きみをまもる、いくつかの手段 | ナノ


▼ 『今』が擦り切れる

  焔をまとうなど息をするに容易く、瞬き一つの内に掌の内に灼熱の塊が顕現する。空から島へととうに紅蓮は降り立ち、ぎらりとした眼光を鬱蒼と茂る木々の仄暗がりへ見据えているのだった。
  青い炎の鳥は羽を散らし、そして人の形を取る。彼の金髪は炎が巻き上げた風で酷く靡く。

「細けェ事は任せた。」
「…。…あァ。」

  ただそれだけ、それだけだった。エースは土を蹴り上げて獣道を焼き払う如く駆けていく。生い茂った青葉など手を横に振り切れば消炭に変わるが…エースの焦燥を駆り立てるにすぎなかった。
  マルコは別の道へと入っていったのだろう、それか仲間達への連絡でもしているかもしれないとだけ思考を巡らせて後はもういとの事だけをおもっていた。
  怪我は、無いか。泣いて、いるだろうか。
  おれの名前を呼んで、恐ろしさに体を震わせていないだろうか。
  生きて、いるのだろうか。

「いとが死ぬわけねェ、おれが守るんだ、絶対に…っ」

  血液が煮えたぎっている、心臓がいとの名前を呼び続けてその声は熱になって身体中を巡る。時間の感覚が狂ってしまう程ひたすらに愛しいひとの面影を木立の向こう側から見出そうとする。
  一人にさせてごめん、辛い思いをさせてごめん、どうか無事でいてくれ。脈が打つ度に自責と懇願が入り混じる。
  何でおれの足はもっと速く動かない!と歯痒さにのたうち回りたくなって、バラバラになってしまいそうになる心に鞭打った。

「いと…っ!」

  狂ってしまうその手前で留まっていられるのはきっといとの名前を呼んでいるからだ。脳みそから何度も何度もいとの穏やかな微笑みを思い起こして引っ張り出して、擦り切れる寸前の理性を保つ。ここで正気を失ったってどうにもならねェだろ。エースは進む道へと眼光を戻した。
  獣道にしては足場に岩が無い。きっと『歩き易く』しているのだろうとエースは怒気を隠そうともせずにまた真っ直ぐに前を睨み付ける。この道を使っていとが運ばれた、と自覚してしまえば無言の慟哭で大気が悲鳴を上げた。
  怒りに任せて邪魔な大木に灼熱を纏わりつかせて、蹴り飛ばす!
  轟音が響けば、野鳥が空へ逃げそして視界が開けていく。

「ここか!」

  オンボロの倉庫、掘っ立て小屋。
  薄汚い人間、これが人攫い。
  おれのいとを連れ去った、忌々しい、けだもの。

「だれだ、」

  エースが何者であるか、それが分からぬまま目を開くのは人攫いの男だった。一体どうやってこの島へ、何故大木がいきなり消炭に変わったのか。答えが出る前に男の顔はエースの拳で潰された。
  考える暇など与えない。次いで、右足でふらつく相手を蹴り上げる。渾身の力、手加減は不要。
  骨が折れる音、次いで、後方へと吹き飛んで崩れ倒れる。
  動かなくなったのならどうでもいい。

「いとどこだ…!」

  仲間を呼ぶ前に意識を奪われた男に見向きもせずにエースは、倉庫へと駆け出した。辿り着いて引き戸に手を掛けるが、金属のそれは引いたところでビクともしなかった。…中から錠でもしているのだろう。
  小賢しいと考える前にエースは右手を朱色の炎へと変える。朱色は忽ちに金属を同じ色に染め上げ、他愛無く飴細工の様にグニャリと曲がっていく。

  エースはしかしその一瞬すら惜しい。
  ぼと、と半開きの引き戸から錠の鎖が溶け落ちた音がした。

「いと…!…って、なんだこりゃ…」
「な、はっ?!誰だてめェ?!!」
「うるせェ!」

  拳を一閃。左から右へ、手加減なぞくれてやるか。
  メシメシと男の顔面から聞くに耐えない醜い音が響いて、そのまま地面へと転がっていった。

「おい、あんたら。おいっ生きてんのかっ?」
「だれ…あなた…助けにきてくれた、の…」

 両の手では数えられない人数だった。女が泥に汚れて物の様に地面へとしゃがみ込んで、目に光りを宿す事なくじっとエースを眺めていた。皆一様に生気を失い、中途半端に暗がりでよく分からないが…顔色は良くなかった。

「いと…?どこだ、いと…っ!」

 張り詰めた声に肩を跳ねてしまうのは一番エースに近い場所にいた少女だった。しかしエースは女性達に気を遣ってやれる余裕すら持ち得ていない。一人一人穴が空く程目を凝らして、一等大切な己の女を見出そうとする。

「なっ、んだコリャ!熱ィ!」

 まだ、五月蝿いのがいたのか、とエースは引き戸を間抜けにも持った男に眼光を飛ばす。

「間抜けだねェ。」
「おま、え、ぐえっ!」

 ヒキガエルが潰れた声と腹を踏み付ける鈍い音。そして揺れる金髪。眠たげな眼差しは今、畜生を見下す冷ややかなものに変わっていた。

「助け…?」
「あァ、助けに来た。今解いてやるから。」

  固まるエースを他所にマルコは女性達に近付いて手馴れた調子でロープを解いていく。酷く乱雑に扱われていたのがよくわかる、それ程女性達は精魂尽きていた。

「いと、が、いない。」
「…はァ?」

  いとを探すのはエースに任せてマルコはまた一人、ロープを解いてやった。だがカラカラに渇いた茫然としたその一声に眉を顰めてしまう。嘘だ、と思うのはマルコであり絶望を上塗りされて瞳孔を揺らすのはエースだった。

「いねェんだ、どこにもいとがいねェ!!どういう事だよ、なァマルコッ!!?いとが!いと!」
「煩ェエース!おれだって分かるかいっ!」

  肩を小刻みに震わせているのは『いとがいない』、恐怖か怒りか、血の気が引いたエースの顔はぞっとする程白くなっていく。
  滲む気迫に女性達を怯えさせているなんて、どうでもよくて、現実を誤魔化す様にエースは女性達の顔を再び覗き込もうとする。

「…も、もしか、して、外に…連れて行かれた、子かも、」
「外…?」

  懸命に声を絞り出す少女に真っ先に気が付いたのはマルコだった。腰を同じ視線の位置まで降ろしてやると、唇をわななかせながらたどたどしく呟いていく。

「時間は覚えて、ないけど…一人外に連れてかれて…何処に行ったかまでは、分からなくて…」
「…教えてくれてありがとよい。」
「わかった。…オイ起きろ。」

  少女が言い終わる前にエースは先程伸した男の胸倉を掴んで適当に持ち上げた。足だけが地面についたまま乱暴に揺さぶられ痛みに起こされて「…ぅ、」と声を上げる。

「女、一人、外に連れてったんだってなァ…?」
「ひ、ィ。助け、」
「何処に居るかって聞いてンだ…この耳は、飾りか?使いモンにならねェのか?紛らわしいなァ…千切り取ってやろうか!?」
「外、外の、掘っ立て小屋、そこ、そこにいるお願いだ、く、苦し、」

  藻掻く男を地面に叩き付ければまた静かになった。エースは外へと振り向くと矢も盾も堪らず駆け出していくのだった。暗がりから明るい外に出た所為で陽射しが眩しくて仕方なかったが、足は淀む事無く動いて小汚い掘っ立て小屋のドアを毟り取る様に開いたのだった。

「…っ!!」

  臭い。腐臭が鼻の奥を突き抜けていく。
  なんだここは、怒りが込み上げて、そして地面に力無く横たわっている影を捉えた瞬間に何もかも吹き飛んでいった。

「いとっ!?」

 この、背中、間違い無い。おれが着てくれとせがんだ服をおれが忘れる筈が無い。
 なんでこんなところにいるんだ、どうしてこんなところにいとが放りこまれてるんだ、いとが何をしたっていうんだ!

「いと、だいじょうぶか…なぁ、いと…っ、」

  いとを見つけた、と心から安堵したが吐き出せたのは湿った震え声だ。泣きそうな声で名前を呼ぶけれどもいとはこたえなかった、身じろぎ一つなかった。…どうしてだ?
  硝子細工よりも慎重に扱う様にそっと抱き起こし、エースは記憶よりもずっと細く白くなってしまったいとを仰向けにするのだった。

「…いと…?返事、してくれよ…なぁ…お願いだから…」

  倉庫に居た女性達よりもずっといとの顔は蝋の様に真っ白だった。そして、体は熱が無くて、まるで、

「うそだ、いと、嫌だ、」

  頭をよぎる、最悪のこたえなど見たくも無い。聞きたくも無い。
  すぐそこに大口を開けている絶望に腕を引かれる事を拒んで、エースはいとを胸の中に閉じ込めた。いとが好きだと言ってくれたいとより高い己の体温、それを全て彼女に捧げてもいい、それでいとが目を開けてくれるのならなんだってする。
  土の絡まってしまった髪を馬鹿の一つ覚えよろしく撫で、梳いて「いと、いと、」と掠れた情けない声で呼ぶ。喉が潰れても構わない、いとが「エース」と呼んでくれるなら。

「いと…帰ろう、モビーに。家族がいるとこに、一緒に。」

  皆、いとを探してたんだ、オヤジも、マルコもサッチもイゾウも。ナース達だって心配してるに決まってる。だから二人で「心配掛けてごめん」って言いに行こう。いと、いと。

「…あ、ぁ、」

  体が勝手に痙攣して、えもいえぬ感覚に襲われる。うつつとかくり世が交互に訪れては平衡感覚を奪っていく。エースは堪え難さに負けていとを殊更に抱き締めたのだった。

「…?」

  …?
  今、なにか、うごいた?
  もしかすればエースの願望に過ぎないかもしれないが、いとの指先が動いた気がしたのだ。

「いと…!!」

 エースは慌てていとの胸元に耳をひたと付けて祈るように目を閉じる。どんなささいな音でも聞き逃してなるものかと、音叉の響きを確かめる様に固唾を飲む。
 そして己の血の流れる音、顎骨が軋む音の隙間から、とくん。と今にも消えてしまいそうな心音が鼓膜を叩いたのだ。いとの鼓動だ、心臓が動いている音だ。

  何にも勝る福音にエースは、安堵の溜息をこれでもかと大きく吐いてそしてぎこちなく小さく微笑んだのだった。微かな希望が灯火の様にゆっくりと光を滲ませていく。

「なんだてめェ?!」
「…。」

  またか、とエースは苦虫を噛み潰して荒い声の方へと振り返る。まだ『残り』がいたようだ。入り口を塞ぎ、何が可笑しいのかヘラヘラとわらっていた。
  ゴミを出すときは同じ時間に同じ場所にひとまとめに。ナースたちに注意されたことを逆の立場で実感するとは思わなかった。てんでんばらばらにゴミがうぞうぞと動いているのかと思うと反吐が出そうになる。全部処分しちまわなけりゃならないのにいちいち手間がかかって仕方がない。

「…おいおい、そいつ持って帰るのかよ?無駄骨だったなァ、兄ちゃん、もうくたばってただろソイツ。ハハ、そんな『出来損ない』を町に出すんじゃねェよ、倉庫に入れただけですぐ駄目になっちまったんだから」

  名も言わぬ男からにすれば最後の、悪足掻きだったのだろう。散々予定を狂わせられた意趣返しの、つもりだった。皆無事に助け出せたと、これで言えなくなったな残念だったなと、せせら笑ってやるつもりだった。

「…あぁ、全く、おれがいけなかった。」
「ハハハハ、」
「おまえらみたいな屑はもっとはやく、燃やしておくべきだった。」
「…え…?」
「いとがいる世界におまえらは、いらねェんだ。」

  いとを抱えていない方の腕を持ち上げれば焔が生まれていく。その色は、群青。紅蓮よりも激情が篭る焼き尽くす色だ。
  放たれた業火が地を舐める、いや舐めるなんて生易しいものではない、踏み潰すかの様な勢いだった。残虐なまでの、息をする間すら与える事の無い立ち昇る炎の渦が髪を燃やす、次は肌に這い登る。
  エースは、静かだった。普段の苛烈さも荒々しさもなにもかも消えて恐ろしいまでに静かに慄く男を、ただ眺めていた。
  けだものが一人、焔に飲まれて崩れ消える。

「…いと、かえろう。」

  何もかも燃えて、もう何もない。先程の男も髪の一本すらこの世には無い。いとを傷付けるものはここにはもう無い、これでいい。
  更地になった土を踏み締めたエースはいとを優しく抱え直す。すぐにナース達に看てもらわなければ、とエースは声を張り上げて翼を持つ男の名前を呼ぶのだった。

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