Faim | ナノ




My Gateau chocolate


  ここは二月のシャボンディ。雪の代わりに泡玉舞う島。
  ここは泡玉に囲まれた島の裾、一軒家。乾いた音は三回…玄関
ドアを叩いた音だ。

「おお、また来たのかおまえ。」
「こっちに寄る様が出来たもんで、顔を見せに。」

  以前一度見た見事な赤い髪色に『あら、』と思わず声を上げたなまえはぱたぱたとお茶の準備をし始めたのだった。

「…あら?」

  本日二回目のこちらの声、お客様に出す(シャクヤク専用と言って差し支え無いが)お茶菓子をうっかり切らしていたのに気が付いたのはややもしてから。

「…最近こっちばっかり考えてたからなぁ…」

   今日はバレンタイン。実はこのなまえ、少々前に大好きな夫から遠回しに何が食べたい?と聞き出して…聞き出してその『食べたいお菓子』で頭がいっぱいになっていた節があった。あるのはたったひとつのケーキ、冷蔵庫の隅に隠したレイリーの為のガトーショコラである。朝方早起きしてこっそり作ったシロモノだ。
  ……しょうがない、『今から買いに行って来ます、それか今から作ります』などと言って夫に恥をかかせる訳にもいかない。幸いガトーショコラはまだ誰にもお披露目していないので出してしまっても差し障り無い筈だ。
  レイリーにはまた別の物を用意しよう、と結論をナイフに乗せてまん丸のダークブラウンと『ばいばい』するのであった。




「……奥方は?」
「キッチンでお茶の準備をしているんだろう。何かと気を回す娘だからなァ、そんなに上等な男でもないだろうに。」
「馬に蹴られない程度で寝ぐらに帰るよ。はは、」

  のべつ幕無しに軽口は続く、窓際の一室でレイリーとシャンクスは言葉の羅列を並べていた。噂のお嬢さんをいっとう愛している夫殿に『他の男に気を使わなくとも』と暗に言われてしまい、かの名高い海賊殿は珍しくも苦笑いをひとつ用意したものである。
  そうしている内に軽い足音が聞こえ、ノックが三回。ウッド・トレイを携えたなまえがにこにこ顔を覗かせた。

「どうぞ。」
「お待たせしました。…今日はバレンタインですからチョコレートのお菓子ですよ。」
「……んん?」

  おお今日はそんな日か、と破顔したのはシャンクスばかりである。……夫殿は、レイリーは、空に浮かぶ泡玉を飲み込んでしまった顔をなんとか堪える奇妙なものであった。

「……。」

  はて、それは確かなまえが小さな子どもがするような、取るに足りない可愛い『隠し事』の結末じゃあなかったのかい。彼女にこのケーキをおねだりしたのは紛れもなく己である、やんわりとガトーショコラがいいと伝えたのもよく覚えている耄碌した記憶はない。
ふた切ればかり用意された『これ』がどんなに特別な意味を持っているかなどと…考えるだけ無粋ではないか!

「レイリー…?」
「おまえ甘い物は苦手だったろう?…なあシャンクス。」
「え?いやおれは別に、」
「……なあ?」

  ったん!と人差し指をテーブルに叩きつけて微笑みのカタチを作るのは腐っても冥王、その人である。
  暴力的なフェイクは似合わないだろう、なんたって今日はバレンタインだ。そんな声を、出さずとも瞳の色がそう告げている。
  それなりに付き合いのある赤髪は、残念ながら愚かではない。この顔をする時の冥王に手を出してはならぬと海の上で散々学んできた。
  三十六計逃げるが勝ち。この顔をした男に勝てた者などついぞ見た事も聞いた事も無いのだから。

「…あー……そろそろおいとまするよ。『眠れるなんとやら』ほどオソロシイモンは無ェ。」
「なんとやら?」
「そうか、そうか帰ってしまうのか。最後に茶漬けでも作ってやろうと思ったのに。」
「ははは…。」

  お嬢ちゃんも大変だ。と言ってシャンクスは苦笑いを顔に貼りつかせたままあれよあれよと嘗ての副船長殿の家を後にするのだった。
  トレイに乗せられた、パウダーシュガーたっぷりのケーキは手付かずのまま、ポツンと陶磁皿の上に鎮座したまま。

「さて、わたしの可愛い奥方殿…これは一体どんな了見なのか、この愚鈍な脳みそしか持たない老いぼれに教えちゃあくれまいか。」

  これはわたしのもの、わたしが口にすればいいもの、そう思っていたのはこの爺いだけだったのかな?
  なまえに詰め寄り、そして彼女は微笑みのカタチに圧倒されて固まってしまう。じりじりと追い込まれてとんっ、と腰が当たるのはガトーショコラが鎮座しているテーブルだった。これ以上は退けないと悟ったなまえがレイリーを盗み見上げるとその流れを辿る様に頬に手を添えられた。
  レイリーの掌は自分より少し冷えている、それは前から知っているけれども。今日はどうにもこの温度に背中が粟立ってしまうのだった。
  レイリーに言われてしまうとそれが何もかもこの世界の正しい事、と錯覚しそうになる。おっと、この空気に飲まれては、など足掻いたところでまるで意味がない。
  知っている、これはこういう、おとこだった。

「……ばれてたの…?」
「それはもう、盛大に。楽しみにしていたんだよ、これでも。」
「……ごめんなさい。」
「謝ってくれるのなら、ふむ…そうだな…。」

  答えをとっくに用意している癖にワザと焦らしている男は、これまたワザとらしく小首を捻ってから漸く「そうだ、」としたり顔を浮かべるのである。

「ちょうどここに物はある訳だ。…食べさせておくれ?わたしの可愛いひと。」
「えっと、はい、」

  つまりは、『あーん』たるものをせよ、と言っているのだろうこの夫殿は。ぽこぽこと耳の後ろ側が温かくなってしまったなまえは漠然とそんな事を考えていた。

「言質は取ったぞ?」

  今度こそ微笑みを浮かべたおとこはそのままヒョイと奥方を抱え、その勢いのまま真後ろのテーブルに寝転がせてしまったのである!
  由々しき事態だ、ガトーショコラはどうすればいいのか、食べたいと言っていたのはこの焼き菓子ではないのか……などと逆巻く台詞の山はレイリーの一言で総崩れなるのであった。

「なにもガトーショコラが食べたい、と言った訳じゃあないだろう?」

  先程までの荒ぶる不機嫌は一体どこに、まさか演技だったとでもいうのか。いやあの剣呑さはまず間違いないのであるがいかんせん食えない男の代名詞でもある男であるからして。

「…まずはなまえから食べることに決めたんだ。」

  左様でございますか。
  そんな羅列が右から左へと通り過ぎていくのであった。

【いただきます。】
※ここから情事要素入ります。





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