世界が終わる前にキスをしよう。
部活終わりの部室にこっそり潜り込んで、目の前の恋人にそうお願いをした。多分、きっと、ちゃんと恋人のはず。
はあ?なんですかそれ、いよいよ黄瀬君は大馬鹿になったんですか。と言われたけれど、きっと二人は恋人同士。だって、好きだよと想いを告げたら、そうですかって柔らかく笑ってくれたもの。
無表情を通り越して、冷ややかな視線を突き刺さしてくるものだと思っていたオレの予想に反して、彼はオレの想像以上に、オレが今まで見てきた黒子っちの可愛さ以上に、遥かに素晴らしく可愛らしいものだった。
「…なんですかその気持ちの悪い顔は」
「いやあ、可愛い黒子っちを思い出したらつい」
「…変人ですか。いえ、変態ですね黄瀬君は」
「へんた…?!」
「あ、こら!」
相変わらずの冷たい反応に思わず声を荒げてしまい、それを慌てて黒子っちが制止した。
もごもごと口元を動かすけれど、黒子っちのてのひらにぎゅうぎゅうと押さえ付けられているものだから、上手く言葉を綴れない。ごめんなさいと言う代わりに、慌ててコクコクと首を縦に振った。
それを確認して、ふう、と息を吐く。オレの唇にくっついていた右のてのひらも外れる。なんだ、もう少し押さえ付けられてても良かったのにな。
身体を動かした後だからか、熱なんて感じさせないような白いてのひらにほんのりと黒子っちの体温が残っていて、これはオレだけの特権っス!と優越感に浸る。
ぷにぷにしていて気持ち良かったなあ、なんて少し下品なことを考えてしまったことは彼には秘密だ。
「…黄瀬君駄目ですよ。静かにして下さい」
「ううう、ごめんっス…」
今いる場所は誠凛の部室。オレは勿論、誠凛バスケ部な訳ではなく。簡単に言うと、一応ライバル校だったりする訳で。うちの部の先輩にバレると「何やってんだお前ー!!」とお叱りを受けるに違いない。だから、こっそり黒子っちがいる時を見計らって潜り込んだ、ってとこ。
「…そもそもなんで部室に忍び込むんですか。会うのならマジバでも良いんじゃないですか?」
「忍び込む、じゃなくて潜り込んだ、が正しいっス!…あ、なんスかそのどっちでも良いとか思ってそうな冷たい視線は」
「…まさか着替え中に窓から侵入して来るなんて。ボクには、全く、全然、考えられないことです。わー黄瀬君の変態ー」
わざとらしい、大根役者のような台詞を言いながら、テンポ良く制服のシャツの釦をぽちりぽちり止めていく。
その仕草さえ可愛く思えてしまって、いいや、可愛過ぎて仕方がないものだから「いよいよ大馬鹿になったんですか」という黒子っちの言葉を思い出して、ああその通りなのかも知れない、と我ながら呆れる。
まあ、こんなに馬鹿になってしまったのは全て、目の前にいる黒子っちのせいなんスよねえ。恋は盲目、惚れたら最後。惚れた方が負けなんだとつくづく思い知らされたりして、けれど結局白旗を掲げて求愛するしか他に方法はないのだ。
「どうしたんですか変な顔して」
「…いや、ちょっと。なんかもう負けっぱなしだなあとか思ったら泣けてきて」
「はあ…。さて、ボクはもう帰りますから黄瀬君もさっさと帰って下さい」
「え、ちょ、ま…!オレも一緒に帰るッスよ!」
「…だからうるさいんですってば」
キッ!と、青み掛かった目で窘められて、今度は自分自身のてのひらで口を抑えた。
そのまま静かにしていて下さいね、とまるで飼い犬のご主人様のような黒子っちに、分かりました!と頷いて(この場合、オレが飼い犬なんだけれど)、窓の方に視線を移した。
誠凛の部室の窓は、潜り込むのに丁度良い大きさだ。海常のは小さめで、男が通り抜けるには少々不便だ。
部活途中に黒子っちに会いたくなって、そこから逃げ出そうと試みたけれど、シャツが引っ掛かって見事御用となった。そしてその後、シゴかれて泣いたことは忘れたい思い出だったりする。
「お待たせしました」
「ほえ?」
さてさて窓から外に出ますか、と学校指定の鞄を手にしたところで黒子っちに声を掛けられた。
あれ、帰んないの?と首を傾げると、帰りますけど黄瀬君は何をしているんですか?と黒子っちも首を傾げる。
「ん、オレも帰るっスから」
「黄瀬君はまた窓から出て行くつもりなんですか?」
「まあ誠凛に来たのは一応内緒っスから」
「ええ、まあそうみたいですけど。でも、もうバレてますけどね」
表情を全く変えずに、さらっとそれをオレに伝えた黒子っちは「密会ごっこも、まあそれなりに楽しかったですよ」と言って歩き出した。
「え、ちょ、いつから」
「最初からです。まあバレないことの方が不思議だと思いますけど」
「なんで言ってくれなかったんスか。…黒子っちって意外と意地悪?」
「知らなかったんですか?男という生き物は好きな人には意地悪したくなるもんなんですよ」
「…え、ちょ、ま。…ゴホン!抱きしめても良いですか」
「嫌です。…やっぱり今のはなかったことにして下さい」
「えーーー!!!」
今すぐ忘れて下さい。忘れるまで会いません口も利きません。さあ忘れて下さい。
そう早口で告げて自分の前を歩く、意地悪で素直じゃない可愛い彼に、世界が終焉を迎えてもキスをしよう、と柄にもないことを思って手を伸ばした。
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20101007/KISEside