馴れ初めそのA スモークフィルムに写ったわらい顔のその向こう、面白味を体裁と世間の目に差し上げてしまった学び舎を流し見てそれから。男は朗々とテノールよりも低い声を喉から吐き出すのであった。 この男、常識とはかくあるべきかな。というものを生憎持ち合わせてはいない。寧ろ足蹴にして踏みつけてグリグリと最後の息の根までもを止める性根であった。 今回もそうである。 「あの、どうして…?」 「さてな。これからそれを確かめるンだよお嬢チャン…。」 引っ張り込んだのは校門前に呼び出した車だ。真っ白の高級車、ぐらいしかわからないうちにぐいと巨躯の男になまえは車内へと放られてしまい、腫れた目を白黒させては困惑を頭の先から爪先まで滲ませるのだった。向かい合わせに座っていれば穴が空く程眺められる。 誰だろうか、この金髪の男は。 大きいから怖いという訳では無い、ただこの男に何を伝えればいいのか…見出せなかった。 「出せ。」 「はい。」 やりとりは一秒。運転手は男の声しか鼓膜に入れないと誓っているらしい、なまえの慌てた声を知らんぷりしてアクセルを踏んでしまっていたのだった。校舎が遠くになるにつれて男の笑みは深みを増していく。 「おれはドンキホーテ・ドフラミンゴだ。」 「…は、い。」 「聞いた事は?」 「時々、TVで苗字を伺う程度で…確か、大きなホテルがオープンしたとか…関係者の方、ですか?」 「それであってる。」 とつとつと呟くなまえはまるで小動物さながら。可愛らしいリボンのついた檻に閉じ込めていつまでも愛でていたくなる、とうっそり男は赤みを帯びたままの女の目尻を眺めるのだった。 「…で、振り出しに戻るが。」 庇護欲でもなければ情欲でもないジリジリとした感情は脳髄さえも焦がしていく欲望だったが、この男は知っていながら放ったらかしにして本性がどうなっていくか…それすらたのしんでいたのだった。 「誰に泣かされたんだ?ええ?なまえチャンよ…」 「…っ…。」 そのうちウサギかリスの耳でも出てくるんじゃなかろうかという程になまえの肩は震えていたのだった。車の振動とは似ても似つかない怯えといたたまれなさ、それから躊躇いをいとも簡単に見抜いてしまうのは矢張りこの男故にであろう。 「教えな。」 「…初めてお会いした方に、そんな…」 「だからどうした?」 「え、と、」 再びなまえの視界が涙の幕で歪んでいく。ほろりと溢れて頬を伝い、ぴちゃんと顎から滴っていくそのさまを見つめるのはサングラス越しの瞳であった。 サンタマリアよりも上等の宝石だ、そしてシュバルツカッツよりも子どもっぽくて甘ったるい。しかしこれは己のものではないのだ、己が与えてやった感情から生まれたものでは無い。 それが堪らなく腹の底を煮えくり返す。 「ほんとうに、たいした事じゃ無いんです…。私、涙腺弱くってびっくりしただけでも結構ポロっと出ちゃって、」 「あんなに大泣きになるって?」 「…それは…」 車は右に曲がっていく。足を組んだ男はまじまじと、逸らす事なく涙を溢れさせる女を見つめていた。 なまえからすれば訳のわからないまま初対面の男に話せと強要されているのだか、余りにも現実離れしてしまっている所為で逃げ出す事すら見失っていたのだった。 「…少しだけ。からかわれて、しまったんです…」 「同期にか?」 「…同期の子も、いました。」 複数か。と目を細めた男は灰色の学び舎を思い出してそして、ふうんと相槌を打ったのだった。 調べればわかる。この女の有様では『その名前』を聞き出すのは骨が折れそうだ、おまけにどうにも『ああいうの』はお好みでは無さそうでもある。 知らさなくてもいいか。 「びっくりして、泣いてしまっただけで…」 「…怖かったか?」 「…。」 「なまえ、」 「…こわかったです。」 「『ここ』はどうだ?…突然攫われた車内は?」 「ドンキホーテさんが優しくして、くださるので怖くない、です。」 「ドフラミンゴと呼びな。」 「…ドフラミンゴさん…?」 幼子にものを教えていくような、実に居心地のいい気分になる。なまえの声が甘やかなのもある、それにまとう雰囲気も ヤミツキになるな、こりゃあ。と理性を常識と同じ様に踏み潰しては可愛い女の顔を見つめてやるのだった。 「着きました。」 「オゥ。」 「ついたって…え、ここ、」 ニュースで見たンだろう?と当たり前の様に言い切ってドアを適当に開けた男の背景はイエロー・ゴールドの輝きだ。煌びやかなエントランス、スワロフスキーのシャンデリア。 「攫った詫びも兼ねて、だ。フレンチは好きか?」 「そ、そんな、私お詫びされる様な事何もされてません。」 「フッフッフ!なまえチャンは拉致の意味を知らねェみたいだ…」 「…あれは私の愚痴を聞いてもらった様なものですし、何も怖いことされてませんし…」 「…つけ込まれやすい人間だなァ…」 警戒心では無いそれに、ニタリとわらって男はなまえの顔を覗き込むのだった。小さな体は石鹸の香りがする、その性格から生まれてしまった涙の所為でまだ目元が潤んでいる…これを可愛いおんなと以外に何と呼ぶ。 おとこは決めた。これを全て己のものにしてしまおうと、決めた。いやこれでは語弊があるか、正確には計画を立てたというべきだ。 「歳上の言う事は素直に聞くモンだ。…それにこっから帰るのも一苦労だろうさ。送ってやるよ。」 「あ、でも、ドフラミンゴさんのご予定は…?」 「明日でも出来る。」 「は、ぁ…」 言いくるめられてしまったなまえを促す様に連れ添って歩き出す男は酷く機嫌がよかった。そして振り返っては運転手に何やら『目配せ』して、下がらせる。 「なぁなまえチャン。」 「はあい…?」 「これからおんなを口説き落とすンだが…椅子に座るのとベッドに転がされるの、どっちがお好みだ?」 「…え?」 「フッフ!なァに冗談さ。」 今はな。と口の中で呟かれた一言になまえは気づかないまま、豪奢なシャンデリアの下を歩いていくのだった。 |