Faim | ナノ




The truth truffle



  少し前に、なまえが攫われた。
  随分と浮かれた時期であったし、立ち寄った島が有名なブランド店が並ぶ『チョーコ島』であったのもきっと、油断してしまった原因なのだろう。
  二月に入ったばかりのこの時節、なまえはどうしてもやりたい事があったそうだ。それも、おれに内緒で。平素であったらなんていじらしい、と喜び一色で心を満たすのだろう。事実おれ以外のクルーもそう、感じていたのだ。だから付き添いとしてなまえと共にチョコレートを求めに出掛けて行ってしまったのだ。
  それが、いけなかった。もっと早くこの島の実態に気が付かなくては、いけなかった。

『なまえちゃんが、なまえちゃんが…!』

  あちこちに打撲傷を付けて、ボロボロの態で戻って来たクルーに流石のキャプテンも目を剥いた。おまえ、どうした足が変な向きに曲ってるぞ、と言いかける前にそいつは『なまえちゃんが攫われた!』と周囲に、殴りつける様に叫んだのだ。
  そして、白刃は島の暗闇を斬り裂いていく。可愛いお菓子の島、しかしそれは表の顔。裏の顔は『クスリ飛び交う下衆の島』。大麻の白い粉を腹立ち紛れに踏み潰したのはおれであり、キャプテンであり。

『なまえ…!』
『ペンギン…、ぅぐ…』

  なまえは、明星が昇る前に見つけた。地に伏せたバイヤーを一瞥する気すら起きず、ぐったりとして蝋の顔色をした彼女を抱えておれは、医療設備の揃った潜水艇に駆けたのだ。後は知らない、キャプテンが『鬼』を起こして振るっていた事だけは、覚えている。
  恐らく、人身売買も手掛けているんだろうと察しついたのは幾ばくも立たない頃合いだ。……仕事熱心だな反吐が出る。なまえの腕には赤い針の後、何か、打たれたのか。こうやって、逃げる力を奪っていたのだろう。

  「しっかり眠って、体を治してくれ。……無事で良かった、ほんとうに…!」
「……うん。」

  こうして、毒婦のような島での出来事は夜明けと共に幕を閉じた。




「ペンギン、ねえ、あそこで金魚がずっと泳いでいるのよ。」
「喉がかわいて、どきどきするの、何か欲しいんだけど何を欲しいのか分からない。分からなくておかしくなりそう、」
「ずっと蜂が飛んでる音がする、こわい、」
「なまえ、なまえ、って名前を呼ばれてるの……」
「わたしおかしくなってしまったの?ねえ、」

  幕は閉じたかに、みえた。
  みえただけだった。

「……禁断症状だ。」
「やはり。」

  かなり強力だった、それになまえはいまだに苛まれていた。幻覚に幻聴、情緒不安定…かぞえるだけでキリが無い。

「どれが本当で、どれが幻だかわからなくなる時があるの……今は普通なのよ、でも突然境目を見分けられなくなる…」

  クスリの影響が薄れるのが先か、なまえが参ってしまうのが先か。
  どうにかして、彼女を救いたかった。
  かといっておれはキャプテンの様な能力もなければベポの様な見た目でなまえを癒す事もままならなかった。だからこれは、苦肉の策で二月の二週目に入る前だとカレンダーで急に知った、付け焼刃だった。

「……バレンタイン、」
「あぁ。最近雑誌でみつけたんだ。これ、美味そうだなと思って。」
「トリュフおいしいよね。」
「おれ、な、あんまり料理とか上手い訳じゃねぇんだ、だからその、」
「うん。」
「……一緒に作ってくれないか?」
「わたし、いま、あんまり役にたたな、」
「なまえと一緒がいいんだ!」
「ぺっ、んぎん?」

  押しの一手で、渋るなまえを厨房に引っ張り込んだのはその後すぐだ。勿論、コックに前もって頼んで人払いしてもらっている。
  雑誌のレシピを確認して、なまえにいちいち聞きながら冷蔵庫と戸棚から必要な材料と器具を取り出していく。ブラックチョコレート、ココアパウダー、生クリーム、ゴムヘラ、温度計エトセトラ。

「……チョコレートって、湯で溶かすもんなのか?」
「湯煎って、意味だよ。お湯を入れちゃったら固まらなくなっちゃう。」

  ワザとそんな間違いを呟いて、あぁ勿論こんな事なまえには秘密だ。隣で己の失敗談に耳を傾けてくれる彼女の心が穏やかになるなら恥などどうでもよかった。

「ペンギンは甘すぎないほうがいいでしょう?ブランデー入れてみようか。……スミレの砂糖漬けはいれないよ、」
「うん?スミレ?」
「……ぁっ、今言わなかった?…あ、はは、空耳聞こえちゃった、ごめんなさ、」
「スミレは知らないけど、なまえは甘党ってのは知ってるぞ?クリームをたっぷり入れよう。」
「わ、入れすぎっ、」
「わはは、」

  あの毒婦の島に漂っていた、強烈な甘香ではない。ここにあるのは穏やかで口の中でほどけていってしまいそうな、優しいあまさだった。
  きっとなまえだけにしか作れない、ほのあまさ。

「できたっ。」
「……おぉ…。出来るモンなんだな…」

  さして時間は掛からなかった気がする、ころころとした球体がパウダーシュガーとココアパウダーにそれぞれ塗れて皿の上に鎮座していた。

「なまえ、ほら、あーん。」

  ひとつまみして、それからぎこちなく口を開いたなまえのそこへ放り込んでやる。むぐむぐと動く頬はさながら小動物そっくりで知らず知らずの内に手が伸びた。

「あまい…」
「そか。」
「とっても甘いね…」
「出来もいいみたいだな。」
「……気晴らしに付き合ってくれて、ありがとう。お菓子作ってる時は無我夢中になっちゃうね。」
「気晴らしなのも、勿論ある。」

  やはり、『何かある』となまえは悟っていたらしい。おれが心身ともに疲労しているのに気を使おうとしている…そう、彼女は考えているのだろう。おおよそその通りの意味だが、まだおれにはなまえに伝えていない事がある。

「一緒に作ったチョコレートで、口に入れたのはおれ…食べてるのを今しっかり見てるのもおれだ。」
「……そうだね。」
「今は現実で、なまえはおれと一緒にトリュフを作って食べたんだ。」
「うん……。」
「おれは、おれはな、なまえ。なまえが治るまでなまえの目になろうと思うんだ。目と、鼻とそれと耳。」

  なまえが幻を見たっていいんだ、おれが傍についてる、なまえが迷ってしまった時はおれが助ける。クスリが抜け切るまで彼女が回復するまで。
  一緒にいれば教えてやれるから。だから今日、一緒に作りたかったんだ。それがおれの本心だった。

「バレンタイン当日には、もっと手の込んだものを一緒に作ってくれないか?おれはこの通り作り方なんて読んだところで解釈をしこたま間違える。……その代わり、といっちゃあ変だけどなまえがまたスミレの砂糖漬けを探さない様に手を引っ張ってやれる。」
「ペンギン…っ、」

  ポロポロと泣き出してしまったなまえを硝子細工を扱う様に抱き締めて、大丈夫だと何度も囁いて、二度とあんな恐ろしい…おぞましい麻薬に触れさせやしない気をつけるからと誓って。
  若き男はただ、ただ、ほのあまさの中にある幸せを願ったのだった。

  
  【おそまつさまでした】





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