー大丈夫?何があったの?」
「…、」
 
  『言葉ぜめ』されてすっかりといと欠乏症になってしまった男はあわやぶっ倒れる寸前であった。
  それを早々に見けてくれたのはいとの方で、その姿を捉えるとかの男は細い腰へと縋り付いて抱き付いて暫く、何がなんでも離れようとはしなかった。無言を貫いてはぐりぐりと顔を彼女の腹へと押し付ける。
 
「…どうしてここがわかったんだ?」
「ウソップ君がね、ローが疲れてるかもしれないから慰めにいってやれって。」
「鼻屋が、」
 
  ゆるゆると髪を梳かれて、宥められているとわかって漸く強張ったものが解けていく。いとの香りに安堵を覚えていると彼女はぽんぽんと背中をあやす様に叩いてくれる。
 
「…私、ナミちゃんとロビンさんに昔あった事話しちゃったの…。勝手に言っちゃって、ごめんなさい。」
「…だいたい想像はつく。舌戦でいとが敵う相手じゃ無かったろう…。」
「あ、はは…。確かに敵わなかったんだけど、二人ともとっても親身になってくれてるってわかったから嫌だなんてどうしても思えなくて…。」
「おまえは優しいからな…。」
「そんなこと、」
「ある。」
 
  いとがいるから己の心は絡まる事無く解けていく。そして彼女と引き合わせる手筈を整えた長鼻の顔を心中思い出して、その事前の忠告を含めた気遣いに不覚にもジンと来てしまったのであった。
 
「いと、もっと撫でろ…。」
「はあい。…ね、ロー?ローの方が優しいよ…?」
「おまえの性分が移っただけだ…。」
 
  余談であるがこの事件が切っ掛けでかの狙撃手、いとと会話を交わす際にかの外科医から理不尽に睨まれ無くなったというオチがつく。


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