春の陽気にうっとりと窓の外を見つめる。
薄いピンク色をした桜はもう姿を隠してしまっていた。
それでも春の美しさは変わらずそこにあるものだから、仕事のことなどすぐに忘れてしまってぼんやりと外の世界を眺める。

授業中ということもあってか校庭は静かで、遠くの教室からは合唱が聞こえて来た。
今日も何も変わらない。

(平和なことは良いことですよねー)

その合唱は聞いたことがあるものだったから(多分高校の時、音楽の授業で習ったものだろう)、ふふふんとその合唱に合わせて鼻唄を零す。

「おや、もうそんな時期ですか」

朝礼の時に渡されたプリントに視線を移すと、「ゴールデンウイーク」という文字が目に入った。

(この間まで春休みだったのに、もう五月だなんて時間が経つのは早いものですねぇ)

プリントには「ゴールデンウイークの研修について」と書かれていた。
「研修」とは言っても一日だけ講義を受けるもので、保健医の銀朱には余り関係のないこと。

大変ですねぇとプリントを半分に折り畳む。
そのまま紙ヒコーキを作ってみようかと指を動かしたら、後ろから軽く頭を叩かれた。

「いたっ」
「…真面目に仕事をしたらどうなんだい」
「生徒が先生を殴るなんて、なんていう不良なんでしょう!」
「…保健医、ね」

同じことですよ!と振り向くと少し緑が混ざった金髪の少年の長い髪が、きらりと光って視界に入って来た。

(おや、髪が…)

いつもなら面倒臭いと眉をしかめながらも一つに束ねているのに、今日は無造作に下ろしている。
男子生徒の肩につく髪の長さは、校則では禁止されているのにどうして彼は許されているのだろう。

本人に聞いてみようかとは思ったものの、銀朱は彼のその髪が嫌いではなかったし、彼のことも嫌いではないから聞くのを止めた。
聞いたとしても「さぁ、どうしてだろうね?」と意地悪く聞き返して来ることだろう。

「お昼寝ですか、梵天」
「…ベッド借りるよ」
「はい、どうぞ」

にこりと笑って椅子から立ち上がり、一番奥のベッドに案内する。
肩に掛けていた学校指定のベージュ色の上着を銀朱は受け取って、丁寧に畳んで茶色の籠に入れる。

「…几帳面だね、君は」
「ふふ、だってあなた方に怒られるでしょう?」
「そうだったかな」
「そうですよ」
「忘れたよ」
「嘘つき」

そんな人は早く寝てしまいなさい、とクスクス笑って上布団を掛けてやる。

(あ、)

ふわりと、太陽の匂いがした。

「おやすみなさい、梵天」
「…おやすみ」


金の髪の少年――梵天はこうやってたまに保健室に訪れる。
訪れては、保健医の銀朱に生徒らしからぬ言葉を吐き出す。
先程の言葉ももっともで、まさかプリントで紙ヒコーキを折ろうとする保健の先生なんて、そうはいないだろう。

(…今日も具合いが悪い訳ではないみたいですね)

専用の椅子には戻らずに、隣のベッドに腰掛ける。
梵天の髪がさらりと流れて、そこに光りが当たって反射する。
キラキラしてとても綺麗だ。

彼がここに訪れる理由は、体調が優れないからなどということではないらしい。
だからと言って授業をサボっている訳でもない。
以前に、人より少し体力が無いからだとちらりと他の生徒から聞いた。
体力を回復させる為に昼寝をするのだとその生徒は言っていた気がする。


銀朱は保健室以外の場所で梵天を見掛けたことがあった。
屋上や図書室、音楽室の赤い絨毯の上で死んだ様に寝転がっていたこともあった(あの時は本当に驚いて、一瞬固まってしまった)。
室内ならまだ構わない。
けれど外で死んだ様に寝るのは止めて欲しい。
季節上は春なのだけれど、風はまだそんなに暖かくはない。
時折、冬の様に体温を攫う冷たい風も吹いているというのに、彼はお構いなしで中庭の木製の丸い机に突っ伏して眠っていた。
それはもう本当に止めて欲しいから、だから保健室に来る様にと梵天に勧めた。

あの時は素晴らしく苦い顔をしたけれど、それでも少しずつ保健室に来る様になった。
別に君の為ではないよ。
眠るなら暖かい場所が良いからね、と眉をしかめて言っていたけれど、どんな理由であれ銀朱は嬉しかった。


「子供は風の子とは言いますが、こればっかりはねぇ」
「…それは俺のことかい?」

眠っていると思っていた相手が自分の独り言に応えて来たらから、睫毛が長い瞳をぱちくりさせて顔を覗き込んだ。

「おや、起きていたんですか」
「…まあね」
「眠っているものだと思っていましたよ。騙すのがお上手ですねぇ」

銀朱が驚きましたよと笑って首を傾げると、驚いた風には見えないけどね?と鼻で笑って梵天は身体を起こした。

「眠れないのなら、私が子守唄でも歌って差し上げましょうか?」
「…は、君は馬鹿かい」
「馬鹿で結構、さぁ覚悟なさい」
「馬鹿、やめないかい!」


じわりじわりと梵天に近付くと、やめろ馬鹿!と両腕でがっちりガードをされた。
冬物より幾分か薄めの、衣替えをしたばかりのシャツに綺麗にアイロンがかけられている。
独特の髪色と色白の肌のせいか、シャツが白く映えて見えて、とても綺麗だと感じた。

クスクス笑って、冗談ですよーと近付くのを止めると、最悪だと眉をしかめた。
こんな梵天は珍しいなぁと思うと、何故だか自然に笑いが込み上げて来る。

いつもなら私の言葉になんて、こんな風に反応なんてしないのに。
馬鹿だ阿呆だと言って、軽くあしらうだけなのに。
大人より大人な彼しか知らないから、そう思うのかも知れないけれど。

いつもより子供らしい梵天に銀朱がそう思ったことは、彼には内緒にしようと言葉には出さなかった。
そんなこと、口にしようものならもう二度とそんな場面は見られなくなるだろう。
折角彼の子供らしい部分を発見したのに、そう易々と無くすことなんて出来ない。


「…何だい」
「いいえ?早く寝ておしまいなさい?」
「もう眠気は覚めてしまったよ」
「おや」
「誰のせいだと思っているんだい?」
「はぁ、それはすいません?」

梵天の言葉の意味が分からず、首を傾げてとりあえず、すみませんと謝ってみた。
梵天はそんな銀朱に「はぁ」と一つ溜息を吐き出すのだけれど、その溜息の理由も分からないものだからまた首を傾げた。


「それならば髪でも結ってあげましょうか?」
「…はぁ?何でそうなるんだい…」
「だってそれ」

そう言って梵天のベッドに腰を下ろした。
その銀朱の行動に思ってもみなかったという様に、梵天は少し戸惑って身体を引いた。
銀朱はそれを全く気にしないとでも言うように、髪に手を伸ばして言葉を続ける。

「…ちょっと、」
「だってそれ、欝陶しいでしょう?私が結ってあげますよ」
「…良いよ、別に」
「だっていつもなら髪を結っているのに、今日はボサボサじゃないですか」
「…ああ、今日はそれどころではなくて、ね」

言い終わる前にハッとして、口篭ったけれどそれは少し遅かった。
失敗したと言う様に、梵天の口元が歪む。
ちらりと銀朱に目をやると案の定、興味津々にこちらを見つめている。

(しまった…)

この大人らしくない大人は、子供よりも子供らしいから、興味が他のものに移るまでしつこく問い詰めてくるだろう。
現に、瞳をキラキラさせてこちらを見つめている。
本人には全く悪気がないのだから、余計に質が悪い。
言い訳なんて簡単に出来ることなのだけれど、何故だかそれは格好悪い気がして止めた。

「…ちっ」と小さく舌打ちをして、言葉を頭の中に巡らせた。
ストレートに言葉にするのは気恥ずかしい。
難しい言葉を並べて、遠回しに言ったとしてもこの鈍感保健医には一度では伝わらないだろう。

「…全く、腹が立つな」
「梵天?」

梵天の言葉に、銀朱は彼の顔を覗き込む。
いつもの様に眉間に皺を寄せているけれど、少し雰囲気が違う気がするのは気のせいだろうか。
怒っていると言うより、困っている表情に見えた。


「梵天、どうかしたので、す」
「本当に君は馬鹿だな」
「なんですか、急に」
「…君のせいで俺はずっと寝不足なんだよ。この意味が君に分かるかい?」
「いいえ?」

「分かるか」と問われても銀朱には、全く分からない。
自分は彼に何かしただろうか。
したというより、いつもされている側だと思う。
顔を合わせれば、意地の悪いことを言い出すのも向こう。
馬鹿にした様に笑うのも向こう。

分からないから、その問いを吐き出した本人に聞き返そうとしたけれど、それは梵天の言葉で遮られた。

「…君は馬鹿だよね」
「あ、また馬鹿って言いましたね!」
「それ、さっきのプリント」
「はい?」

梵天が指差す先は保健室の銀朱専用のグレー色の机。
その机の上には、梵天が言う半分に折られたプリントが見える。

「プリントですねぇ」
「…正解。答えはプリントだよ」
「…?何の話しですか?」
「君はその研修には参加しないのだろう?」
「…はぁ、まぁ保健医の私には直接は関係の無いことですから、多分」
「じゃあもうそれは必要ないものだね」

そう言うなり、梵天はベッドから立ち上がり机に向かって歩き出した。
銀朱がぽかんとそれを見ていると、変な顔だねと眉をしかめて「はっ」と笑う。

「変な顔、は余計ですよ」
「まぁそんな君の顔も嫌いじゃないよ」

手にしたプリントを器用に折りながら、また困った様な表情で銀朱を見る。
それでもその鈍感な大人は本当に鈍いから、君は馬鹿だねと小さく呟いた。

「…必要ないならコレ、飛ばすよ?」
「あ、紙ヒコーキ」
「…ゴールデンウイークは君の暇つぶしに付き合ってあげても良いよ」



紙ヒコーキは空の蒼さに溶けて行った。

ほら、世界はこんなにも美しい。






(君への誘いをどう切り出そうか悩んでいたら、髪を結うことも忘れていたってこと。寝不足も同じ理由だよ)


20150223修正





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