Beautiful name | ナノ




    器用に片方だけ口角を上げた子どもは「面倒臭い性格だってのは知ってるけど、ここまでだなんて思わなかった」と自分自身すら皮肉っている様子であった。立ち尽くすローをうっそりと眺め、それから息をしているだけのいとに視線を投げ掛ける。哀れむ様に目を細め何かを言いかけたが、それを飲み込んでいた。
    しかしそんな子どもの態度など目もくれず、ローは感情をぶつける様にどろりと声を吐き出す。

「…おしゃべりはもう終わりだ。消えろ、目障りこの上ない。」
「失礼だよね、呼び付けたのはそっちなのに。」
「おまえの戯言に付き合う気は無いと言っているんだ。消えろ、」
「キャプテン、そんな短慮な、」
「おれに意見するな、」

    ローを落ち着かせようとするクルー二人の声を切って捨てた男は恐ろしいまでの静かな怒気を纏っていた。

「たのしくおしゃべりなんぞしてる暇は無ェ。」

    そう吐き捨て子どもから視界から外す。
    元々はいとを助ける方法を見つける為に呼び出した筈であったのだ、この子ども…クラバウターマンを。だがどうだ、蓋を開ければヘラヘラとこの言い回し。挙げ句の果てにはわらったままの顔でいとが己の言葉を信じていなかったなどとほざく。
    いとがこのまま、死ぬ?
    ふざけるな、
    この子どもから情報が得られないならばもはや用済み。…一刻も早くいとを救う、他の手立てを見つけなくては。過去の、いとと同じくこの世界に訪れた人間の記録や似た症例の記録がある筈だ。この船に無ければ『あの島』で探す。
    ローは無性にいとの声が聞きたくて堪らず、己の名前を呼べと強くこいねがった。話したくても話せない事実に歯噛みして管にまみれたいとに想いを込めて眼差しを送る。
    いとの想いを他の誰でもない、いとの、その口から聞きたい。
    いと、
 
「聞こえなかったのか、消えろ。おまえにもう用は無い…」
「…たのしい?たのしいだって…!?」

    部屋の温度を低くしていくローの、その言葉を聞いた途端に子どもの表情がみるみるうちに固っていった。輪を掛けて辺りの空気は底冷えて、シンと一瞬だけ静けさが通り、

「楽しい、だァ?ふざけんな!こんな状況に陥って楽しいわけあるか!」

    ローのその台詞が琴線に触れたのか、それとも堪忍袋の緒が切れたのか。
    わらっていた表情をかなぐり捨ててありったけの力を込めて子どもが男に怒鳴りつけた。先程までのあやふやな狂言回しの相貌など消え失せ、顔を怒りで真っ赤にして目を吊り上げて叫ぶ。

「…!」
「なぁ、なにが不満だったんだよ!いと、いい娘だろう?気立てもいいし優しいし、おとこに慣れてないからいちいち反応が可愛らしいしさあ。それに一途だからずっと君に尽くしてくれるよ。いとを見つけた時は小躍りしたね。『あぁ、この娘ならローを幸せにしてくれる』って!」

    一気にそうまくし立てても、尚怒りは収まる事がなかったのか子どもは矢継ぎ早に怒気を言葉に乗せた。目尻の隅の小さな雫を落として、ローに詰め寄り飛びかかると胸ぐらを掴む。

「それが蓋を開けてみれば、なんだよこれ!いとボロボロじゃねェか。なにしてんだよホントになにしてくれてんだよ、ウチは幸せになって欲しくて二人を引き合わせたのであって断じてこんな苦しめるためじゃない!!」
「おまえ如きに言われる筋合いはない!おれだって、」
「わかってねェから言ってやってんだ!死ぬんだぞ!このままじゃあ、おまえの所為で、しぬんだ!いとは!わかれよ!」
「見りゃわかる!…おれは、医者、だぞ…!」
「そっちじゃねぇよ!全然わかってねェじゃねぇか!」

    そう言い切ると子どもは漸くローの胸倉に掴みかかってた腕を離した。荒れた呼吸を整えてはっ、と鼻でわらう。
    本当にこの男は本質を見出していないのだ。しかもそれに気付きもしていない。
    手を伸ばす事を学ばなかったから、ま、当然っちゃ当然だけど。ホントホント…ここまで酷いとは思わなかったサ!

「ふん、どうせアンタはいとに会うためにこの先一生分の女運を使い果たしてるだろうからね。せいぜい一人さびしく生きやがれってんだ。ばーかばーか、」
「…、」
「ウチの『言葉』、忘れたなんて言わせないよ。…精々足掻け、」

    それじゃあお望み通り消えてやるよ。この、間抜け。
    視線をローに決して合わせること無く子どもはカツン、と足を鳴らして身を翻した。次の瞬間、子どもは瞬きの間に空気に潜って消える。

「…消えやがった、」
「…、」

    呆然と呟いたシャチにローは目もくれず、横たわるいとにそろりと近付いた。無言で、何処か心あらずに節くれた指で彼女の血の気の失せた唇を撫でていく。
    何度も、何度も。