年末年始のやつ | ナノ


おれの妻の話だが。
「薔薇五本の意味を教えてもらった……そんな話だ」


──あれはいつ度目の冬だったか、まだ婚約したばかりの頃だ──その日は兎角冷え込んで晴れているのに何処からともなく風花が舞い、吐く息は忽ちに凍りつきそうな、そんな冬の日だった。
婚約は済ませたといえど、どうにもまだ他人行儀が抜け切れず……お互いに部屋の無言に耐え切れず……寒いと知りつつも風花を見に行こうと連れ立った。
『カタクリさん、これ、私が育てた薔薇です、見てください見てください!』
『急がずとも……』
あぁそうだ、妻の実家の冬島の話だ、あれが庭先に咲く冬薔薇を指差していたのをよく憶えている。
──案の定より予定調和、か。それも当然だ、おれはともかく妻……当時は婚約者殿だが……は、あっという間に体の芯から冷え切っていた。
これはしまったと歯痒さを覚えたところで後の祭り。予知に達する己の能力であっても使おうと思わなければ宝の持ち腐れ、鼻の頭を赤くした彼女の幼さに心臓がざわついたがそれとこれとは話がまた別だ。このまま風邪を引かせてしまっては男の沽券……いや違う、ただ単純にその小さな身を案じての──行動だった。
丁度頃合いのマフラーを我が身は巻いているじゃないかと、こう。なった。するりと解いて、だいぶんに有り余ったが……寒々しい細い首はすっかり覆われた。
『これでいい』
『あっ』
『?』
『──カタクリさんのお顔、今日初めてちゃんと見れました……』
『……──!』
浮かれていたんだろう、と白状しよう。
今更だが……一目惚れだった、妻と添い遂げる事に無常の喜びを覚えていた。……変な顔をするのはやめろ。
──無意識だったと言うべきだ、彼女ならばこの口元を両目にとらえたとしても、慈悲深き海のごとく受け入れるのだと、さもしくも考えていたのだろう。だから、忌むべき振る舞いをさも当然とやってのけてしまった。
『今、見た物は忘れろ──』
自覚など一切持たず何と愚かしい真似をしでかしたのだと我が身を恨み、一言二言交わし、彼女を置き去りに船に乗ってしまった。そうだとも、このおれは事もあろうに婚約者を部屋に送り届けもしなかった。
婚約破棄? そうだな、そうだとも、普通ならそういう結果に落ち着くのが筋書きだろうがおれは小指の先程もその考えには至らなかった。やっと見つけたオレンジの片割れのような、咲きたての薔薇を手折るような、街角にある花束を愛の証明書と嘯いてみせるような、奇々怪々な心持ちだった。
『あぁ、心臓が──』
きっと"覚えて"の若造と同じ速度だった。心臓どころか、五臓六腑が鐘を打ち鳴らして血という血が、全身の血液が沸騰した錯覚を覚えていた。
いやあの時は本当にそう、だったのやもしれない。
「冬に咲く薔薇の事などすっかり失念していた。──だから彼女から贈り物が届いた時分はひどく乱されたものだった」
一晩経って、船縁に彼女が訪れたのだという。当時同行していた弟が『義姉上からだ』とおれに寄越してくれた。
見まごう筈などない、つい昨日目に留めた冬の薔薇が小綺麗な油紙に包まれていた。そして茎に結ばれた紙縒り文を開いて──あぁ、と、溜め息を溢していた。簡単な羅列であったが頑なだった扉の鍵を開くには充分な文字数があったのだ。
あながち街角に咲く証明書というのも馬鹿には出来ないものだ、と。


「──どうしたんですか、改まってそんな昔話をして。なんだか……とっても恥ずかしい」
「懐かしいものが贈られてきてな。あの頃は初心だった、と」
何度目かの季節が巡り、慌ただしい礼節と儀式もとうに過ぎた頃妻の実家から贈り物が届いた。油紙に包まれた冬薔薇は三たび見えて、なお瑞々しい。
「……もしかしたらご存知だったら、不躾かもとこれでも精一杯考えたんです。当時はまだまだ小娘でしたから、けど小娘なりにどうしてもお伝えしたかった」
「何を」
「貴方のお顔を何にも遮られず真っ直ぐ見つめられた事に心が蕩けそうだった、それと貴方の秘密に土足で上がり込んでしまった事を心底謝りたかった」
「まるで小娘だ」
「そうですとも。そんな小娘の心を掻き乱した……わるい人。でも、だからこそ」
「「貴方に逢えた事が嬉しい」」
「ふふ」
「……」

冬薔薇は花瓶に生かされ、今日も今日とて夫婦のささやかな証明書たりうる美しさを周りに撒き散らすのだった。

End


← →
back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -