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「桃子さんっ!」
一際大きな声で呼ばれたと思ったら、弾けんばかりの笑顔がこちらに向かい駆け寄ってくる。
いや、実際には「突っ込んでくる」の方が正しいかもしれない。
廊下の端から全力疾走してくるその姿は、まるで主を見つけた飼い犬のようだと毎回思う。
「ほら。廊下は走らない」
「あ。すんません」
「それから、いつも言ってるけど無駄に声大きすぎ。部活じゃないんだから、もう少し場所とボリューム考えようか?」
「いや、でもほら。聞こえないと困るじゃないすか」
「もう十分すぎる程、聞こえてますからー!私、どんだけ年寄り扱い?」
彼は2年生でバレー部の西谷くん。
休み時間になると、時々こうして3年教室まで遊びに来る。
「ところで、旭さん生きてますか?」
「東峰?あぁ。只今、絶賛死亡中」
廊下から教室に入ると、大木みたいな体が窮屈そうに机に突っ伏しているのが目に入る。
既に2時間目も終わったというのに、朝からピクリとも動かない。
この人、本当に死んでるんじゃなかろうか?
「しかし、朝からハードだよねぇ。バレー部も」
「あんなん普通っすよ。まだまだ全国には足りない」
「じゃぁ、あれだね。東峰はもうゾンビになるしかないね」
「ゾンビでも何でも旭さんには頑張って貰わないと。何つったって烏野のエースですから。その為には俺も全力で支えるし」
普段は何も考えてないみたいな顔してるくせに。
バレーに関してだけは表情が一変する。バレーに関してだけは。
今だってほら。真面目な顔したかと思えばそれも一瞬で、クラスの女子たちに話掛けられた途端デレデレしてるし。
(東峰のとこ来たんじゃないの?)
私の横で飛び交う黄色い声と西谷くんの楽しそうな声がどうしようもなく耳に障る。
次第に息苦しくなってきた私は、そそくさと教室のベランダへ逃げ出した。
「これはヤバいな…」
最近になって症状が一層進行している。
モヤモヤしたりざわざわしたり、自分が乱される特有の感覚。
これが何なのか分からない程、私も子供じゃない。
本当に最初はやんちゃな弟みたいな感じだった。よくある話だけれど。
それが、いつを境に男の人として意識するようになったのかは分からない。
西谷くんがこのクラスにいつの間にか馴染んでいたように、私もいつの間にかごくごく自然に惹かれていた。
ドラマみたいに劇的な何かがあった訳じゃない。リアルなんてそんなものなんだろう。
“旭さんのことよろしくお願いします!”って、どっちが先輩だか分からないようなことクラス中に言って回ったり。
かと思えば、寝てる東峰の額を筋肉マンにして、にししとイタズラ顔で笑ってみたり。例え練習試合でも、負けた日には奥歯ギリギリ噛み締めて悔しそうな顔するし。
そういう小さなことが積もって積もって、好きが大きくなっていった。
「まさか西谷くんとはなぁ…」
「俺がどうかしたんすか?」
「え?」
誰にともなく呟いた独り言に思わぬ返答があり、私は驚いて振り返る。
すると、目の前にはいつもの笑顔。
「に、西谷くん!?いつの間に?」
「んー、桃子さんが難しい顔してる間に」
「そ、そう。それより、もういいの?」
「何がっすか?」
「女子たちが群がってたじゃん。ヒューヒュー。相変わらずモテモテだね、このこの!」
何気によく見ればお目目クリクリのイケメン顔で、背はちょっと小さいけれど、それが逆に可愛い弟みたいだと、クラスの一部の女子たちの間で密かに西谷ブームが起きていた。親しみやすい性格のせいもあるだろう。
中には“西谷くん可愛い〜!弟にした〜い”と抱き締めるようにして、ここぞとばかりに自慢気な巨乳を押し付けてくるお色気ムンムン女子なんかもいて。
当の本人は、顔を真っ赤にして狼狽えているけれど、私としては当然面白くもなんともなく。むしろ、不快であり、ミーハー女子くたばれ!と思ってしまう訳で。
「彼女でも作れば?選り取り見取りじゃん」
ついつい可愛げのない嫌味な台詞も出てしまう。元々、可愛くも振る舞えないのだけれど。
「いや〜、本当このクラスのお姉様方は見る目ありますね。うちのクラスの女子なんか酷いもんすよ?人のこと、チビチビって。しまいには、うっさいハゲ!ですからね」
「はは。そうなんだ。で、西谷くん的には誰がタイプなの?さっちゃん?ちーちゃん?やっぱ、巨乳の村岡さん?」
自分で自分の首を絞めているのが分かる。
その様が滑稽で仕方ない。
「ん〜、確かにあの乳は魅力的っすね。埋まった感触が何とも…」
「そうだよね。思春期真っ只中の高校生にしたらあの巨乳は堪らないよね」
「桃子さん、どこのエロ親父っすか?」
「いや。だって、ドリームでしょ。あの乳は」
ついうっかり自分の胸を見下ろしてしまい、その差に落胆する。
いくら寄せても夢のようには膨らまない。
「でも俺は、桃子さんの乳の方がいいと思いますよ」
「えーと。あの、それはどういう…あ、貧乳好き?」
「言うなれば、下心っすかね?」
「……」
「あ。チャイム鳴ったんで、俺戻ります。じゃ」
「え、あ、ちょ…」
言い逃げするように西谷くんがベランダから去って行く。
その横切る顔が赤いように見えたのは、私の願望だろうか?
「チャイム、まだ鳴ってないっての…」
じわじわと熱を帯びる自分の頬を押さえながら、視界の隅で東峰が椅子からずり落ちる姿が見えた。
20141026
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