「これお煎餅、差し入れ」
「…有難うございます」
「いーえ?」


ぽかぽかとした陽射しが、頭の上から降ってくる感覚が気持ち良くて、いつの間にか眠ってしまいそう。
もうすぐ冬になるというのに、まだ暖かくて何も考えたくなくなる。
公園のベンチに座っていても、頭の中を巡ることは焦りと、あの人が自分を好きだと言って抱きしめたことを後悔していないかどうか、それだけで。


「いいの?君の先生には内緒なんでしょ?」
「いいんです」
「あの人、泣いてしまうんじゃないのかい?」
「いいの、俺が決めたことだから」
「へえ〜」


公園のベンチに、ゆったりと腰かけてぷらんぷらんと足を揺らす。
雷光から受け取ったお煎餅は、壬晴の細目の膝の上にちょこんと乗っている。
その醤油味のお煎餅をパリンと噛んで、雷光は意味ありげにふふふと笑う。


「…なぁに」
「いや、ね?まさか君が彼を置いて来るなんて」
「…なんで?」
「雪見先輩から聞いたものでね。呆れるほどの過保護ぶりだそうだね」
「…………」
「壬晴君を守ろうと躍起になっていたのに、その壬晴君が灰狼衆に、」
「雲平せんせいは関係ないですから」


青い空を見上げながら、壬晴は雷光の言葉をばっさり切る。
今は何故だかその名前は聞きたくなかったのだ。
名前を口にすることも厭だったのに簡単にするりと流れ出て、壬晴は少し眉間に皺を寄せた。

頭の中を巡ることは、あの人のことばかりだというのは確か。
怒ってる?
呆れてる?
泣いている?
…後悔してるの?
…俺のこと、嫌いになったかな。
ぐるぐる廻って眩暈がして倒れそうになる。
目を閉じると視界が黒い色で埋め尽くされて、もういっそのこと、倒れてしまいたいくらいだ。
倒れて、忘れて、全てなかったことにしてしまいたい。
そうならないだろうか。
森羅万象なんて、始めから無かったことにならないだろうか。
そうなれば、どれだけ安堵するだろう。


(ああ、でも今忘れたら宵風との約束が)


宵風のために森羅万象を使うことを決めた。
そのためにこちらに来たのだ。
心配なんだと、自分のてのひらをぎゅうっと握った帷の手を払いのけてまで、宵風の願いを叶えたいのだと思った。
帷が自分の考えを否定しているのはわかる。
森羅万象なんてあってはならないんだと、あの日の夜も帷は真っ直ぐ自分にそう言った。


(でもね、せんせい。俺もう決めたから。守られるだけなんてもう嫌なんだよ)


「ねえ、雷光さん。俺ね、皆に優しくされるの苦手なんだよ」
「うん?」
「雲平せんせいも雷鳴も虹一も俺に凄く優しいから。だから俺も宵風との約束を守りたいんだよ」
「約束?それはなんだろうね?」
「んー、ないしょ」
「おや」


それはつまらないね、と全くそんな風には見えない雷光の横顔を見ながら、壬晴はお煎餅を口にする。
美味しいだろう?と雷光がパキパキとお煎餅を小さく割って、足元に撒くとどこからともなく鳩がばさばさと集まって来た。
鳩は壬晴や雷光の足元だけでなく、肩や頭に図々しく止まり、小さな目で壬晴を見据えている。
昔、祖母に連れて行ってもらったサーカスのピエロを思い出して少し可笑しくてふんわりと笑う。
雷光の髪はピンク色をしているから、余計そう思えて可笑しい。
壬晴の視線を感じたのか、雷光は「ん?」と小さく笑って振り返る。
ピンク色の髪が風でふわりと動いた。
ああ、雷鳴とよく似ている。


「雷光さんは後悔してないの?」
「おや、君は後悔しているのかい?」
「…大切な人が沢山いたら、俺はどうすればいいの。何を優先すればいいの」


冷たい風が頬を掠めて木々の葉をざわざわ揺らす。
周りに集まっていた鳩もいつの間にか飛んで行ってしまっていた。
ああ、もうすぐ寒くなるんだなとぼんやり思う。
寒い日には温かいココアを入れてくれたっけ。


「後悔は、してはいないよ。灰狼衆に入ったのも、迷いはないし、雷鳴を泣かしてしまうのは哀しいけれどね。けれど全部私の意志なのだから」


私はもう失いたくはないんだよと少し哀しそうに笑って、ベンチから立ち上がる。
空を見上げてふふふと笑った。


「私は我が儘なのだろうね」
「…俺も、我が儘だから皆を傷つけてばっかりだ」
「おや、それはどうかな。私はそうは思わないかな」


ね?と笑う雷光の言葉が少し気恥ずかしい感じがして、壬晴は頬が熱くなり、それをごまかすように俯いた。
やっぱり優しい言葉はまだ苦手だ。
ふんわり暖かくてくすぐったくて、こんな自分は凄く困る。
皆に返すことなんて出来ないのに、貰ってばかりで凄く困る。
それに、帷を思い出してしまうから。
優しい先生。
優しいてのひら。
優しい声。


(…やっぱり苦手だ)


「あ、ほら壬晴君。電線に鳩がならんでいるよ」


公園の向こう側の歩道の電線に、鳩は行儀良くならんでいる。
鳥は良いな。
空を自由に飛べるもの。
自分にも大きな翼があったらこの場所から、この世界から、飛び出せることが出来るのに。
今すぐ、あの人のところに行けるのに。

そんなことを考える自分は馬鹿みたいだなと思う。
帷の甘さが自分に移ってしまったみたいで、帷の影響で自分の性格が変わっていく感じがして、何だか面白くない。
隣で雷光はいーちにいさーん、と鳩を数えている。
十まで数えたところで、近くの教会の鐘がなって、それに驚いた鳩はまたどこかへ飛んで行ってしまった。


(せんせいも同じだ)


雷光と同じように数えていた気がする。
外国育ち故か、感情や行動がオーバーで、何かと自分に関わろうとする。
何か嬉しいことがあればすぐ抱きしめようとした。
でもそれは恥ずかしくて、「嫌だ」と言えばしょんぼりうなだれて、「十秒だけ」と言って抱きしめてきた。
いつも十秒をゆっくりと数えて、放してくれようとしないから心の中で、せんせいなんて嫌いだよと呟いた。


「森羅万象なんて、俺の中から消えてしまえばいいのに」
「おや、それでは宵風君との約束を守れなくなってしまうよ?」
「いいの、それでも」


(宵風は自分を消してって言った。俺も一緒に消えてしまえたらいいのに。そしたらせんせいは泣いてくれるかな)


目を閉じたら黒い色が自分を覆って、しとしと雨が降っているみたい。
足元はゆらゆら揺れて、うまく歩けない感覚。
それをごまかすための無関心と無気力。
そんな世界は慣れている。
見慣れた景色の中にある、狎れない感情。
今すぐ雨に流されて、消えてしまえばいいのに。


(せんせい、俺ね、)


ねえ、名前を呼んだら俺を探しに来てくれる?
両手で耳を塞いでぽつり、想う人の名前を祈って目を閉じた。


(雲平せんせい)






Dolly/その想いに麻痺されていきそう(今日も空は哀しい青色)
20081029
20110731修正







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -