きみをまもる、いくつかの手段 | ナノ


▼ 光り方は教わらずとも

いとは、何処にでもいる様な普通の女だった。やたら涙脆い事と信じられないくらいお人好しな事を除けば。

『すぐ涙が出ちゃって…びっくりさせちゃうかも…ごめんね?』
『驚かねーよ。それにいとが謝る必要なんてどこにあるんだ?』
『え…?』
『え?』

二人でテレビを観ていた時の、こんなやり取りがあってまたいとが泣き出してしまったのは記憶に新しい。キョトンとした彼女の顔も可愛いと、もっと色々な表情を見たいとおもい始めたのはいつからだろうか。

「エース?」
「あ、うん、なんでもねぇ。」
「ご飯冷めちゃうよー。」
「おー。」

お人好しないとはダイガク、というところに毎朝出掛けて夕方帰って来るのが常だった。合鍵を貰って散歩なりなんなり自由に出来るのだが、いとがいない時に出掛ける気は起きずエースは留守番役がすっかり板に付いている。

それがいとは気がかりらしい。留守番をさせてしまうのが申し訳ないと、帰って来てからこうして二人で外出するのが最近の日課となっていたのだった。

「いい食べっぷりだなぁ。」
「ここのも美味ェけど、おれ、いとが作ってくれたのが好きだ。」
「…ふふっ、ありがとう。」

今日はいとの帰りが少しだけ遅くなってしまって、こうして初めての外食に出掛けたのだった。暫く歩いて着いたファミレスで大盛りのスパゲティを咀嚼するエースにいとは可愛いなぁと内心思っていた。ついつい世話を焼きたくなってしまうのだ。

「ドリンクバー行ってくるね。」
「ん。」
「エースのも取ってくるよ?何にしよっか。」
「緑のしゅわしゅわしたヤツ!」
「はあい。」

子どもじみた、というか子どもそのものの台詞に心中苦笑したのはエース方だ。そういえば本当の年齢をいとに教えていなかったなぁとのそのそ考えて、どっちにしろ彼女より歳下なのは変わらないのでまあいいかと再びフォークを回し出す。

「…遅ェな…。」

はた、と気が付いたのはややもしてからだ。その仕組みに感動したコーナーは丁度背中を向ける位置にあってエースはくるりと振り返ってみる。混んでるのか、おれ気が利かねェな手伝いに行かないと、とそんな事を考えていた。

「…なんだあいつ…。」

何故、もっと早く振り返らなかったのか。何故気付かなかったのか。そんな事など一瞬で頭から抜け落ちていた。

いとが、泣いている。
男二人と、女一人。いとの行く手を阻む様に立ち塞がっていた。歳は同い年ぐらいだろう、取り囲んでニヤニヤとやに下がった顔を貼りつかせている。

「ほんとだねー、すぐ泣いちゃうんだかわいーねー。」
「高校の時からこんななの?」
「マジマジ。やっべーちょう懐かしいんですけど!」
「っ、」

言葉は軽く明るい声音だが、最早それは悪意の塊としか見て取れなかった。せせら笑う三者三様はいとがどうなろうが知ったこっちゃないのだろう。執拗く嘲りの声が続き、目と鼻の距離が歯痒くてエースはありったけの力で駆け出す。

いとの血の気が引いていくのが見えた。
何してるんだ、いとに。おれのいとだぞ。
髪の先まで伝った感覚の名前を付けるよりも早く、エースは唸り声を吐き出したのだった。

「なにやってんだ、テメェら。」
「はぁ?…どこの子?」
「え、す、」

近くで見れば見る程のいとの怯えがわかる。こんな暗い顔など初めてだ、己が頼んだジュースのグラスを守る様に両手で握り締めて小さく震える姿は痛々しい。

「あんた兄弟いたっけ…」
「こいつもすぐ泣く系?」
「ヤベェウケる、遺伝?遺伝すんの?」

へらへらと笑う三人組は訳の分からない事ばかり並べ立てている。耳元で羽虫が飛び回っている様だ、火をつけてやったらさぞや気持ちよく燃えるだろう。

「じゃー…泣いたらあんたの兄弟で確定でー。」

男の足が後ろに引かれた。そうやって蹴り飛ばすつもりらしい…避けるのなんて造作も無いが。
先に手を出したのはおまえらの方だ、けじめつけろよ、なァ?

「エースッ、」
「お、わっ?!いとっ?!」

それまで声の出せなかったいとが唐突に弱々しい震え声を叫んでいた。グラスをドリンクバーのテーブルに置いて、エースの手を取り歩き出そうとする。

「か、帰ろう、もう出ようっ、」
「いやいやいや、何行こうとしてんの?訳わかんない、キモッ。」
「どいて…っ、」

話は終わって無いと女がいとの肩を掴もうとする。なんだなんだとギャラリー達の視線が集まり始めたのもあっていとは肩身が狭そうに身を捩っては、止まる事無い涙をはらはらと零していた。

「触るな。」

誰もいとに触るな。震え声に我に帰ったのも一瞬で再び腹の底がグラリと煮えくり返る。指先に焔が灯っていたのが見えて、あぁ能力を使ったのは『ここ』に来て初めてだったとどうでもいい事を考えていた。

「退け。つったの、聞こえなかったのか。…退けよ!!」
「ひ、」

煮え切った声が腹から飛び出した。そのまま大気をびりびりと揺さぶった覇気は正に、鞘を知らない切っ先だ。
どこのどいつだか知らないし、知りたくもない。けれどもいとをこんなにも脅かす存在は己にとっても敵だ。

「いと、走るぞ!」
「…っ!?」

手を繋いだまま駆けて、勢いよく外へと飛び出した。いとは着いていくのに必死で遠く後ろから聞こえた悲鳴に気付けないでいた。
――泡を吹いて倒れた人間を見て驚いた悲鳴は、エースですら微かにしか聞き取れなかった。



ありがとう。家の敷居を跨いでピシャリと玄関を閉めて鍵を掛けた後、その場に座り込んでしまったいとは息切れをしながらそう呟いていた。

「助けてくれて、ありがとう。エース、」

今だに声は震えて、なのにそのまま騒ぎに巻き込んじゃってごめんなさいと呟いていた。エースに向けた言葉なのに俯いてしまったいとの声はみんな、冷たい床に散らばっていく。

「おれは、」

おれは、いとを助けちゃいない。現にこうしていとは泣き腫らした瞳のままじゃないかと、座ってしまった彼女の頭を眺めていたのだった。

喉のネジが取れて、異常な感情が心を塗り潰していく。

「あはは、バック、置いて来ちゃった、ね…」
「後で取りに行ってくる。」
「私、行ってくるからエースはお留守番してて?」
「嫌だ!」

怒気を孕んだ声だ、初めて聞く、エースの怒った声だ。いとは勢いよく顔を上げて少しだけ上にあるエースの表情を見つめるのだった。水の幕で揺れた視界は瞬きをすれば水滴となって消えていく、開けた視界の先にいたエースは『この家』に来たばかりの面持ちとよく似ていたのだった。

「…まだあの人達いるかもしれないから、私エースが怪我でもしたらと思うと、」
「それはいとだって同じだろ。」
「エースは関わっちゃ駄目だよ、私今度はちゃんと誤魔化せるから、」
「…この…っ、このバカいと!」
「エース…?」

思いっきりのしかめっ面でエースはいとのそれぞれの肩を両手で掴む。掌が熱いのは行き場を見失った感情が暴れ回っているからに違いない。

「関係ねェなんて言わせない、ありがとうなんて言うなよ!おれ、いと守れてねェだろ?!おれはそんなに頭回る方じゃねェけど、それくれェは分かる!だけど、そんな情けねェおれだけどいとが苦しんでんなら守りたいんだ、いとが好きだから守りてーんだよ!笑うな誤魔化すなよ!」
「っ、」
「いと、」

そう言い切ってしかめっ面はあっという間に影を潜めて、次に現れたのは切なさに心を締め付けられた眼差しだ。
いとは目を見開いてしまう。エースが知らない人間になってしまった様なのだ、熱っぽい視線は逸らす事を許さず瞬きすら拒んでいた。

「…おれ、好きだ。いとが好きだ。」

誰にも触らせたく無い、おれ以外の誰もいとに触るな。抱え込んで仕舞い込んで全部おれのものにしてしまいたい。――異常だ異常だと違和感を覚えた感情は、なんて事のない今まで持ち得た感情では無かっただけだ。

「私も、エースが好きだよ。だから危ない目に合って欲しくないの、だから…」
「…、」
「ど、どうしちゃったの、えーす、」
「…いとは休んでろ。『こっちにいる間』くらいは守らせてくれよ…バック、取ってくっから。」
「えーす…エース待って、」

今度はいとの声を背中で受けて、エースは外へと再び駆け出していくのだった。


ファミレスはものものしい雰囲気だったが、騒がしい合間を掻い潜っていけばバックを見つけ出すことなど造作も無かった。
海軍によく似た雰囲気の男に話し掛けられた様な気もするが、まあ所詮は気がした、だけに過ぎない。

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