或る街のニゼル・ブルー | ナノ

   宙ぶらりんの漠然は産婦人科の医師の一言でしっかりと固定された確信に変わった。

「こ、ども…」

   おめでとうございます。看護師の声が矢鱈遠くに霞んで聞こえた。ふわふわとした心地のままなまえは帰路につき、気が付けばカフェの椅子に座り込んでしまっていた。地べたに置いた鞄にはパステルカラーの手帳が入っている。
   子どもは、嬉しい。大好きな人と私の子ども。…はたしてドフラミンゴは何と応えるのだろうか。なまえは下腹部にそっと手を当てて緩く摩っていた。既に癖になってしまったそれにはた、と気付きそれから時計を見た。もう昼時だった。

「あ、もうそろそろ…」

   くる時間だ、と腰を上げた拍子にドアがカロンカロンと鳴る。大きな肩、トレードマークのサングラス。そしてどこか嬉しそうな表情。

「来たぜなまえ。」

  昼時はドフラミンゴとの時間だった。何時の間にか決まってしまった彼だけの指定席はなまえと一番距離が近付く場所だ。

「いらっしゃいませ、ドフラミンゴ。」
「…あァ、いつもの頼む。」
「うん。」

   なるべく不自然にならない様に、となまえははやる心臓を落ち着かせてカップを手に取った。…ドフラミンゴの為にこっそりとなまえが買った彼専用のカップだ。

「モネはどうしたんだ?」
「後一時間ぐらいしたら来てくれるの。…この時間暇で。」
「フフ、昼時なのに閑古鳥が鳴いてんなァ!」
「うーん…他の時間はそれなりにお客様来るのよ?」
「…フフフッ!」
「…?」

   この男が『これ』を仕組んでいる、というのはなまえは知らない事だ。

「はい、お待たせ。」
「美味そうだ。」
「…、ぁ」

   いけない、この臭いは駄目だ。なまえは胃から込み上げて来るものをぐ、と押さえて無理矢理笑みを作る。いつもそう言ってくれてありがとうドフィ、料理し甲斐あります。さて、自然な声になっただろうか。

「…おれに隠し事とはいい度胸だななまえチャン!」
「…あ、はは。ばれちゃった?」

   この恋人はお見通しの様だ。

「おれを誰だと思ってるンだ?」
「ふふっ、そうだったね。…実はちょっと風邪気味かなって…」

  ドフラミンゴに子どもの事を切り出せなかった。なまえは考える前に口からでまかせをついてしまう。彼が受け入れてくれるか、自信が持てなかった。妊娠なんて、当たり前だが生まれて初めてで。相手は本来ならば出会う事の方が奇跡に近い人で。
   体調の悪さも手伝ってなまえの心は悲鳴を叫んでいった。どんどんネガティブになっていく。

『子どもねェ、』

   喜ぶよりもそう言って眉を顰める彼の顔ばかり浮かんでしまった。普段なら、こんな、ドフラミンゴを否定してしまう様な事なんて絶対に思わないのに、何で。どう、して。

「なまえ、今日は閉店だ。送る。文句は聞かねェ。」
「う、ん。」

   つう、と水滴が頬を伝ったのがわかる。ドフラミンゴは珍しくわらわずになまえを柔らかく抱え上げると、壊れ物にする様に濡れた彼女の頬へ唇を伝わせ、それから小さな唇に押し当てた。

「…っ、ふ、んく、」
「は…なまえ…」

   熱は無ェな、と唇で体温を確かめたドフラミンゴは片腕でなまえを抱えたまま乱暴にドアを開け、待たせていた車に乗り込んでしまった。それからモネに連絡を入れ、後生大切な愛しい恋人の自宅へと辿り着く。

「後は大丈夫だから…」

  自宅のベッドにて横になるとなまえは半ば懇願の様な声をドフラミンゴに掛けていた。暗に帰って欲しい、と言っているそれに男は言いようの無い感情が腹の底をのたうち回る。

「お仕事、の邪魔…したく無いの。ドフィ…ね?大人しく寝てるから…」

   再びはらりはらりと生まれ落ちる涙にドフラミンゴはいかんせん弱い。ドス黒い感情をあっさりと涙で洗い流されると一言だけ「ベビーを寄こす。これも断るんだったらおれは帰らねェぞ。」と彼女の髪を梳いてやった。

「ありがとう…ごめんなさい…」

   やっと微笑んでくれたなまえに口付けを贈るとベビーが来るまでの間、男は恋人の傍から離れようとはしなかった。







『体調が落ち着くまでなまえはいい子にしてな?』

  その後、仕事に戻ってから電話をして来たドフラミンゴは過保護を発揮してしまっていた。なまえは苦笑をしてしまうが今はそれが有難くもある。少し彼と距離を置こう、落ち着いてまずは自分の心を宥めなければ。ドフラミンゴに迷惑を掛けたくないのだ。
   きちんと本当の事を伝えられる様に。でもそれで、もし。もしも、彼がこの子を望まない時には、

「ふぅ…、」

   あれから数日経つが、大学の帰り道ふと思うのはこんなことばかりだった。ネガティブにも程があると自分を何とか叱咤して、そうっと下腹を撫でる。お母さん、頑張るからね。と柔らかい眼差しを向けてから前を見た。気持ちの悪さ…悪阻も前に比べればマシになって来たのだ、このまま順調に事が進めばいい。

「…ぁ、れ?ドフィ?」

   少し先に見えたのは大柄な体躯。金髪の短い髪、その後ろ頭。
   会いたくて、それで会い辛い大好きな人。声を掛けようかな、と一瞬思案して顔を下げてもう一度上げた時に彼は一人では無かった。

(…だ、れ…?)

   綺麗な女の人だった。自分とは違って、スタイルがよくて目がぱっちりしていて髪の毛だって緩いパーマが掛かってお洒落だ。二人は友人という割には距離が近くて、近過ぎて。あ、と声にする前にその女の人の腕が彼の逞しいそれに絡まった。

(やだ、やめて、)

  ドロドロした感情が体中を毒していた。その人は私の大好きな人なの、お願い近付かないで!そう思った次の瞬間には大粒の涙が瞳からポロポロ溢れ返ってなまえは自分を嫌悪した。このままでは毒された想いが大切な我が子まで蝕んでしまいそうに思えてしまって、彼女は行く当ても無い癖にその場から走り去ってしまった。

(やだ、やだ、いやだ、)



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