あの頃に戻りたいと思ったことはない。
あの頃なんてくだらない。
そんなことを考えている暇はない。
立ち止まっているのは、自分自身を諦めてしまっている馬鹿なやつだけで十分だ。








「梵、どうしたのだ」

空を眺め動こうとしない、翠色の長い髪をさらさらと風に泳がす切れ長の瞳の男に声をかける。
梵にしては珍しいではないかと不思議そうに彼を眺める。

「うるさいよ」

梵と呼ばれた男は、視線を流してぽつりと呟く。

「哀しみは通り雨の様に…なんて、上手いことを言うね」

ふっと笑って空を見上げる。
戻りたいないて思わない。
ただ、進んで行く為だ。
得る為だと、あの時決めた。



『約束、です』


しんしんと降り続く雪の中。
今でも心は、あの冬のままで。


◇◇◇




「もどきさ〜〜ん!」


わざとなのか天然なのか、俺をそう呼び、屈託のない笑顔で俺の元に走り寄って来る。
男とも女とも見える容姿の人間。

「…力のない巫女が一人で外に出て来て大丈夫なのかい?」
「あなたになら殺される心配はないですしねえ」

厭味を簡単に切り捨て、ごそごそと包みを取り出す。
はいどうぞ、と包みを無理矢理預けて巫女は笑う。
なんだこれは、と空に投げるけれど、すかさず巫女は包みを受け取りまた笑う。

「約束です、これは私から貴方への」
「……は?」

約束?
理解出来ない言葉の意味を探りながら、巫女を見つめた。
意味が解らないとでも顔に出ていたのだろうか、巫女がふいに俺の顔を覗きこんだ。

「…ちょっ…!」

少し顔を引く俺に、茶化す様に笑って見せた。

「ああ、それは、私が勝手に決めたことですから。そのお詫びに作って来たんですよー」

あっは〜と包みを開ける。
俺を子供扱いしているのか、毎回自分で作ったという甘い菓子を手土産に持って来る。
それを受け取らない俺に、つまらないという顔を見せて呟く。

「真朱達は美味しいと喜んでくれるんですけどねぇ…まだまだですかねぇ」
「あのねえ…妖が…」

人間の作った物を食べたいと思う訳がないだろう?と言い終わる前に、俺は言葉を飲んだ。
銀朱の端正な顔が少し歪んでいる様に見えた。
俯き、少しずつ少しずつ、彼は言葉を紡ぎ出していく。

「答えが出ないのです」
「……ぎん、…?」
「人も妖も、何等変わりはないのに、…何故でしょう」

俺にはその言葉の意味が解らず、銀朱を見上げると彼は「すみません」と困った様に微笑んだ。

(銀朱は何を考えている?何を想っている?俺はどう答えれば良い?)

解らない痛みがチクリと胸を刺して、じりじりとその痛みが焼ける様に広がっていく感覚に襲われていく。

「私は…なんの力も、ないけれど…ただの盾にしか過ぎないけれど、」

「それでも」と、何かを探すかの様に手を握りしめて、弱々しく、けれど強い意思さえ感じさせる表情で俺を見下ろす。

「ぎん、」
「私は…守りたいんです。この世も、あなたのことも」

ふわりと何もかもが白く溶けだして、世界が止まってしまうかと思った。

「私は、あなたも真朱も全てのものを、守りたいのです。――だから」

(何を?人間を?妖を?何を守るの?なんの為に?)

君は何をしようとしている?
風がざわざわと心の奥を駆り立てていく。

「――何故君は俺の前でそんな表情をする?君は人間だろう?俺を守ってどうなるんだ。銀朱、君は、」
「忘れないでください」

俺の言葉を遮り、両手で優しく頬を挟んで微笑んだ。

「ねえ、ほら妖も人間も、どちらも同じで温かいでしょう?」
「…俺には、解らないよ」
「ふふ、もどきさん。私はね…」

一つ、息を吐き出して、そうっと俺の掌に菓子を乗せた。
淡い桃色の小さな菓子はまるで銀朱の様で、それが何故だかひどく俺の心を縛りつける。


「約束が守れたら…、私はまた」

あなたに甘いお菓子を持って来ますね、と俺ににこりと笑ってみせた。


◇◇◇



「勝手に約束するもんじゃないよ」

シャランと口元と耳を繋ぐ金色に輝く糸を、指でなぞりながら悪態をついた。

「そもそも君が作った物を誰が欲しいと言ったんだい?」

呆れた様に溜息を一つ零した。

「守れなかったらどうするんだい?」

自分の言葉に彼の返事はないけれど、また一つ溜息をついて空を見上げた。

「俺は約束なんてしていないけれど」

彼の声を思い出す様に、目を細めて呟く。

「先に約束を破られたら、俺は死ぬまで叶わぬ夢を見ているだけになるじゃないか」


戻りたいなんて思わない。
ただ、進んで行くだけだ。
得る為だと、あの時決めた。
それは揺るぎない想い。
契りとは違うそれ。
永遠の約束。
ただ一度の約束。


「――そうだね、無理矢理にでも叶えてやるさ」

今はいない、彼にそっと笑ってみせる。
きっと、「そうですね」と彼も笑い返すことだろう。

しんしんと降り続く雪の中、出逢ったのは今は遠い冬。


梵、今日は独り言が多いではないか?と心配そうにおろおろする空五倍子を連れて、空を背にして歩いて行った。


(ほら、妖も人間も温かいでしょう?)

(約束を守れたら私はまた、あなたに会いに行きます)


全てを守りたい。

(あなたを、)

「…君を」

いつもと変わらない日々が俺の全てに変わり、愛おしい光になった。
叶わぬ夢だと言うのなら、ならば俺は。

空を見上げれば思い出す。
しんしんと降り続く雪の中。
今でも心は、あの冬のままで。



哀しみは通り雨の様に。




さようなら。泣かないで。君がいればそれだけが俺(私)の幸せ

(銀色の雫)



20150223修正





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