『Dearly』
番外編

淡く切ない恋心
研究員の彼女の場合
出会いは突然だったんです。




「・・大体、こんな大量の書類を一人で運べだなんて、無理があるのよ」

ぷるぷると腕は限界を訴え、目の高さまで積み上げられた書類のバランスをとることだけで精一杯だった。

ドン
「きゃあ!」
そのせいで予想しなかった前方の激突。
何の抵抗もできないまま床に手をついた。

「うわ、ごめん。大丈夫か?」
「すみません!こちらが前を見てなかったのでっ。あいや、見てなかったのではなく見えなかったのですが」
見渡せば通路一面を埋める程書類がばらけてしまった。

せっかく分野別に分けていたのに、これではまたやり直しだ。しかも早くしないと上司にも怒られる。
うわー、と嘆きながら紙を拾い、目の前の紙にも手を伸ばした。しかし、その紙は手が届く前にひとりでに浮かぶ。不思議に思って顔を上げると、ぶつかってしまった彼が同じように拾い集めていてくれた。

「あのっ、大丈夫です。勝手にぶつかって勝手にばらまいただけですから」

そう言っても彼は手を止めることはせず、二人の方が早く終わるだろ、と笑った。

結局、そのまま仕分けから運ぶのまですべて手伝ってもらったのだった。


その彼の名前はサトシさん。
彼は組織の中の数少ないミッション隊員所属らしい。私は組織の研究員だから普段は研究室に篭りっぱなし、滅多に会うことはないし、すれ違ったことも殆どない。
だけど人の縁とは不思議なもので、あれだけ会う機会などなかったのに、一度知り合うとばったり出くわすことが多くなった。


「あ、サトシさん。こんにちは」
「カズミさん。こんにちは」
ニコッと笑えばさらにニコッと返してくれる。
二言三言交わしてすれ違うのが、今や会ったときの習慣になっていた。



「カズミ、最近楽しそうね」
「そう?」
「楽しそう、よりも嬉しそうっていうのかも」
「ちょっと、良いことが一つ増えたんだ。書類運んでくるね」

研究室の鏡の前で前髪を整え、いつもみたいに書類を抱えた。

(周りがわかるほど、変わってるのかな、私)
中庭が広がる廊下を歩きながらそんなことを思う。
あまり自覚はないが、彼に会えた日と会えなかった日では一喜一憂の差があるため、そこは変わったといえるかもしれない。



カズミー!

「!?」
肩が跳ね上がった。
心のどこかで期待していた声。
呼び捨てにされたことなんてなくて、心臓は音を立てて高鳴る。
声のした方を見れば、太陽のような笑顔で彼は手招きしていた。

赤い顔を隠すように俯きながら、覚束ない足取りで一歩踏み出す。
「サト・・」
そのまま駆け出そうとした。
けれど、

「そんな大声で呼ばないでよっ。恥ずかしいじゃない!」

横からふんわりと掠めた柑橘系の匂いがそれを止めた。

「カスミー!」
「だから・・ったくもう、人の話を聞かないんだから」

「ほら、みてみろよ」
「何・・・ってあんた、それかたつむり!?」
「何だよ。かたつむりなら平気だろ」
「普通のはね。それ特大サイズじゃない!あ、馬鹿、近づいてこないでよ!!」

「何だよ、可愛いのにさー。・・あ、カズミさんだ。カズミさーん」

一連の流れをドラマでも観てるようにただ見つめていた。
だから、今度こそ名前を呼ばれても反応できなくて、逆に逃げるように踵を返した。

「あれ、聞こえなかったのかな?」
「かたつむり片手に呼び掛けるからじゃないの。あたしだったら絶対無視するわよ」
「そうか?」
「というか早く準備しなさいよ。折角非番なのに一日が終わっちゃうわ」
「おう。手洗ってくる」


二人の声がよく響く。
聞こえなくなるまで走り続けた。
さっきまでの甘い気持ちは消え、今は夜の土砂降りのような暗く冷たい気持ちが溢れてる。

「カズミ、じゃなくて・・カスミ、ね」
今ほど自分の名前が憎いと思ったことはない。

何より、少しでも彼の瞳に自分が映っていると思ってた心が恥ずかしい。
ほんの挨拶程度の会話を話せたからって、まるで彼の特別になれた気がしてた。

「サトシさんには、ちゃんと特別な人がいたのに」

いつの間にか着いていた目的の部屋に入り、そのまま座り込んだ。
「・・っ、うー・・」
視界がぼやけてきて、大事な書類に雫が落ちた。
だけどそんなの気にならないほど涙は次から次へと溢れてくる。


一目惚れ、だったのかもしれない。彼の優しさが自分だけの特別に感じるほどに、自惚れてた。

すれ違う回数が増えたのも、ただ自分が勝手に書類運びを率先してやるようになっただけ。

「ひっく・・・ぅ、うぇー・・」

二言三言交わす会話も、いつも自分が喋ってるだけだったのに。

「っふ、ぅわああん・・」

それでも、それすべてが特別なんじゃないかって感じるほどに、
私の気持ちは膨れ上がっていたんです。



彼女を見る彼の眼に、すべて砕かれてしまったけれど。




淡く切ないコイゴコロ。


 
―――――――
前までは一回で持って行こうとしていた大量の書類を小まめに分けたり、ちょっとした雑用を自ら引き受けたりしてたのは

何往復してでも一回でもいいから廊下で彼に擦れ違いたいためだったんですよ。
って蛇足。


 
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