薄暗い雲が青い空を覆い隠して、激しい雨音を鳴り響かせた夕立も下校時刻にはすっかり落ち着いていた。
昇降口は帰宅する生徒で溢れて賑わい、生徒達の笑い声が渡り廊下にも響いている。

雨が上がり、少し低くなっていた気温も初夏の様な暑さになり、じわじわと嫌な汗を感じる。
昼間よりも気温は低いとはいえ、やはり暑いものは暑い。
家路に向かう途中で簡単にへばってしまいそうだ。

そんな中、部活動に励む生徒の中に紛れていた篠ノ女は、渡り廊下脇の花壇の前で見知った後ろ姿を見付けて足を止めた。
風が吹くと茶系の柔らかい髪がふわふわと揺れて、その様はまるでたんぽぽの綿毛の様で、そんな人間は一人しかいないだろうとその後ろ姿に近づいた。

「鴇」

いつもの様に声を掛けると、篠ノ女が良く知った顔が振り返りへらりと笑う。



恋心論理ネス





「おー、篠ノ女!」
「お前何やってんだ?」

茶色の煉瓦で作られた味わいのある花壇の前に、背を屈めて覗き込む体勢でいる幼なじみが「お疲れ様ー」と笑う。
部活動には参加していない所謂「帰宅部」と言うやつで、彼はもうとっくに家に帰っているのだと思っていた。
自分の首に掛けていた、白生地に黒のロゴが入ったタオルを篠ノ女に渡す。

「はいどうぞ」とへらりと笑いながらタオルを渡してくれる鴇に、「お前はマネージャーかよ」と心の中で呟いた。
有り難くない訳がない。
用意周到な作り笑いで、男子部員ににこにこ笑い掛けるだけの女子マネージャーより気が利くだろう。
いや、寧ろこいつに任せた方が良いんじゃないかと思う。

マネージャー、ではないけれどこの無駄に良い容姿のせいか勧誘の数は篠ノ女が呆れる程のものだった。
大半が女子生徒で、鴇時とあわよくば、と考えている人間もいたのかも知れない。
けれど、そんな必死な勧誘も「ごめんね?」と一言でさっくりと撃退した。
それでも鴇時の人気は衰える事はないのだから、幼なじみで常に一緒に行動を共にしていた篠ノ女は天然タラシはこの世に存在するのだと改めて実感した。

「汗拭かないと風邪ひくよー」
「おーサンキュ」
「どういたしましてー。今日は
どこの助っ人だったの?」
「バスケ。練習試合に無理矢理
付き合わされたんだぜ。…マジ疲れた」
「勝った?」
「…当たり前」

ぴょこんと首を傾げて上目遣いで「勝ったの?」と問い掛けてくる鴇時を見下ろした。
(おー、天然タラシ技発動)と心の中で呟きながら目の前にいるその天然タラシに勝利報告をする。
篠ノ女にとってはたいした事のない練習試合の勝利報告にも、「さすが篠ノ女ー!」と喜んでくれるものだから(ああ、駄目だ俺も重症ってやつか)と溜息を漏らした。

へらりとしたなんとも言えない笑い方や必殺技の上目遣いには篠ノ女もお手上げで、そこら辺の女子よりも数倍、数億倍は可愛いと思えるのだから鴇時の天然パワーは凄いものだ。

(まああれだな、俺もすっかり天然の毒牙の餌食ってやつだな。いや、別に良いけどよ、…俺の弱点がこいつってのが笑えねぇだろうが)

なんて考えていると、また上目遣いで攻撃して来るものだからその卑怯な攻撃のお返しに、額にパチンとデコピンを食らわしてみた。

「…たっ!」
「おー良い音」
「何すんだよ篠ノ女!」
「お返し」
「意味分かんない!」
「で、お前は何してんの?」
「…ん?あー、えーと露草の手伝い?」
「あぁ?露草の?」

鴇時の視線に促されて、ひょいと花壇を覗き込むとそこには色鮮やかな紫陽花が見える。
ああそういえばそんな時期かと呟いて、子供の頃親に買って貰った植物図鑑を思い出す。
確か球体の紫陽花は改良されたもので、少し変わった形のものが日本古来のものではなかっただろうか。

「で、手伝いって?」
「花への水やり。露草に頼まれたんだよ。でも良いタイミングで雨降ったから、仕事なくなっちゃった」
「はぁ?あいつ園芸部か何かか?」

以前「部活なんてめんどくせー事やってらんねーよ」等と言っていた気がする。
たまに軽音部に顔を出しているらしいけれど、植物に詳し過ぎる露草にはこちらの方が向いていると思う。
眉間に皺を作ったふて腐れた顔で花の世話をしていると思うと少し笑えてくる。
からかったらどんな顔をするんだろうか。

「…篠ノ女、露草をからかうのはやめてよね。絶対喧嘩になるから」

「毎回仲裁する俺の立場も考えてよね!」と唇を尖らせて篠ノ女を見上げる。
言葉にはしていないのに、何故か頭の中を鴇時に見透かされているから、「本当にこいつには敵わない」と白旗を掲げて降参したくなる。
それでも、そんな事も嫌じゃないと思える自分に笑えた。

「それに」
「あ?」
「露草は園芸部じゃないよ。面倒臭いって言って部活入ってないもん」
「お前も一緒だろーが」
「あっはー」
「で?何で露草は、んな事やってんだ?」
「えーとね、梵天に頼まれたとか言ってたかなぁ」
「あ?あの校則違反会長が?」
「うーん、露草すっごい怒ってたから、頼まれたと言うより無理矢理押し付けられたって感じ?さっきも梵天に無理矢理引きずられて連れてかれちゃった」
「…まぁ想像できるな」

金色に薄い緑色が混ざった髪に、金色のピアスをシャランと垂らしている梵天。
一応これでも生徒会長という訳で。
校則なんてものは無いに等しいものだった。

とは言っても、生徒会長としての仕事は問題無くこなし、他の生徒の人望も厚い。
多少俺様な部分も見られる(多少、と言うより全身に俺様オーラを纏っている)けれど、そこは梵天のその容姿端麗な見た目で上手い具合いにカバーされている。

「何であいつはあんな派手な見た目でも問題になんない訳?」
「んー…?素敵ですねぇ可愛いですねぇって銀朱さんが喜んでるから良いんじゃない?」
「は、あほくさ」
「あ、篠ノ女、梵天と喧嘩しないでね」
「しねーよ。面倒くせえ」

眉間に皺を寄せて重い溜息を吐いた。
初めて顔を合わせた時から気に食わない。
あの「俺は何でも知っているんだよ」という態度が気に入らない。
相性が悪いのだと言えばそれまでだけれど、そんな簡単なものでもない。
あの容姿端麗、成績優秀な生徒会長は何故だか鴇時を気に入っている。
篠ノ女はそれも面白くなかった。

「紫陽花もね、銀朱さんに頼まれたからちゃんと世話してるらしいんだよ」
「あぁ?あいつがか?」
「銀朱さんが紫陽花好きだからって。良いとこもあるんだねえ」
「…へえ?」

良いところ、というのかどうかは分からないけれど(露草に押し付けている辺りが微妙と言えるだろう)、梵天が銀朱には逆らわない事が篠ノ女には不思議でならない。
二人の間に何があったのか気になるけれど、それを知るのも少し怖い気がした。
露草なら知っているかもしれないけれど、素直に答えてくれるかは分からない。
何て面倒臭い性格の兄弟なんだろう。


「紫陽花ってね、この色が付いてる部分が蕚で、中にある小さいものが花なんだって」
「へえ、お前よく知ってるな」
「ていうか露草に教えてもらったんだけどね」

そういえばこいつは花に詳しい訳じゃなかったなと今更ながら思う。
花に詳しい露草が与えた知識なのだ、という事は頭で考えなくても分かる事だ。
それなのに、自分以外の人間の名前を出されて可愛く笑われて虚しくなるのは何故なのか。
そんな事くらい俺が教えてやりたかったと思う子供の様な自分は、傍から見ればとても滑稽なものなのだろう。

(…かっこわりー)

「あ、篠ノ女変な顔してる」
「あー…そうか?」
「ぶっさいくだよ」
「…んなことねえよ」


「そんな事あるよ」と指先で紫陽花をちょんちょんと揺らす鴇時をちらりと横目で見る。
花びらから零れ落ちる水滴がきらりと光って何故だか、ほんの少しだけ淋しさを感じた。
理由なんて分からないから、目の前の想い人には何も言わないけれど。


「ねー篠ノ女ー?」
「あ?」
「おなか空いたー」
「…おー、帰るか」
「俺ねえ、篠ノ女のオムライスが食べたい」
「…はいはい」
「あとフライドポテトね」
「…腹壊すなよ」
「大丈夫だよ。篠ノ女に介抱し
てもらうもん」
「…はいはい」


空はすっかり晴れ模様に変わって、じわりと生暖かい空気が肌に纏わり付き、胸の奥までじりじりと焼け付くのを篠ノ女は感じた。
それを知ってか知らずか、へらりと笑った幼なじみが自分の掌をぎゅっと握りしめてくるものだから、余計にじわりと熱が上昇する。

とめどなく溢れ出るのは恋心で、胸の奥がじわりと熱くなるのは嫉妬心で、無防備な彼の掌を握りしめるのは自分だけで。

紫陽花の花言葉は自分の想いを代弁してくれているものなのかも知れないと思うと、何だか格好悪くて呆れてしまう。
それをごまかすために繋いでいた右の掌に力を込めてみたらぎゅっと握り返してくれたから、(まぁたまにはこんな風に嫉妬心丸出しでも構わないかな)、と笑った。

勿論、鴇時には秘密で。






恋心論理ネス

ーーーーー
花言葉=辛抱強い愛情。
嫉妬心丸出し紺。
鴇にバレバレ。
紺の弱点は鴇、梵天の弱点は銀朱。
そして露草はツンデレ。

20090708
20150223修正





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -