或る街のニゼル・ブルー | ナノ

「…はー…」

   やっと落ち着いたかな、となまえは既に温くなってぐにゃぐにゃするアイスノン代わりの保冷剤を冷凍庫に収めた。静かなカフェの中を見渡してから感慨深げに彼女は溜息をつく。

「…帰ろ、」

   うじうじタイムは終了だ。明日ドフラミンゴに連絡を入れて本当のことを話そう。下腹を撫でてからなまえはドアへと足を向けた。しかし、すっと視線をそちらに動かした瞬間嫌な感覚が脳を揺さぶった。

(め、まい…が…っ)

  自分が倒れてしまえばこの子が、と足を踏ん張ろうとするものの力は呆気なく抜けていきなまえの視界は反転した。

「ドフィ…、」

   無意識に呼んだ名前は空気へと溶け、なまえの瞳は小さな雫をまろび出していた。
   珍しく叫ぶ男の声が聞こえたのは気の所為か。




「…、なまえ、」

   誰かが自分の名前を呼んでいる。切なさそうに静かな声で。何処か痛々しくも愛しげに。そんなかなしい声でどうして私を呼ぶの?と聞きたくてなまえはそっと瞼を上げた。

「起きたか。」
「…ドフィ…?」

   ドフィが私を呼んでいたの?とのたのたと話す。ドフラミンゴはベッドに横になっているなまえの髪をゆっくりと梳いて手に絡めていた。見覚えのある天井にここはドフラミンゴの自宅だ、と彼女は漸く把握する。

「なんだ…なまえ?」

   低い低い声だった。なまえはこの男が怒っていると直ぐに気が付く。

「…あのね…私、黙ってたことがあるの…」

   もしかしてそれの所為?とおずおずと男の顔を見上げた。そしてこのまま話すのもやり辛く、なまえは体を起こそうとしたのだが…とうの本人にそれを拒まれた。

「寝てな。」
「…ドフラミンゴ、ごめんなさい…」

   きっとこの男のことだ。恐らく自分の秘密を、子どもを授かったことを耳にしたのだろう。だからこんなにも静かな怒りを滲ませているのだ。

「ごめんなさい。許して…なんて言えないけど謝らせて…ごめん、なさい…」
「…、」
「ドフラミンゴ、私が嫌になってしまったのなら…教えて欲しいの。…私、なら、大丈夫…。ちゃんとお別れできるから…あなたの迷惑にならない様にするから…」

  尚もごめんなさい、と口を開こうとすれば逞しい腕が伸びてその親指で唇を撫でられた。

「何を独り善がりに話してくれちまってるんだ?おれがなまえを手離す?おまえが居なくなる?おれがンなこと許すと思ってるのか…?」

  両手で頬を包んだ男はそう言い募り、なまえの唇を荒々しく貪った。息をすることも許そうとしないのか、舌を差し込んで怖気づく小さななまえのそれを追い詰める様に擦り付け、舐めずる。

「ふぁあ…ん、っん…」

  ぬちゅり、とお互いの津液が絡み合い、溢れてしまったものはなまえの頬をたらたら伝って落ちる。耳朶の付け根に流れたものに彼女の背中は切なく捩れた。

「…ぁ、ぁ…っ」
「…なまえはおれのもんだ。おれ以外の男になまえの名前は呼ばせねェ。なまえがおれ以外の男の名前を呼ぶことも許さねェ…」

   二度と、と漏らす声は孕むものが篭っていた。辛苦を吐き出した男は呼気の乱れたなまえに再び口付け、逃がしはしないとばかりに薄い背中に太い腕を差し入れる。漸く唇を離したと思えば今度は首筋に舌を何度も這わせ、赤い痕を刻み込む。

「あぁ…っ!あ、ぁ、ひ、あっ」

   なまえは懸命に声を堪え様とするがそんなことをこの男は許さず、更に強く彼女の首に喰らい付く。胸元に、腕に、赤い痕は数を増やし遂にドフラミンゴはなまえの服をたくし上げた。
   薄く白い腹に男の芯が焦げ付く。

「…やめて…ぇ、」

   あからさまになまえの体が硬くなる。今、自分はこの男に応えたくとも応えられない。ぽろりぽろりと彼女の目尻から新しい雫が零れ流れシーツに切ない染みを作っていった。

「…ヤらねェから、安心しななまえ。」
「ぇ…?」

   ひどく優しい声になまえは拍子抜けた。ドフラミンゴはゆるゆると腹に口付け、先程の荒々しい素振りなど忘れてしまったのかと聞きたくなる程の甘ったるい…子ども同士がする様な啄むそれをなまえに与えていく。

「…ん、っぅん…くすぐったいの…ひぅ…っ」
「なまえ、なまえ、」

   堪え切れなくなってなまえは変な声が漏れてしまった。まるで大きな子どもだ、とドフラミンゴの頭を気付けば撫でていて彼女は自分に苦笑する。男は口付けに気が済んだらしい、今は唇で彼女の腹を撫でている。

「…随分と悩んでいるみたいだったんでな…そっとしようと思ってたンだよ。」

  不意にドフラミンゴがそう呟いた。このおれが、と自嘲した男は更に慣れないことしちまった所為で…このザマさ。と顔を上げた。

「…怒って、無いの?」
「強いて言うなれば、無様なおれにだ。…聞くならなまえにさっさと聞けばよかった。」

   なんだお互いに独り善がりをしていたのではないかと、肩の力が抜けた。

「やっぱり知ってたのね、その、ここ。」

   なまえはそう言って服が捲れたままの下腹を直に撫でる。

「おれを誰だと思ってるンだ?なまえチャン!」
「…はいはい…すごい財閥の総帥さんですよ。ドフィさん。」

   くすくす、と笑み崩れたなまえを尻目にドフラミンゴは嫌、違う、と掠め取る口付けを一度彼女に与え、目尻に溜まった涙を掬い取ってやった。

「フッフッフ!なまえのことなら何でも知っている男、と言って欲しいモンだ。」
「…もぅ…っ、」

 だがお前の口から聞きたいことなんでね、言ってくれよ、おれの可愛い可愛いなまえ。と含みのある声で真っ直ぐにドフラミンゴは見詰めてきた。

「…こどもが、いるの。」
「…、…あぁ…。」

   穏やかな感嘆の様な吐息だった。噛み締めている男の声に蚊の鳴く様に言葉を紡いだなまえは静かに落涙した。

「…嫌じゃない…?」
「あぁ。」
「産んでもいい?」
「あぁ。」
「ほんとう…?」
「本当だ。」

   なまえを抱き締めたドフラミンゴは静かに笑った。疑り深いお嬢チャンだなァ、と茶化す訳でも無くその小さな頭を撫でてやる。

「なまえそっくりの子どもだったらいい。きっと楽しいぜェ…そうだろ?」

   おれ似だったら、そうさなァ…もう一人作っちまおう。とドフラミンゴは優し過ぎるまでに優しい口付けをなまえに贈り続けた。何度も、飽きることなど、手離すことなど有り得ないと証明するかの様に。
   なまえは、幸せそうに身を知る雨をほろり、ほろり、と愛しいおとこに降らせていた。
    その涙はまるでニゼル・ブルーの様な、美しい青に似て。



FIN


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