あきのよなが | ナノ
クリムトの接吻
うつくしい絵画だ、金色の空に足元には色とりどりの花。
踏みしめると肌に花の汁が擦り込まれていく。
おおきな、大きな腕に抱き込まれてかくりと膝を折れば更に、さらに腕の力は強くなる。
頬と頬をすり合わせればひたりひたりと、心がきしむ。花々の風揺れる音が万雷の喝采のようでしかし、男の鼓動にそれらみなかき消されていく。あぁ、しあわせよ。今は金色に包まれていくのよ。
のしかかる重みも、えくぼの上を伝うしっとりとした唇も。
たとえ、地面が崩れゆこうとも、その先が底の無い深淵であろうとも。土くれごと草花が谷底へ落ちていく、じき、私たちも。


「……。」
「おや、ここか。見ないと思ったら。」
背もたれのない四角い腰掛けが四つ、並んでいた。彼女はひとつに腰を降ろしぼんやりと金色の絵画を眺めていたのだった。遅れて訪れた壮年の男に「なまえ」と呼ばれて漸く顔を上げる。
「ごめんね先に行っちゃってて。」
「いやいや、なまえがこんなに熱中してくれるとは思ってなくてね。嬉しい誤算だ。」
シャボンディパークの端には、実は、あまり有名ではないのだが博物館らしきものと美術館らしきものがある。あるにはある。
土地柄にして本物を置けば盗まれること請け合いなのだが、そこはそれ、『レプリカ』専門。これがキモである。
『面白いものを見つけたよなまえ。』
『なぁに?』
秋も半ば、そんなうら寂しい美術館からのお誘いを新聞の隙間から見つけたのは珈琲の湯気をくゆらせるレイリーであった。なまえの今日のご予定を聞き出してからは鮮やかな手腕で、こうして美術館デートと洒落込むに至る。
新聞の広告欄は小さく、気付く人間も少なかったのだろう、人けは無くこのホールには彼らだけの小声が響いていたのだった。学芸員もいないというのはこの美術館がレプリカ仕様だからか、さてはて。
「『汝の行いと芸術で多くの人の心に喜びを満たせないならば、少なき人の真の喜びのためにそれを成せ。多くの心にそれが叶うのは悪しきことだ。』」
「……ええ、と?」
「はは、」
小難しく喋りすぎた、とレイリーは目尻の皺を深くすると彼女の隣に並ぶように腰を降ろしたのだった。「きみの眺めてた絵のことさ」と語る口調は教授か博士のようで、歳若い無知な学生に余裕を持って講義をしている素振りそっくりだった。
「大勢に認められ、喜ばれるような大衆性を求めず、真に芸術を理解する少数の者へ向けて発信される。分離派の芸術的方向性を代弁している。これはそういうものだ。」
固く抱擁する恋人達の表情は極めて深い相愛と、甘美で満ちていた。足元で咲き誇る花々はまさに極彩で、その囁きを聞いてしまえばこちらが恥ずかしくなってしまいそうな。
しかし、その花々が生い茂る地面は二人の真後ろで崩れ落ちていた。ひと時しか与えられない歓喜の時間、その後は奈落の底へ二人墜いく。
「……美術館で心理学の授業を受けてるみたい。」
「堅っ苦しかったかい?」
「ううん。勉強になります。レイリー、まるで本物の先生みたいよ。」
心理学専攻の、初老の教授。紳士的で授業もユーモア満載、座学だけでなくてフィールドワークもこなす。人気の先生。なまえはあっという間にそこまで想像してしまうのだった。
「あぁ、きみが昔通っていた所か……ふむ。」
「どうしたの?」
「ならば私が師匠でなまえが弟子、になる。」
「美術の?」
「美術と…そうだな、リクエストもあった事だ、心理学もプラスしておこう。」
「ふふっ。」
慈愛を孕み、笑んだ男は「例えば……こんな風に。」と囁いて、先程座ったばかりにも関わらず、また腰を上げる。
「え、わわ、レイリー…?」
両手でなまえの頬を包み、頬を寄せ戸惑う小さな唇を指でそっと撫でた。さながら目の前の絵画だ、同じ構図で、ソファの縁が崖っぷちに思えてしまう。
「美術の授業さ。」
「わ、わっ?…あの、公共の場で、こういうの、恥ずかしいのデスが…っ」
「あぁ。この二人は愛し合っている、しかし、もうその次に待ち受けているのはお互いの猜疑心からの敵対、若しくは別離。相手の中へ沈めば沈む程苦しみは増していく。……それを表している一枚だ。」
「レイリー?」
「なァ、私のなまえ…?」
似通っているとは思わないか?そう囁いてレイリーは誰もいないのをいい事に口付けを落とす。師匠が弟子に手を出して、それでもそれが最上の幸せだとでも言うような素振りさえ見せていた。
「……確かに、相手の事を知れば知る程苦しくなる、のはあるよ。」
腰に回された腕にそろりと触れた彼女は男と、それから絵画を交互に見つめたが最後にはレイリーのダークグレーの瞳を覗き込む。
「苦しいけど、辛くはないの。」
嫌いな人にお世話を焼いてもらうより、好きな人の無理なお願いを聞く方がずっといい。そういう類の。
「きっとこの二人も、傷だらけになっても一緒がいいって決めたんじゃないかな。…って、ありきたりな答えになっちゃったけども。」
子供向け映画のワンシーン、ヒロインの台詞じみたそれに小さく苦笑したのは他でもないなまえ自身だった。
「けど、それでも結構本心だったり、するのよ。」
「……なるほど。」
レイリーは静かに返事すると「なまえの解釈はそうなるのか、なるほど。」ともう一度繰り返してみせるのだった。相変わらず、彼女の瑞々しいばかりの感性に目眩が起きてしまう。
「いかんな、どうにも。歳を取ると捻くれた考察ばかりしてしまう。ああ、でも。なまえと同じ気持ちだよ、私もね。なまえの為なら我が身は惜しくない。」
こういう台詞は彼女を困らせると重々承知で、言っている。それでも口にしたかったのは……かの絵画に意思を示しているつもりなのだろう。
「レイリーみたいにもっと頭が切れたらびっくりさせちゃう様な返事ができるんだけど…。」
「びっくり、もいいがなまえの言葉はいつも胸に沁みてるよ。」
そうして頭のてっぺんにキスを落としたレイリーは目を細め「私の可愛い子」とつぶやくのだった。

さながら、その姿はまるで、絵画の一枚のようで。





「あのぅ?もしもしお取り込み中失礼しますが…。」
「わっ、わ、すいませんっ!レイリー…離れよ、」
「これは残念。」

なまえが腕の檻から抜け出せたのは学芸会がようよう表れた後である。






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